起信論疏 下巻

釈元暁撰

【論】復次分別生滅相者。有二種。云何為二。一者麁与心相応故。二者細与心不相応故。
【論】 (また次に生滅の相を分別するは、二種あり。云何が二となすや。一には麁と心と相応するが故に。二には細と心と相応せざるが故に。)

 復次以下。第三広上立義分中生滅之相。於中有二。先明生滅麁細之相。後顕麁細生滅之義。初中亦二。一者正明麁細。二者対人分別。初中亦二。総標。別解。Kkaito02-01R
  (「復次」以下は第三に上の立義分の中の生滅の相を広す。中に於いて二あり。先は生滅の麁細の相を明かし、後には麁細生滅の義を顕す。初の中にまた二。一には正しく麁細を明かし、二には人に対して分別す。初の中にまた二。総じて標し、別して解す。)Kkaito02-01R

 別解中言一者麁与心相応故者。六種染中。前之三染。是心相応。其相麁顕。経中説名為相生滅也。二者細与心不相応故者。後三染心。是不相応。無心心法麁顕之相。其体微細。恒流不絶。経中説名相続生滅。Kkaito02-01R
  (別して解する中に「一者麁与心相応故〈一には麁と心と相応するが故に〉」というは、六種の染の中の前の三染なり。これ心相応、その相は麁顕なり。『経』の中に説きて名づけて相生滅となすなり。「二者細与心不相応故〈二には細と心と相応せざるが故に〉」とは、後の三染心なり。これ不相応、心心法の麁顕の相なく、その体は微細にして、恒に流れて絶えざれば、『経』の中に説きて相続生滅と名づく。)Kkaito02-01R

 如十巻経云。識有二種滅。何等為二。一者相滅。二相続滅。生住亦如是。四巻経云。諸識有二種生住滅。所謂流注生及相生。滅亦如是。経中直出二種名字。不別顕相。故今論主約於相応不相応義。以弁二種麁細相也。Kkaito02-01R,01L
  (『十巻の経〈入楞伽経〉』にいうが如し「識に二種の滅あり。何等をか二と為す。一には相滅。二には相続滅なり。生住もまたかくの如し」と。『四巻の経〈楞伽阿跋多羅宝経〉』に云く「諸識に二種の生住滅あり。所謂、流注生と及び相生となり。滅もまたかくの如し」と。『経』の中には直ちに二種の名字を出だして、別して相を顕さざるが故に、今、論主は相応・不相応の義に約して、以て二種の麁細の相を弁ずるなり。)Kkaito02-01R,01L

【論】又麁中之麁。凡夫境界。麁中之細。及細中之麁。菩薩境界。細中之細。是仏境界。
【論】(また麁の中の麁は凡夫の境界なり。麁の中の細と、及び細の中の麁とは、菩薩の境界なり。細の中の細は、これ仏の境界なり。)

 対人分別中。麁中之麁者。謂前三中初二是也。麁中之細者。即此三中後一是也。以前中初二倶在意識。行相是麁。故凡夫所知也。前中後一是第七識。行相不麁。非凡所了也。後中初二能現能見。能所差別。故菩薩所知。最後一者。能所未分。故唯仏能了也。Kkaito02-01L
  (人に対して分別する中に、「麁中之麁〈麁の中の麁〉」とは、謂く前の三の中の初の二、これなり。「麁中之細〈麁の中の細〉」とは、即ちこれ三の中の後の一、これなり。前の中の初の二は倶に意識に在るを以て、行相これ麁なるが故に凡夫の所知なり。前の中の後の一はこれ第七識にして、行相は麁ならざれば凡の所了にあらざるなり。後の中の初の二は能現・能見、能所差別するが故に菩薩の所知なり。最後の一は能所未だ分かれざるが故に、唯し仏のみ能く了したまうなり。)Kkaito02-01L

【論】此二種生滅。依於無明熏習而有。所謂依因依縁。依因者不覚義故。依縁者妄作境界義故。
【論】 (この二種の生滅は無明熏習に依りて有り。所謂、因に依り、縁に依る。因に依るとは不覚の義の故に。縁に依るとは妄に境界を作す義の故に。)

 此下第二明生滅義。於中有二。先明生縁。後顕滅義。初中亦二。先明通縁。後顕別因。Kkaito02-01L
  (これより下は、第二に生滅の義を明かす。中に於いて二あり。先は生の縁を明かし、後は滅の義を顕す。初の中にまた二。先は通縁を明かし、後は別因を顕す。)Kkaito02-01L

 通而言之。麁細二識。皆依無明住地而起。故言二種生滅。依於無明熏習而有。別而言之。依無明因故。不相応心生。依境界縁故。相応心得起。故言依因者不覚義故。依縁者妄作境界義。若具義説。各有二因。Kkaito02-01L,02R
  (通じてこれを言わば、麁細の二識は皆、無明住地に依りて而も起するが故に「二種生滅依。於無明熏習而有〈二種の生滅は無明熏習に依りて有り〉」という。別してこれを言わば、無明の因に依るが故に不相応の心は生じ、境界の縁に依るが故に、相応の心は起することを得るが故に「依因者不覚義故。依縁者妄作境界義〈因に依るとは不覚の義の故に。縁に依るとは妄に境界を作す義の故に〉」という。もし具の義をもって説かば、おのおの二因あり。)Kkaito02-01L,02R

 如四巻経云。大慧。不思議熏。及不思議変。是現識因。取種種塵。及無始妄想熏。是分別事識因。Kkaito02-02R
  (『四巻の経〈楞伽阿跋多羅宝経〉』にいうが如し「大慧。不思議熏、及び不思議変は、これ現識の因なり。取種種塵、及び無始妄想熏は、これ分別事識の因なり」と。Kkaito02-02R

 解云。不思議熏者。謂無明能熏真如。不可熏処而能熏故。故名不可思議熏也。不思議変者。所謂真如受無明熏。不可変異而変異故。故名不思議変。此熏及変甚微且隠故。所起現識行相微細。於中亦有転識業識。然挙麁兼細故。但名現識也。Kkaito02-02R,02L
  (解して云く。「不思議熏」とは、謂く無明は能く真如を熏じて、熏ずべからざる処に而も能く熏ずるが故に、故に「不可思議熏」と名づくるなり。「不思議変」とは、所謂、真如は無明の熏を受けて、変異すべからずして、而も変異するが故に、故に「不思議変」と名づく。この熏及び変は甚だ微にして且つ隠なるが故に、所起の現識の行相は微細なり。中に於いてまた転識業識あり。然るに麁を挙げて細を兼ぬる故に、但、現識と名づくるなり。)Kkaito02-02R,02L

 取種種塵者。現識所取種種境界。能動心海起七識浪故。無始妄想熏者。即彼現識名為妄想。従本以来未曽離想故。名無始妄想。如上文言。以従本来未曽離念。故名無始無明。此中妄想当知亦爾。Kkaito02-02L
  (「取種種塵」とは、現識所取の種種の境界は能く心海を動じて七識の浪を起するが故に。「無始妄想熏」とは、即ち彼の現識を名づけて妄想と為す。本より以来た、未だ曽て想を離れざるが故に「無始妄想」と名づく。上の文にいうが如し。「本より来た未だ曽て念を離れざるを以ての故に無始無明と名づく」と。この中の「妄想」も当に知るべし、また爾なり。)Kkaito02-02L

 如十巻経云。阿梨耶識知名識相。所有体相。如虚空中有毛輪住。不浄智所行境界。Kkaito02-02L
  (『十巻の経〈入楞伽経〉』に云うが如し「阿梨耶識は名識の相を知る。所有の体相は虚空の中に毛輪ありて住するが如し。不浄智の所行の境界なり」と。)Kkaito02-02L

 由是道理故是妄想。彼種種塵及此妄想熏。於自相心海令起七識波浪。妄想及塵。麁而且顕故。其所起分別事識。行相麁顕。成相応心也。欲明現識因不思議熏故得生。依不思議変故得住。分別事識。縁種種塵故得生。依妄想熏故得住。今此論中但取生縁故。細中唯説無明熏。麁中単挙境界縁也。Kkaito02-02L,03R
  (この道理に由るが故に、これ妄想なり。彼の「種種塵」及びこの「妄想熏」は自相の心海に於いて七識の波浪を起こせしむ。妄想及び塵は麁にして且つ顕すが故にその所起の分別事識は行相麁顕にして相応の心と成るなり。現識は不思議熏を因とするが故に生ずることを得、不思議変に依るが故に住することを得。分別事識は種種塵を縁とするが故に生ずることを得、妄想熏に依るが故に住することを得ることを明かさんと欲す。今この論の中には、但、生縁を取るが故に細中には唯し無明熏を説き、麁中には単えに境界縁を挙ぐるなり。)Kkaito02-02L,03R

【論】若因滅則縁滅。因滅故。不相応心滅。縁滅故。相応心滅。
【論】 (もし因滅すれば則ち縁滅す。因滅するが故に不相応の心滅す。縁滅するが故に相応の心滅す。)

 若因滅下。次顕滅義。於中有二。一者直明。問曰以下。往復除疑。Kkaito02-03R
  (「若因滅」の下は、次に滅の義を顕す。中に於いて二あり。一には直ちに明かし、「問曰」以下は往復して疑を除く。)Kkaito02-03R

 始中言若因滅則縁滅者。随於何位得対治時。無明因滅境界随滅也。因滅故不相応心滅者。三種不相応心親依無明因生故。無明滅時亦随滅也。Kkaito02-03R
  (始の中に「若因滅則縁滅〈もし因滅すれば則ち縁滅す〉」というは、何の位に随いても対治を得る時、無明の因滅すれば境界随いて滅す。「因滅故不相応心滅〈因滅するが故に不相応の心滅す〉」は、三種の不相応の心は親しく無明の因に依りて生ずるが故に、無明滅する時、また随いて滅す。)Kkaito02-03R

 縁滅故相応心滅者。三種相応染心親依境縁起故。境界滅時亦随滅也。依是始終起尽道理。以明二種生滅之義。非約刹那生滅義也。Kkaito02-03R
  (「縁滅故相応心滅〈縁滅するが故に相応の心滅す〉」とは、三種の相応染の心は親しく境縁に依りて起するが故に境界滅する時、また随いて滅す。この始終起尽の道理に依りて、以て二種の生滅の義を明かす。刹那生滅の義に約するにはあらざるなり。)Kkaito02-03R

【論】問曰。若心滅者。云何相続。若相続者。云何説究竟滅。
【論】 (問いて曰く。もし心滅せば、云何ぞ相続せん。もし相続せば、云何ぞ究竟滅と説かん。)

 此下第二往復除疑。先問。後答。Kkaito02-R,L
  (これより下は第二に往復して疑を除く。先は問、後は答なり。)Kkaito02-R,L

 問中言若心滅者云何相続者。対外道説而作是問。如十巻経云。若阿梨耶識滅者。不異外道断見戯論。諸外道説。離諸境界。相続識滅。相続識滅已。即滅諸識。大慧。若相続識滅者。無始世来諸識応滅。Kkaito02-03R,03L
  (問の中に「若心滅者云何相続〈もし心滅せば、云何ぞ相続せん〉」というは、外道の説に対してこの問を作す。『十巻の経〈入楞伽経〉』にいうが如し。「もし阿梨耶識滅せば、外道の断見の戯論に異ならず。諸の外道の説かく。諸の境界を離るれば、相続識滅す。相続識滅し已れば、即ち諸識を滅す。大慧。もし相続識滅せば、無始世より来た諸識応に滅すべしと」。)Kkaito02-03R,03L

 此意正明諸外道説。如生無想天。入無想定時。離諸境界。相続識滅。根本滅故。末亦随滅也。如来破云。若彼衆生入無想時。衆生之本相続識滅者。六七識等種子随滅。不応従彼還起諸識。而従彼出還起諸識。当知入無想時。其相続識不滅。如是破也。Kkaito02-03L
  (この意は正しく諸の外道の説を明かす。無想天に生ずるが如き、無想定に入る時、諸の境界を離れて、相続識滅す。根本滅するが故に、末もまた随いて滅すと。如来、破して云たまわく。もし彼の衆生、無想に入る時、衆生の本たる相続識滅せば、六七識等の種子は随いて滅す。応に彼より還りて諸識を起こすべからずして、而も彼より出でて還りて諸識を起こす。当に知るべし、無想に入る時、その相続識は滅せずと。かくの如く破するなり。)Kkaito02-03L

 今此論中依此而問。若入無想定滅尽定時。心体滅者。云何還続。故言若心滅者云何相続也。若入彼時心体不滅還相続者。此相続相何由永滅。故言云何説究竟滅也。Kkaito02-03L,04R
  (今この論の中にはこれに依りて問う。もし無想定・滅尽定に入る時、心体滅せば、云何が還りて続せん。故に「若心滅者云何相続〈もし心滅せば、云何ぞ相続せん〉」というなり。もし彼に入る時、心体は滅せずして還りて相続せば、この相続相、何に由りてか永く滅せん。故に「云何説究竟滅〈云何ぞ究竟滅と説かん〉」というなり。)Kkaito02-03L,04R

【論】答曰。所言滅者。唯心相滅。非心体滅。
【論】 (答えて曰く。言の所の滅とは、ただ心相の滅なり。心体の滅にあらず。)

 答中有三。謂法喩合。初法中所言滅者。如入無想等時。説諸識者。但滅麁識之相。非滅阿梨耶心体。故言唯心相滅。又復上説因滅故不相応心滅者。但説心中業相等滅。非謂自相心体滅也。Kkaito02-04R
  (答の中に三あり。謂く法と喩と合となり。初の法の中に「所言滅〈言の所の滅〉」とは、無想等に入る時の如き、諸識を説かば、但、麁識の相を滅して〈滅するも〉、阿梨耶の心体を滅するにあらざるが故に「唯心相滅〈ただ心相の滅なり〉」という。また上に説かく「因滅故不相応心滅〈因滅するが故に不相応の心滅す〉」とは、但、心中の業相等の滅を説く。自相の心体の滅を謂うにはあらざるなり。)Kkaito02-04R

【論】如風依水而有動相。若水滅者則風相断絶。無所依止。以水不滅風相相続。唯風滅故動相随滅。非是水滅。
【論】 (風は水に依りて動相あるが如し。もし水滅せば、則ち風相は断絶して、依止する所なからん。水滅せざるを以て風相は相続す。ただ風滅するが故に動相随いて滅す。これ水滅するにあらず。)

 喩中別顕此二滅義。如風依水而有動相者。喩無明風依心而動也。若水滅者則風断絶無所止。以水不滅風相相続者。喩於入無想等之時。心体不滅故。諸識相続也。是答初問也。唯風滅故動相随滅者。到仏地時無明永滅故。業相等動亦随滅尽。而其自相心体不滅故。言非是水滅也。是答後問明究竟滅。Kkaito02-04R
  (喩の中に別してこの二滅の義を顕す。「如風依水而有動相〈風は水に依りて動相あるが如し〉」とは、無明の風は心に依りて動ずるに喩うなり。「若水滅者則風断絶無所止。以水不滅風相相続〈もし水滅せば、則ち風相は断絶して、依止する所なからん。水滅せざるを以て風相は相続す〉」とは、無想等に入る時、心体は滅せざるが故に諸識相続するに喩うるなり。これは初問を答すなり。「唯風滅故動相随滅〈ただ風滅するが故に動相随いて滅す〉」とは、仏地に到る時、無明は永く滅するが故に、業相等の動もまた随いて滅尽すれども、而もその自相の心体は滅せざるが故に「非是水滅〈これ水滅するにあらず〉」というなり。これは後の問を答して究竟滅を明かす。)Kkaito02-04R

【論】無明亦爾。依心体而動。若心体滅者。則衆生断絶無所依止。以体不滅心得相続。唯痴滅故。心相随滅。非心智滅。
【論】 (無明また爾り。心体に依りて動ず。もし心体滅せば、則ち衆生断絶して依止する所なし。体は滅せざるを以て心は相続することを得。ただ痴滅するが故に、心相随いて滅す。心智の滅するにあらず。)

 合中次第合前二義。非心智滅者。神解之性名為心智。如上文云智性不壊。是明自相不滅義也。余文可知。Kkaito02-04R,04L
  (合の中に次第に前の二義に合す。「非心智滅〈心智の滅するにあらず〉」とは、神解の性を名づけて心智と為す。上の文に「智性不壊〈智性は壊せず〉」というが如き、これ自相の不滅の義を明かすなり。余文、知りぬべし。)Kkaito02-04R,04L

 問。此識自相。為当一向染縁所起。為当亦有不従縁義。若是一向染縁所起。染法尽時自相応滅。如其自相不従染縁故不滅者。則自然有。又若使自相亦滅同断見者。是則自相不滅還同常見。Kkaito02-04L
  (問。この識の自相は、当に〈はた〉一向染縁に起こさるるとやせん、当に〈はた〉また縁に従わざる義あるとやせん。もしこれ一向染縁に起せらるれば、染法尽くる時、自相は応に滅すべし。その自相の如きは染縁に従わざるが故に滅せずんば、則り自然有ならん。またもし自相もまた滅して断見に同ぜしめば、これ則ち自相は滅せず、還りて常見に同ぜん。)Kkaito02-04L

 答。或有説者。梨耶心体是異熟法。但為業惑之所弁生。是故業惑尽時。本識都尽。然於仏果。亦有福慧二行所惑大円鏡智相応浄識。而於二処心義是同。以是義説心至仏果耳。Kkaito02-04L
  (答。或いは説者あり。梨耶の心体はこれ異熟の法なり。但し業惑の為に弁生せらる。この故に業惑尽くる時、本識都て尽く。然も仏果に於いて、また福慧二行所惑の大円鏡智相応の浄識ありて、而も二処の心に於いて義これ同じ。この義を以て、心、仏果に至ると説くのみ。)Kkaito02-04L

 或有説者。自相心体。挙体為彼無明所起。而是動静令起。非謂弁無令有。是故此心之動。因無明起。名為業相。此動之心。本自為心。亦為自相。自相義門不由無明。然即此無明所動之心。亦有自類相生之義。故無自然之過。而有不滅之義。無明尽時動相随滅。心随始覚還帰本源。Kkaito02-04L,05R
  (或いは説者あり。自相の心体は、挙体、彼の無明の為に起こせらる。而もこれ静を動じて起せしむ。無を弁じて有ならしむと謂うにはあらず。この故に、この心の動は無明に因りて起するを名づけて業相となす。この動の心は本自〈もとよ〉り心と為し、また自相と為す。自相の義門は無明に由らず。然も即ちこの無明所動の心、また自類相生の義あるが故に自然の過なくして、不滅の義あり。無明尽くる時、動相随いて滅して、心は始覚に随いて本源に還帰す。)Kkaito02-04L,05R

 或有説者。二師所説皆有道理。皆依聖典之所説故。初師所説得瑜伽意。後師義者得起信意。而亦不可如言取義。所以然者。若如初説而取義者。即是法我執。若如後説而取義者。是謂人我見。又若執初義。堕於断見。執後義者。即堕常見。当知二義皆不可説。雖不可説而亦可説。以雖非然而非不然故。Kkaito02-05R,05L
  (或いは説者あり。二師の所説は皆、道理あり。皆、聖典の所説に依るが故に。初師の所説は瑜伽の意を得、後師の義は起信の意を得たり。而もまた言の如く義を取るべからず。然る所以は、もし初の説の如く義を取らば、即ちこれ法我執なり。もし後の説の如く義を取らば、これ謂く人我見なり。またもし初の義を執せば断見に堕せん。後の義を執せば即ち常見に堕せん。当に知るべし、二義皆不可説なり。不可説なりといえども而もまた説くべし。然にあらずといえども、而も然らざるにあらざるを以ての故なり。)Kkaito02-05R,05L

【論】復次有四種法熏習義故。染法浄法起不断絶。
【論】 (また次に四種の法熏習の義あるが故に、染法・浄法起こりて断絶せず。)

 復次有四種法熏習義故以下。広釈生滅門内有二分中。初正広釈竟在於前。此下第二因言重明。何者。如上文言。此識有二種義。能摂一切法生一切法。然其摂義前已広説。能生之義猶未分明。是故此下広顕是義。Kkaito02-05L
  (「復次有四種法熏習義故〈また次に四種の法熏習の義あるが故に〉」以下は、広く生滅門を釈する内に二分ある中に、初に正しく広く釈すること竟りぬ、前に在り。これより下は第二に言に因りて重ねて明かす。何となれば、上の文にいうが如し。「此識有二種義。能摂一切法生一切法〈この識に二種の義あり。よく一切の法を摂し、一切の法を生ず〉」。然もその摂の義は前に已に広く説きつ。能生の義は猶し未だ分明ならず。この故に、これより下は広くこの義を顕す。)Kkaito02-05L

 文中有五。一者挙数総標。二者依数列名。三者総明熏習之義。四者別顕熏習之相。第五明尽不尽義。Kkaito02-05L
  (文の中に五あり。一には数を挙げて総じて標し、二には数に依りて名を列ね、三には総じて熏習の義を明かし、四には別して熏習の相を顕し、第五には尽・不尽の義を明かす。)Kkaito02-05L

【論】云何為四。一者浄法名為真如。二者一切染因名為無明。三者妄心名為業識。四者妄境界所謂六塵。
【論】 (云何が四となす。一には浄法を名づけて真如となす。二には一切の染因を名づけて無明となす。三には妄心を名づけて業識となす。四には妄境界、所謂六塵なり。)

 挙数。列名。文相可知。Kkaito02-05L
  (数を挙げ名を列ぬ。文相、知るべし。)Kkaito02-05L

【論】熏習義者。如世間衣服実無於香。若人以香而熏習故。則有香気。此亦如是真如浄法。実無於染。但以無明而熏習故。則有染相。無明染法実無浄業。但以真如而熏習故。則有浄用。
【論】 (熏習の義とは、世間の衣服は実に香なし。もし人、香を以て熏習するが故に、則ち香気あるが如し。これまたかくの如く真如の浄法は実に染なし。ただ無明を以て熏習するが故に、則ち染相あり。無明染法は実に浄業なし。ただ真如を以て熏習するが故に則ち浄用あり。)

 第三之中。先喩。後合。合中言真如浄法者。是本覚義。無明染法者。是不覚義。良由一識含此二義。更互相熏。遍生染浄。此意正釈経本所説不思議熏不思議変義也。Kkaito02-05L
  (第三の中に先は喩、後は合。合の中に「真如浄法〈真如の浄法〉」というは、これ本覚の義なり。「無明染法」とは、これ不覚の義なり。良に一の識にこの二義を含むに由りて、更に互相に熏じて遍く染浄を生ず。この意は正しく経本に説く所の不思議熏・不思議変の義を釈するなり。)Kkaito02-05L

 問。摂大乗説。要具四義。方得受熏。故言常法不能受熏。何故此中説熏真如。Kkaito02-05L,06R
  (問。『摂大乗』に説かく。要ず四義を具して、方に熏を受くることを得。故に常法は熏を受くること能わずという。何が故にかこの中には真如を熏ずと説くや。)Kkaito02-05L,06R

 解云。熏習之義有其二種。彼論且約可思議熏。故説常法不受熏也。此論明其不可思議熏。故説無明熏真如。真如熏無明。顕意不同。故不相違。然此文中生滅門内性浄本覚説名真如。故有熏義。非謂真如門中真如。以其真如門中不説能生義。Kkaito02-06R
  (解して云く。熏習の義にその二種あり。彼の論は且く可思議の熏に約するが故に常法は熏を受けずと説くなり。この論はその不可思議熏を明かすが故に、無明は真如を熏じ、真如は無明を熏ずと説く。意を顕すこと不同なるが故に相違せず。然るにこの文の中には生滅門の内の性浄本覚を説きて真如と名づくるが故に熏の義あり。真如門の中の真如を謂うにはあらず。その真如門の中には能生の義を説かざるを以てなり。)Kkaito02-06R

【論】云何熏習起染法不断。
【論】 (云何が熏習して染法を起こして断えざる。)

 云何以下第四別明。於中有二。先染。後浄。染中亦二。先問。後答。答中有二。略明。広顕。Kkaito02-06R
  (「云何」以下は第四に別して明かす。中に於いて二あり。先は染、後は浄なり。染の中にもまた二。先は問、後は答なり。答の中に二あり。略して明かし、広く顕す。)Kkaito02-06R

【論】所謂以依真如法故。有於無明。以有無明染法因故。即熏習真如。以熏習故則有妄心。以有妄心即熏習無明。不了真如法故。不覚念起現妄境界。以有妄境界染法縁故。即熏習妄心。令其念著造種種業。受於一切身心等苦。
【論】 (所謂、真如の法に依るを以ての故に無明あり。無明染法の因あるを以ての故に即ち真如に熏習す。熏習を以ての故に則ち妄心あり。妄心あるを以て即ち無明に熏習す。真如の法を了せざるが故に、不覚の念起こりて妄境界を現ず。妄境界染法の縁あるを以ての故に、即ち妄心に熏習して、それをして念著し種種の業を造りて、一切の身心等の苦を受けしむ。)

 略中言依真如法有無明者。是顕能熏所熏之体也。以有無明熏習真如者。根本無明熏習義也。以熏習故有妄心者。依無明熏有業識心也。以是妄心還熏無明。増其不了。故成転識及現識等。故言不覚念起現妄境界。以是境界還熏現識。故言熏習妄心也。令其念著者。起第七識也。造種種業者。起意識也。受一切苦者。依業受果也。Kkaito02-06R,06L
  (略の中に「依真如法有無明〈真如の法に依るを以ての故に無明あり〉」というは、これ能熏・所熏の体を顕すなり。「以有無明熏習真如〈無明染法の因あるを以ての故に即ち真如に熏習す〉」とは、根本無明熏習の義なり。「以熏習故有妄心〈熏習を以ての故に則ち妄心あり〉」とは、無明の熏に依りて業識の心あるなり。この妄心は還りて無明を熏ずるを以て、その不了を増するが故に転識及び現識等を成ず。故に「不覚念起現妄境界〈不覚の念起こりて妄境界を現ず〉」という。この境界は還りて現識を熏ずるを以ての故に「熏習妄心〈妄心に熏習して〉」というなり。「令其念著〈それをして念著し〉」とは、第七識を起こすなり。「造種種業〈種種の業を造りて〉」とは、意識を起こすなり。「受一切苦〈一切の身心等の苦を受けしむ〉」とは、業に依りて果を受くるなり。)Kkaito02-06R,06L

【論】此妄境界熏習義。則有二種。云何為二。一者増長念熏習。二者増長取熏習。
【論】 (この妄境界熏習の義に則ち二種あり。云何が二となす。一には増長念熏習。二には増長取熏習なり。)

 次広説中。広前三義。従後而説。先明境界。増長念者。以境界力。増長事識中法執分別念也。増長取者。増長四取煩悩障也。Kkaito02-06L
  (次に広説の中に前の三義を広す。後よりして而も説きて、先、境界を明かす。「増長念」とは、境界の力を以て事識の中の法執分別の念を増長す。「増長取」とは、四取の煩悩障を増長す。)Kkaito02-06L

【論】妄心熏習義有二種。云何為二。一者業識根本熏習。能受阿羅漢辟支仏一切菩薩。生滅苦故。二者増長分別事識熏習。能受凡夫。業繋苦故。
【論】 (妄心熏習の義に二種あり。云何が二となす。一には業識根本熏習。能く阿羅漢・辟支仏・一切の菩薩をして生滅の苦を受けしむるが故に。二には増長分別事識熏習。能く凡夫に業繋の苦を受けしむるが故に。)

 妄心熏習中。業識根本熏習者。以此業識能熏無明。迷於無相。能起転相現相相続。彼三乗人出三界時。雖離事識分段麁苦。猶受変易梨耶行苦。故言受三乗生滅苦也。通而論之。無始来有。但為簡麁細二種熏習。故約已離麁苦時説也。増長分別事識熏習者。在於凡位説分段苦也。Kkaito02-06L,07R
  (妄心熏習の中に「業識根本熏習」とは、この業識は能く無明を熏ずるを以て、無相に迷じて能く転相・現相・相続を起こす。彼の三乗の人は三界を出づる時、事識分段の麁苦を離るといえども、猶し変易梨耶の行苦を受くるが故に「受三乗生滅苦〈阿羅漢・辟支仏・一切の菩薩をして生滅の苦を受けしむ〉」というなり。通じてこれを論ぜば、無始より来た有り。但し麁細二種の熏習を簡ばんが為の故に、已に麁苦を離るる時に約して説くなり。「増長分別事識熏習」とは、凡位に在りて分段の苦を説くなり。)Kkaito02-06L,07R

【論】無明熏習義有二種。云何為二。一者根本熏習。以能成就業識義故。二者所起見愛熏習。以能成就分別事識義故。
【論】 (無明熏習の義に二種あり。云何が二となす。一には根本熏習。能く業識を成就する義を以ての故に。二には所起見愛熏習。能く分別事識を成就する義を以ての故に。)

 無明熏習中。根本熏習者。根本不覚也。所起見愛熏習者。無明所起意識。見愛即是枝末不覚義也。Kkaito02-07R
  (無明熏習の中に「根本熏習」とは根本不覚なり。「所起見愛熏習」とは無明所起の意識なり。見愛は即ちこれ枝末不覚の義なり。)Kkaito02-07R

【論】云何熏習起浄法不断。所謂以有真如法。故能熏習無明。以熏習因縁力故。則令妄心厭生死苦。楽求涅槃。
【論】 (云何が熏習は浄法を起こして断ぜざる。所謂、真如の法あるを以ての故に、能く無明に熏習す。熏習の因縁力を以ての故に、則ち妄心をして生死の苦を厭い、涅槃を楽求せしむ。

 云何以下次明浄熏。於中有二。先問。後答。答中亦二。略明。広顕。略中先明真如熏習。次明妄心熏習。Kkaito02-07R
  (「云何」以下は、次に浄熏を明かす。中に於いて二あり。先は問、後は答なり。答の中にもまた二。略して明かし、広く顕すなり。略の中に先ず真如熏習を明かし、次に妄心熏習を明かす。)Kkaito02-07R

【論】以此妄心有厭求因縁故。即熏習真如。自信己性。知心妄動無前境界。修遠離法。以如実知無前境界故。種種方便起随順行。不取不念。乃至久遠熏習力故。無明則滅。以無明滅故。心無有起。以無起故。境界随滅。以因縁倶滅故。心相皆尽。名得涅槃成自然業。
【論】 (この妄心に厭求の因縁あるを以ての故に、即ち真如に熏習して、自ら己性を信ず。心は妄に動じて前の境界なしと知りて、遠離の法を修す。実の如く前の境界なしと知るを以ての故に、種種の方便、随順の行を起こして、取らず、念ぜず、乃至、久遠熏習力の故に。無明則ち滅す。無明滅するを以ての故に、心起こることあることなし。起こることなきを以ての故に、境界随いて滅す。因縁倶に滅するを以ての故に、心相皆尽くるを、涅槃を得て自然の業を成ずと名づく。)

 此中有五。初言以此妄心乃至自信己性者。是明十信位中信也。次言知心妄動無前境界修遠離法者。是顕三賢位中修也。以如実知無前境界故者。是明初地見道唯識観之成也。種種以下乃至久遠熏習力故。是顕十地修道位中修万行也。無明即滅以下。第五顕於果地証涅槃也。Kkaito02-07R,07L
  (この中に五あり。初に「以此妄心(乃至)自信己性〈この妄心に厭求の因縁あるを以ての故に、即ち真如に熏習して、自ら己性を信ず〉」とは、これ十信の位の中の信を明かすなり。次に「知心妄動無前境界修遠離法〈心は妄に動じて前の境界なしと知りて、遠離の法を修す〉」とは、これ三賢の位の中の修を顕すなり。「以如実知無前境界故〈実の如く前の境界なしと知るを以ての故に〉」とは、これ初地見道の唯識観の成ずることを明かすなり。「種種」以下、乃至「久遠熏習力故」は、これ十地修道位の中に万行を修することを顕すなり。「無明即滅」以下は、第五に果地に涅槃を証することを顕すなり。)Kkaito02-07R,07L

【論】妄心熏習義。有二種。云何為二。一者分別事識熏習。依諸凡夫二乗人等。厭生死苦。随力所能。以漸趣向無上道故。
【論】 (妄心熏習の義に二種あり。云何が二となす。一には分別事識熏習。諸の凡夫二乗の人等に依りて、生死の苦を厭い、力の所能に随いて、漸く無上道に趣向するを以ての故に。)

 次広説中。先明妄熏。於中分別事識者。通而言之。七識皆名分別事識。就強而説。但取意識。以分別用強。通縁諸事故。今此文中就強而説。此識不知諸塵唯識。故執心外実有境界。凡夫二乗雖有趣向。而猶計有生死可厭。涅槃可欣。不異分別事識之執。故名分別事識熏習。Kkaito02-07L
  (次に広説の中に、先ず妄熏を明かす。中に於いて「分別事識」とは、通じてこれを言わば、七識皆、分別事識と名づく。強に就きて而も説きて、但し意識を取る。分別の用強きを以て、通じて諸事を縁ずるが故に、今この文の中には強に就きて而も説く。この識は諸塵の唯識を知らざるが故に、心外に実に境界ありと執す。凡夫二乗は趣向ありといえども、猶し生死は厭うべく、涅槃は欣うべき有りと計して、分別事識の執に異ならざるが故に「分別事識熏習」と名づく。)Kkaito02-07L

【論】二者意熏習。謂諸菩薩発心勇猛。速趣涅槃故。
【論】 (二には意熏習。謂く、諸の菩薩は発心勇猛にして速やかに涅槃に趣くが故に。)

 意熏習者。亦名業識熏習。通而言之。五種之識皆名為意。義如上説。就本而言。但取業識。以最微細作諸識本。故於此中業識名意。如是業識見相未分。然諸菩薩知心妄動無別境界。解一切法唯是識量。捨前外執。順業識義。故名業識熏習。亦名為意熏習。非謂無明所起業識。即能発心修諸行也。Kkaito02-07L,08R
  (「意熏習」とは、また業識熏習と名づく。通じてこれを言わば、五種の識を皆名づけて意と為す。義は上に説くが如し。本に就きて言わば、但し業識を取る。最も微細にして諸識の本と作るを以ての故に、この中に於いては業識を意と名づく。かくの如く業識は見相未だ分れず。然も諸の菩薩は心妄動して別の境界なしと知り、一切の法は唯しこれ識量なりと解して、前の外執を捨てて、業識の義に順ずるが故に業識熏習と名づけ、または名づけて意熏習と為す。無明所起の業識は即ち能く発心して諸行を修すと謂うにはあらず。)Kkaito02-07L,08R

【論】真如熏習義有二種。云何為二。一者自体相熏習。二者用熏習。自体相熏習者。従無始世来具無漏法。備有不思議業。作境界之性。依此二義。恒常熏習。以有熏習力故。能令衆生厭生死苦。楽求涅槃。自信己身有真如法。発心修行。
【論】 (真如熏習の義に二種あり。云何が二となす。一には自体相熏習、二には用熏習なり。自体相熏習とは、無始世より来た無漏の法を具して、備に不思議の業ありて、境界の性と作る。この二義に依りて、恒常に熏習す。熏習力あるを以ての故に、能く衆生をして生死の苦を厭い、涅槃を楽求し、自ら己身に真如の法ありと信じて、発心修行せしむ。)

 真如熏習中有三。一者挙数総標。二者依数列名。三者弁相。弁相中有二。一者別明。二者合釈。初別明中。先明自体熏習。於中有二。一者直明。二者遣疑。Kkaito02-08R
  (真如熏習の中に三あり。一には数を挙げて総じて標し、二には数に依りて名を列ね、三には相に弁ず。相を弁ずる中に二あり。一には別して明かし、二には合して釈す。初に別して明かす中に、先ず自体の熏習を明かす。中に於いて二あり。一には直ちに明かし、二には疑を遣る。)Kkaito02-08R

 初中言具無漏法備有不思議業者。是在本覚不空門也。作境界之性者。是就如実空門境説也。依此本有境智之力。冥熏妄心。令起厭楽等也。Kkaito02-08R
  (初の中に「具無漏法備有不思議業〈無漏の法を具して、備に不思議の業あり〉」とは、これ本覚の不空門に在り。「作境界之性〈境界の性と作る〉」とは、これ如実空門の境に就きて説く。この本有境智の力に依りて、冥に妄心を熏じて、厭楽等を起こせしむるなり。)Kkaito02-08R

【論】問曰。若如是義者。一切衆生悉有真如。等皆熏習。云何有信無信無量前後差別。皆応一時自知有真如法。勤修方便等入涅槃。
【論】 (問いて曰く。もしかくの如き義ならば、一切衆生は悉く真如ありて、等しくみな熏習せん。云何が信無信無量前後の差別ある。みな応に一時に自ら真如の法ありと知りて、勤修方便して等しく涅槃に入るべし。)

 問曰以下。往復除疑。問意可知。Kkaito02-08R
  (「問曰」以下は、往復して疑を除く。問の意は知りぬべし。)Kkaito02-08R

【論】答曰。真如本一。而有無量無辺無明。従本已来自性差別厚薄不同故。過恒沙等上煩悩。依無明起差別。我見愛染煩悩。依無明起差別。如是一切煩悩。依於無明所起前後無量差別。唯如来能知故。
【論】 (答えて曰く。真如は本〈もと〉一。而して無量無辺の無明ありて、本より已来た自性差別し、厚薄同じからざるが故に。恒沙等の上に過ぐる煩悩〈過恒沙等の上の煩悩〉は、無明に依りて起こる差別あり。我見愛染の煩悩は無明に依りて起こる差別あり。かくの如き一切の煩悩は、無明に依りて起こる所の前後無量の差別あり。ただ如来のみ能く知るが故に。)

 答中有二。初約煩悩厚薄明其不等。後挙遇縁参差顕其不等。初中言過恒沙等上煩悩者。迷諸法門事中無知。此是所知障所摂也。我見愛染煩悩者。此是煩悩障所摂也。答意可知。Kkaito02-08R,L
  (答の中に二あり。初には煩悩の厚薄に約して、その等しからざることを明かし、後には遇縁の参差を挙げて、その等しからざることを顕す。初の中に「過恒沙等上煩悩」というは、諸の法門に迷する事の中の無知なり。これはこれ所知障の所摂なり。「我見愛染煩悩」とは、これはこれ煩悩障の所摂なり。答の意、知りぬべし。)Kkaito02-08R,08L

【論】又諸仏法有因有縁。因縁具足乃得成弁。
【論】 (また諸仏の法は因あり縁あり。因縁具足して乃ち成弁することを得。)

【論】如木中火性是火正因。若無人知不仮方便。能自焼木無有是処。衆生亦爾。雖有正因熏習之力。若不遇諸仏菩薩善知識等以之為縁。能自断煩悩入涅槃者。則無是処。若雖有外縁之力。而内浄法未有熏習力者。亦不能究竟厭生死苦楽求涅槃。
【論】 (木中の火性はこれ火の正因。もし人の知ることなく、方便を仮らずして、能く自ら木を焼くこと、この処あることなきが如し。衆生もまた爾り。正因熏習の力ありといえども、もし諸仏菩薩善知識等に遇いて、これを以て縁となさざれば、能く自ら煩悩を断じて涅槃に入ることは、則ちこの処なし。もし有外縁の力ありといえども、内の浄法未だ熏習の力あらざる者は、また究竟して生死の苦を厭い、涅槃を楽求すること能わず。)

【論】若因縁具足者。所謂自有熏習之力。又為諸仏菩薩等慈悲願護故。能起厭苦之心。信有涅槃。修習善根。以修善根成熟故。則値諸仏菩薩。示教利喜。乃能進趣。向涅槃道。
【論】 (もし因縁具足するは、所謂、自ら熏習の力あり、また諸仏菩薩等のために慈悲願護せらるるが故に。能く厭苦の心を起こし、涅槃あることを信じ、善根を修習す。善根を修すること成熟するを以ての故に、則ち諸仏菩薩に値い、示教利喜して、乃ち能く進趣して、涅槃の道に向かう。)

 又諸仏以下。明縁参差。有法喩合。文相可見也。Kkaito02-08L
  (「又諸仏」以下は、縁の参差を明かす。法・喩・合あり。文相、見つべきなり。)Kkaito02-R,L

【論】用熏習者。即是衆生外縁之力。如是外縁有無量義。略説二種。云何為二。一者差別縁。二者平等縁。
【論】 (用熏習とは、即ちこれ衆生外縁の力。かくの如きの外縁に無量の義あり。略して説くに二種あり。云何が二となす。一には差別縁、二には平等縁なり。)

 用熏習中。文亦有三。所謂総標。列名。弁相。第二列名中差別縁者。為彼凡夫二乗分別事識熏習而作縁也。能作縁者。十信以上乃至諸仏皆得作縁也。平等縁者。為諸菩薩業識熏習而作縁也。能縁者。初地以上乃至諸仏。要依同体智力。方作平等縁故。Kkaito02-08L
  (用熏習の中の文にもまた三あり。謂う所の総標、列名、弁相なり。第二の列名の中に「差別縁」とは、彼の凡夫二乗の分別事識の熏習の為に縁と作るなり。能作縁の者は十信以上、乃至、諸仏、皆、縁と作ることを得るなり。「平等縁」とは、諸の菩薩の業識熏習の為に縁と作るなり。能縁の者は初地以上、乃至、諸仏。要ず同体の智力に依りて方に平等縁と作るが故に。)Kkaito02-08L

【論】差別縁者。此人依於諸仏菩薩等。従初発意始求道時。乃至得仏。於中若見若念。或為眷属父母諸親。或為給使。或為知友。或為冤家。或起四摂。乃至一切所作。無量行縁。以起大悲熏習之力。能令衆生増長善根。若見若聞得利益故。
【論】 (差別縁とは、この人は諸仏菩薩等に依りて、初発意に始めて道を求むる時より、乃至、仏を得るまで、中に於いて、もしは見、もしは念ず。或いは眷属父母諸親となり、或いは給使となり、或いは知友となり、或いは冤家となり、或いは四摂を起こす。乃至、一切の所作、無量の行縁、大悲を起こす熏習の力を以て、能く衆生をして善根を増長し、もしは見、もしは聞き、利益を得しむるが故に。)

 第三弁相中。先明差別縁。於中有二。合明。開釈。Kkaito02-08L
  (第三に弁相の中に、先ず差別縁を明かす。中に於いて二あり。合して明かし、開して釈す。)Kkaito02-08L

【論】此縁有二種。云何為二。一者近縁。速得度故。二者遠縁。久遠得度故。是近遠二縁分別。復有二種。云何為二。一者増長行縁。二者受道縁。
【論】 (この縁に二種あり。云何が二となす。一には近縁。速かに度することを得るが故に。二には遠縁。久遠に度することを得るが故に。この近遠の二縁を分別するに、また二種あり。云何が二となす。一には増長行縁、二には受道縁なり。)

 開釈中亦有二。先開近遠二縁。後開行解二縁。増長行縁者。能起施戒等諸行故。受道縁者。起聞思修而入道故。Kkaito02-08L,09R
  (開釈の中にまた二あり。先は近遠の二縁を開き、後は行解の二縁を開く。「増長行縁」とは、能く施戒等の諸行を起こすが故に。「受道縁」とは、聞思修を起こして道に入るが故に。)Kkaito02-08L,09R

【論】平等縁者。一切諸仏菩薩。皆願度脱一切衆生。自然熏習。常恒不捨。以同体智力故。随応見聞而現作業。所謂衆生。依於三昧。乃得平等見諸仏故。
【論】 (平等縁とは、一切の諸仏菩薩は、みな一切衆生を度脱せんと願い、自然に熏習して、常恒に捨てず。同体の智力を以ての故に、見聞に応ずるに随いて作業を現ず。所謂衆生は、三昧に依りて、乃ち平等に諸仏を見ることを得るが故に。)

 平等縁中有二。先明能作縁者。所謂以下。釈平等義。依於三昧平等見者。十解以上諸菩薩等。見仏報身無量相好。皆無有辺。離分斉相。故言平等見諸仏也。若在散心。不能得見如是相好離分斉相。以是故言依於三昧也。Kkaito02-09R
  (平等縁の中に二あり。先は能作縁の者を明かし、「所謂」以下は平等の義を釈す。「依於三昧平等見〈三昧に依りて、乃ち平等に諸仏を見ることを得るが故に〉」とは、十解以上の諸の菩薩等は、仏の報身の無量の相好は、皆、辺あることなしと見て、分斉の相を離するが故に「平等見諸仏〈平等に諸仏を見る〉」というなり。もし散心に在りては、かくの如きの相好は分斉の相を離れたりと見ることを得ること能わず。これを以ての故に「依於三昧〈三昧に依りて〉」というなり。)Kkaito02-09R

 上来別明体用熏習竟。Kkaito02-09R
  (上来は別して体用熏習を明かし竟りぬ。)Kkaito02-09R

【論】此体用熏習分別。復有二種。云何為二。一者未相応。謂凡夫二乗初発意菩薩等。以意意識熏習。依信力故。而能修行。
【論】 (この体用熏習を分別するに、また二種あり。云何が二となす。一には未相応。謂く、凡夫二乗初発意の菩薩等は意と意識との熏習を以て、信力に依るが故に、而して能く修行す。)

 此下第二合釈体用。於中有二。総標。別釈。Kkaito02-09R
  (これより下は、第二に合して体用を釈す。中に於いて二あり。総標、別釈なり。)Kkaito02-09R

 別釈中。先明未相応中。言意意識熏習者。凡夫二乗名意識熏習。即是分別事識熏習。初発意菩薩等者。十解以上名意熏習。即是業識熏習之義。如前説也。Kkaito02-09R
  (別釈の中に、先ず未相応を明かす中に「意意識熏習」というは、凡夫二乗を意識熏習と名づく。即ちこれ分別事識熏習なり。「初発意菩薩等」とは、十解以上を意熏習と名づく。即ちこれ業識熏習の義なり。前に説くが如し。)Kkaito02-09R

【論】未得無分別心与体相応故。未得自在業修行与用相応故。
【論】 (未だ無分別心は体と相応することを得ざるが故に。未だ自在業の修行は用と相応することを得ざるが故に。)

 未得無分別心与体相応者。未得与諸仏法身之体相応故。未得自在業与用相応故者。未得与仏応化二身之用相応故。Kkaito02-09R,09L
  (「未得無分別心与体相応〈未だ無分別心は体と相応することを得ず〉」とは、未だ諸仏法身の体と相応することを得ざるが故に。「未得自在業与用相応故〈未だ自在業の修行は用と相応することを得ざるが故に〉」とは、未だ仏の応化二身の用と相応することを得ざるが故に。)Kkaito02-09R,09L

【論】二者已相応。謂法身菩薩得無分別心。与諸仏自体相応。得自在業。与諸仏智用相応。唯依法力自然修行。熏習真如滅無明故。
【論】(二には已相応。謂く、法身の菩薩は無分別心を得て、諸仏の自体と相応し、自在の業を得て、諸仏の智用と相応す。ただ法力に依りて自然に修行して、真如に熏習して無明を滅するが故に。)

 已相応中。法身菩薩者。十地菩薩。得無分別心者。与体相応故。与諸仏智用相応者。以有如量智故。自然修行者。八地以上無功用故。Kkaito02-09L
  (已相応の中に「法身菩薩」とは十地の菩薩なり。「得無分別心〈無分別心を得て〉」とは、体と相応するが故に。「与諸仏智用相応〈諸仏の智用と相応す〉」とは、如量智あるを以ての故に。「自然修行」とは、八地以上は無功用なるが故に。)Kkaito02-09L

 因言重顕有五分中。第四別明二種熏習竟在於前。Kkaito02-09L
  (言に因りて重ねて顕すに五分ある中に、第四に別して二種の熏習を明かすこと竟りぬ、前に在り。)Kkaito02-09L

【論】復次染法。従無始已来熏習不断。乃至得仏後則有断。浄法熏習。則無有断尽於未来。此義云何。以真如法常熏習故。妄心則滅。法身顕現起用熏習。故無有断。
【論】 (また次に、染法は無始より已来た熏習して断ぜず。乃至、仏を得て後に則ち断ずることあり。浄法熏習は、則ち断ずることあることなく、未来を尽くす。この義云何。真如の法は常に熏習するを以ての故に、妄心則ち滅すれば、法身顕現して、用熏習を起こす故に断ずることあることなし。)

 此下第五明二種熏尽不尽義。欲明染熏違理而起故有滅尽。浄法之熏順理而生。与理相応故無滅尽。文相可知。Kkaito02-09L
  (これより下は第五に二種の熏の尽不尽の義を明かす。染熏は理に違して起こるが故に滅尽あり、浄法の熏は理に順じて生ずれば、理と相応するが故に滅尽なきことを明かさんと欲す。文相、知りぬべし。)Kkaito02-09L

 顕示正義分内正釈之中。大有二分。第一釈法章門竟在於前。Kkaito02-09L
  (顕示正義の分の内の正釈の中に、大きに二分ある、第一に法を釈する章門、竟わりぬ、前に在り。)Kkaito02-09L

【論】復次真如自体相者。一切凡夫声聞縁覚菩薩諸仏。無有増減。非前際生。非後際滅。畢竟常恒。
【論】 (また次に真如の自体相とは、一切の凡夫・声聞・縁覚・菩薩・諸仏は、増減あることなく、前際に生ずるにあらず、後際に滅するにあらず、畢竟して常恒なり。)

 此下第二釈義章門。上立義中立二種義。所謂大義及与乗義。今此文中。正釈大義。兼顕乗義。於中有二。一者総釈体相二大。二者別解用大之義。Kkaito02-09L,10R
  (これより下は第二に義を釈する章門なり。上の立義の中に二種の義を立つ。所謂、大の義と及び乗の義となり。今この文の中には、正しく大の義を釈し、兼ねては乗の義を顕す。中に於いて二あり。一には総じて体相二大を釈し、二には別して用大の義を解す。)Kkaito02-09L,10R

 初中言自体相者。総牒体大相大之義也。次言一切凡夫乃至諸仏無有増減畢竟常住者。是釈体大。上立義中言一者体大。謂一切法真如平等不増減故。Kkaito02-10R
  (初の中に「自体相」というは、総じて体大・相大の義を牒すなり。次に「一切凡夫(乃至)諸仏無有増減畢竟常住〈一切の凡夫・声聞・縁覚・菩薩・諸仏は、増減あることなく、前際に生ずるにあらず、後際に滅するにあらず、畢竟して常恒なり〉)というは、これ体大を釈す。上の立義の中に「一者体大。謂一切法真如平等不増減〈一には体。謂く、一切の法は真如平等にして増減せず〉」というが故に。)Kkaito02-10R

【論】従本已来自性満足一切功徳。所謂自体有大智慧光明義故。遍照法界義故。真実識知義故。自性清浄心義故。常楽我浄義故。清涼不変自在義故。具足如是過於恒沙不離不断不異不思議仏法。乃至満足無有所少義故。名為如来蔵。亦名如来法身。
【論】 (本より已来た自性に一切の功徳を満足す。所謂、自体に大智慧光明の義あるが故に、遍照法界の義の故に、真実識知の義の故に、自性清浄心の義の故に、常楽我浄の義の故に、清涼不変自在の義の故に。かくの如きの恒沙を過ぐる不離・不断・不異・不思議の仏法を具足し、乃至、満足して少くる所あることなき義の故に、名づけて如来蔵となし、また如来法身と名づく。)

 次言従本以来性自満足以下。釈相大義。上言二者相大。謂如来蔵具足無漏性功徳故。文中有二。一者直明性功徳相。二者往復重顕所以。Kkaito02-10R
  (次「従本以来性自満足〈本より已来た自性に一切の功徳を満足す〉」というより以下は、相大の義を釈す。上に「二者相大。謂如来蔵具足無漏性功徳〈二には相大。謂く。如来蔵は無量の性功徳を具足す〉」というが故に。文の中に二あり。一には直ちに性功徳の相を明かし、二には往復して重ねて所以を顕す。)Kkaito02-10R

【論】問曰。上説真如其体平等離一切相。云何復説体有如是種種功徳。答曰。雖実有此諸功徳義。而無差別之相。等同一味唯一真如。此義云何。以無分別離分別相。是故無二。
【論】 (問いて曰く。上に真如はその体平等にして一切の相を離ると説く。云何ぞまた体にかくの如きの種種の功徳ありと説くや。答えて曰く。実にこの諸の功徳の義ありといえども、而も差別の相なし。等同一味にして唯だ一真如なり。この義云何ん。無分別は分別の相を離るるを以て、この故に無二なり。)

 問意可知。答中有二。総答。別顕。別顕之中。先明差別之無二義。後顕無二之差別義。此中亦二。略標。広釈。Kkaito02-10R
  (問の意、知りぬべし。答の中に二あり。総じて答し、別して顕す。別して顕す中に、先は差別の無二の義を明かし、後は無二の差別の義を顕す。この中にまた二。略して標し、広く釈す。)Kkaito02-10R

【論】復以何義得説差別。以依業識生滅相示。
【論】 (また何の義を以て差別を説くことを得る。業識生滅相に依りて示すを以て。)

 略標中。言以依業識生滅相示者。生滅相内有諸過患。但挙其本。故名業識。対此諸患。説諸功徳也。Kkaito02-10R
  (略して標する中に、「以依業識生滅相示〈業識生滅相に依りて示すを以て〉」というは、生滅相の内に諸の過患あり。但しその本を挙ぐるが故に業識と名づく。この諸患に対して諸の功徳を説くなり。)Kkaito02-10R

【論】此云何示。以一切法本来唯心。実無於念而有妄心。不覚起念。見諸境界故説無明。心性不起。即是大智慧光明義故。
【論】 (これ云何が示す。一切の法は本来た唯心にして、実に念なきも而も妄心あり。覚せず念を起こして、諸の境界を見るを以ての故に無明と説く。心性は起こらず。即ちこれ大智慧光明の義の故に。)

【論】若心起見則有不見之相。心性離見。即是遍照法界義故。
【論】 (もし心の、見を起こさば、則ち不見の相あり。心性は見を離る。即ちこれ遍照法界の義の故に。)

【論】若心有動。非真識知。無有自性。非常非楽非我非浄。熱悩衰変則不自在。乃至。具有過恒沙等妄染之義。対此義故。心性無動。則有過恒沙等諸浄功徳相義示現。
【論】 (もし心に動あるは、真の識知にあらず。自性あることなし。常にあらず、楽にあらず、我にあらず、浄にあらず、熱悩衰変して則ち自在ならず。乃至、具に過恒沙等の妄染の義あり。この義に対するが故に、心性に動なければ、則ち過恒沙等の諸の浄功徳の相の義の示現することあり。)

【論】若心有起。更見前法可念者。則有所少。如是浄法無量功徳。即是一心。更無所念。是故満足名為法身如来之蔵。
【論】 (もし心の起こることありて更に前法の念ずべきことを見る者は、則ち少くる所あり。かくの如く浄法の無量の功徳は即ちこれ一心にして、更に念ずる所なし。この故に満足するを名づけて法身如来の蔵となす。)

 此云何示以下。別対衆過以顕徳義。文相可知。Kkaito02-10L
  「此云何示〈これ云何が示す〉」以下は、別して衆過に対して以て徳義を顕す。文相、知りぬべし。)Kkaito02-10L

【論】復次真如用者。所謂諸仏如来。本在因地発大慈悲。修諸波羅蜜。摂化衆生。
【論】 (また次に真如の用とは、謂う所の諸仏如来は本〈もと〉因地に在りて、大慈悲を発し、諸波羅蜜を修し、衆生を摂化す。)

 復次真如用者以下。第二別釈用大之義。於中有二。総明。別釈。初中亦二。一者対果挙因。二牒因顕果。初挙因中亦有三句。先行。次願。後明方便。初言諸仏本在因地乃至摂化衆生者。挙本行也。Kkaito02-10L
  (「復次真如用者〈また次に真如の用とは〉」以下は、第二に別して用大の義を釈す。中に於いて二あり。総じて明かし、別して釈す。初の中にまた二。一には果に対して因を挙げ、二には因を牒して果を顕す。初に因を挙ぐる中に、また三句あり。先は行。次は願。後は方便を明かす。初に「諸仏本在因地〈乃至〉摂化衆生」というは、本行を挙ぐるなり。)Kkaito02-10L

【論】立大誓願。尽欲度脱等衆生界。亦不限劫数。尽於未来。
【論】 (大誓願を立て、尽く等しく衆生界を度脱せんと欲す。また劫数を限らず、未来を尽くす。)

 次言立大誓願乃至尽於未来者。挙本願也。Kkaito02-10L
  (次に「立大誓願〈乃至〉尽於未来」というは、本願を挙ぐるなり。)Kkaito02-10L

【論】以取一切衆生如己身故。而亦不取衆生相。此以何義。謂如実知一切衆生及与己身。真如平等無別異故。
【論】 (一切衆生を取りて己身の如くなるを以ての故に。また衆生の相を取らず。これ何の義を以てぞ。謂く、如実に一切衆生と及び己身と、真如平等にして別異なきことを知るが故に。)

 次言以取衆生乃至真如平等者。是挙智悲大方便也。Kkaito02-10L
  (次に「以取衆生〈乃至〉真如平等」というは、これ智悲の大方便を挙ぐるなり。)Kkaito02-10L

【論】以有如是大方便智。
【論】 (かくの如き大方便智あるを以て。)

 以有以下。第二顕果。於中亦三。初言以有如是大方便智者。牒前因也。Kkaito02-10L
  (「以有」以下は、第二に果を顕す。中に於いてまた三。初に「以有如是大方便智〈かくの如き大方便智あるを以て〉」というは、前の因を牒するなり。)Kkaito02-10L

【論】除滅無明。見本法身。
【論】 (無明を除滅して本法身を見る。)

 次言除滅無明見本法身者。自利果也。Kkaito02-R,L
  (次に「除滅無明見本法身〈無明を除滅して本法身を見る〉」というは、自利の果なり。)Kkaito02-10L

【論】自然而有不思議業種種之用。即与真如等遍一切処。又亦無有用相可得。何以故。謂諸仏如来唯是法身。智相之身。第一義諦。無有世諦境界。離於施作。但随衆生見聞得益。故説為用。
【論】 (自然に不思議の業、種種の用あり。即ち真如と等しく一切処に遍ず。またまた用相の得べきことあることなし。何を以ての故に。謂く、諸仏如来は唯これ法身、智相の身、第一義諦。世諦の境界あることなし。施作を離れ、ただ衆生の見聞に随いて益を得るが故に説きて用となす。)

 自然以下。正顕用相。此中三句。初言不思議業種種之用者。明用甚深也。次言則与真如等遍一切処者。顕用広大也。又亦以下。明用無相而随縁用。如摂論言譬如摩尼天鼓無思成自事。此之謂也。総明用竟。Kkaito02-10L,11R
  (「自然」以下は、正しく用相を顕す。この中に三句あり。初に「不思議業種種之用」というは、用の甚深を明かすなり。次に「則与真如等遍一切処〈則ち真如と等しく一切処に遍ず〉」というは、用の広大を顕すなり。「又亦」以下は、用無相にして随縁の用なることを明かす。『摂論』にいうが如し。「譬えば摩尼天鼓の思いなくして自事を成ずるが如し」と。これこの謂なり。総じて用を明かし竟りぬ。Kkaito02-10L,11R

【論】此用有二種。云何為二。一者依分別事識。凡夫二乗心所見者。名為応身。以不知転識現故。見従外来。取色分斉。不能尽知故。
【論】 (この用に二種あり。云何が二となす。一には分別事識に依りて、凡夫二乗の心の見る所の者を名づけて応身となす。転識の現ずるを知らざるを以ての故に、外より来たると見て、色の分斉を取りて、尽く知ること能わざるが故に。)

 此用以下。第二別釈。於中有三。総標。別解。往復除疑。別解中亦有二。一者直顕別用。二者重牒分別。初中亦二。先明応身。後顕報身。Kkaito02-11R
  (「此用」以下は第二に別して釈す。中に於いて三あり。総じて標し、別して解し、往復して疑を除く。別して解する中に、また二あり。一には直ちに別用を顕し、二には重ねて分別を牒す。初の中にまた二。先は応身を明かし、後は報身を顕す。)Kkaito02-11R

 初中言依分別事識者。凡夫二乗未知唯識。計有外塵。即是分別事識之義。今見仏身。亦計心外。順意識義。故説依分別事識見。此人不知依自転識能現色相。故言不知転識現故見従外来。然其所見有分斉色。即無有辺離分斉相。彼人唯取有分斉義。未解分斉則無有辺。故言取色分斉不能尽知故也。Kkaito02-11R,11L
  (初の中に「依分別事識」というは、凡夫二乗は未だ唯識を知らず、外塵ありと計す。即ちこれ分別事識の義なり。今、仏身を見て、また心外と計す。意識の義に順ずるが故に分別事識に依りて見ると説く。この人は自の転識に依りて能く色相を現ずと知らざるが故に「不知転識現故見従外来〈転識の現ずるを知らざるを以ての故に、外より来たると見て〉」という。然もその所見に分斉の色あり。即ち辺あることなくして分斉の相を離る。彼の人は、ただ分斉の義ありと取りて、未だ分斉則ち辺あることなしと解せせざるが故に「取色分斉不能尽知故〈色の分斉を取りて、尽く知ること能わざるが故に〉」というなり。Kkaito02-11R,11L

【論】二者依於業識。謂諸菩薩。従初発意。乃至菩薩究竟地心所見者。名為報身。
【論】 (二には業識に依る。謂く、諸の菩薩、初発意より、乃至、菩薩究竟地の心の所見を名づけて報身となす。)

 報身中言依於業識者。十解以上菩薩。能解唯心。無外塵義。順業識義以見仏身。故言依於業識見也。Kkaito02-11L
  (報身の中に「依於業識」というは、十解以上の菩薩は能く唯心にして外塵なき義を解す。業識の義に順じて仏身を見るを以ての故に、依於業識見〈業識に依りて見る〉というなり。Kkaito02-11L

【論】身有無量色。色有無量相。相有無量好。所住依果亦有無量種種荘厳。随所示現。即無有辺。不可窮尽。離分斉相。随其所応。常能住持不毀不失。
【論】 (身に無量の色あり。色に無量の相あり。相に無量の好あり。所住の依果は、また無量種種の荘厳あり。示現する所に随いて、即ち辺あることなく、窮尽すべからず。分斉の相を離る。その所応に随いて、常に能く住持して毀せず失せず。)

【論】如是功徳。皆因諸波羅蜜等無漏行熏。及不思議熏之所成就。具足無量楽相故。説為報身。
【論】 (かくの如きの功徳は、みな諸の波羅蜜等の無漏の行熏、及び不思議熏の成就する所に因りて、無量の楽相を具足するが故に、説きて報身となす。)

 然此菩薩知其分斉即無分斉。故言随所示現即無有辺乃至不毀不失也。此無障礙不思議事。皆由六度深行之熏。及与真如不思議熏之所成就。依是義故名為報身。故言乃至具足無量楽相故説為報也。Kkaito02-11L
  (然もこの菩薩は、その分斉即ち分斉なしと知るが故に「随所示現即無有辺(乃至)不毀不失」というなり。この無障礙不思議の事は皆、六度深行の熏と、及び真如不思議熏との成就する所に由る。この義に依るが故に名ずけて報身となす。故に「(乃至)具足無量楽相故説為報〈無量の楽相を具足するが故に、説きて報身となす〉」というなり。Kkaito02-11L

 然此二身。経論異説。同性経説。穢土成仏名為化身。浄土成道名報身。金鼓経説。三十二相八十種好等相。名為応身。随六道相所現之身名為化身。依摂論説。地前所見名変化身。地上所見名受用身。今此論中。凡夫二乗所見六道差別之相。名為応身。十解已上菩薩所見離分斉色。名為報身。所以如是有不同者。法門無量。非唯一途故。随所施設皆有道理故。摂論中。為説地前散心所見有分斉相。故属化身。今此論中。明此菩薩三昧所見離分斉相。故属報身。由是道理。故不相違也。Kkaito02-11L,12R
  (然もこの二身、経論の異説なり。『同性経』に説かく「穢土の成仏を名づけて化身となし、浄土の成道を報身と名づく」と。『金鼓経』に説かく「三十二相八十種好等の相を名づけて応身となし、六道の相に随いて現ずる所の身を名づけて化身となす」と。『摂論』の説に依るに、地前の所見を変化身と名づけ、地上の所見を受用身と名づくと。今この論の中には、凡夫二乗の所見、六道差別の相を名づけて応身となし、十解已上の菩薩の所見、分斉の色を離るるを名づけて報身となす。かくの如く不同ある所以は、法門無量にして唯一途にあらざるが故に、施設する所に随いて皆、道理あるが故に、『摂論』の中には地前の散心の所見に分斉の相ありと説くが為の故に化身に属す。今この論の中にこの菩薩の三昧の所見は分斉の相を離るることを明かすが故に報身に属す。この道理に由るが故に相違せず。)Kkaito02-11L,12R

【論】又為凡夫所見者。是其麁色。随於六道各見不同。種種異類非受楽相。故説為応身。
【論】 (また凡夫の所見と為るは、これその麁色なり。六道に随いて、おのおの見ること同じからず。種種の異類、受楽の相にあらず。故に説いて応身となす。)

 又凡夫所見以下。第二重牒分別。先明応身。文相可知。Kkaito02-12R
  (「又凡夫所見」以下は、第二に重ねて分別を牒す。先は応身を明かす。文相、知りぬべし。)Kkaito02-12R

【論】復次初発意菩薩等所見者。以深信真如法故。少分而見。知彼色相荘厳等事無来無去。離於分斉。唯依心現不離真如。然此菩薩。猶自分別以未入法身位故。若得浄心所見微妙其用転勝。乃至菩薩地尽。見之究竟。若離業識則無見相。以諸仏法身。無有彼此色相迭相見故。
【論】 (また次に初発意の菩薩等の所見は、深く真如の法を信ずるを以ての故に、少分に見る。彼の色相荘厳等の事は、来なく去なく、分斉を離る。ただ心に依りて現じて真如を離れずと知る。然るにこの菩薩は、なお自分別して未だ法身の位に入らざるを以ての故に。もし浄心を得れば、所見微妙にして、その用は転た勝なり。乃至、菩薩地尽にこれを見ること究竟す。もし業識を離るれば則ち見相なし。諸仏の法身は、彼此の色相迭いに相い見ることあることなきを以ての故に。)

 復次以下。顕報身相。於中有二。先明地前所見。後顕地上所見。初中言以深信真如法故少分而見者。如十解中。依人空門。見真如理。是相似解故。名少分也。若得浄心以下。顕地上所見。若離業識則無見相者。要依業識。乃有転相及与現相。故離業識。即無見相也。Kkaito02-12R,12L
  (「復次」以下は報身の相を顕す。中に於いて二あり。先は地前の所見を明かし、後は地上の所見を顕す。初の中に「以深信真如法故少分而見〈深く真如の法を信ずるを以ての故に、少分に見る〉」というは、『十解』の中の如きは、人空門に依りて真如の理を見る。これ相似の解なるが故に少分と名づくるなり。「若得浄心〈もし浄心を得れば〉」以下は、地上の所見を顕す。「若離業識則無見相〈もし業識を離るれば則ち見相なし〉」とは、要ず業識に依りて、乃し転相と及び現相とあるが故に、業識を離れては、即ち見相なし。)Kkaito02-12R,12L

【論】問曰。若諸仏法身離於色相者。云何能現色相。
【論】 (問いて曰く。もし諸仏の法身は色相を離れては、云何ぞ能く色相を現ずる。)

【論】答曰。即此法身是色体故。能現於色。所謂従本已来色心不二。以色性即智故。色体無形説名智身。以智性即色故。説名法身遍一切処。
【論】 (答えて曰く。即ちこの法身はこれ色の体なるが故に、能く色を現ず。謂う所、本より已来た色心不二なり。色性即ち智なるを以ての故に、色体無形なるを説きて智身と名づく。智性は即ち色なるを以ての故に、説きて法身は一切処に遍ずと名づく。)

【論】所現之色無有分斉。随心能示十方世界。無量菩薩。無量報身。無量荘厳。各各差別皆無分斉。而不相妨。此非心識分別能知。以真如自在用義故。
【論】 (所現の色に分斉あることなし。心に随いて能く十方世界の無量の菩薩、無量の報身、無量の荘厳、各各差別して皆、分斉なくして、而も相い妨げざることを示す。これ心識分別の能く知るにあらず。真如自在の用の義なるを以ての故に。)

 問曰以下。往復除疑。文相可見。顕示正義之内大分有二。第一正釈所立法義竟在於前。Kkaito02-12L
  (「問曰」以下は往復して疑を除く。文相、見つべし。顕示正義の内、大いに分かつに二あり。第一には正しく所立の法義を釈し竟りぬ、前に在り。)Kkaito02-12L

【論】復次顕示従生滅門即入真如門。所謂推求五陰色之与心。六塵境界畢竟無念。以心無形相。十方求之終不可得。
【論】 (また次に生滅門より即ち真如門に入ることを顕示す。所謂、五陰を推求するに色と心となり。六塵の境界は畢竟じて無念なり。心に形相なく、十方にこれを求むるに終に不可得なるを以て。)

 復次以下。第二開示従筌入旨之門。於中有三。総標。別釈。第三総結。総標中推求五陰色之与心者。色陰名色。余四名心也。別釈之中。先釈色観。摧折諸色乃至極微。永不可得。離心之外無可念相。故言六塵畢竟無念。非直心外無別色塵。於心求色亦不可得。故言心無形相十方求之終不可得也。Kkaito02-12L,13R
  (「復次」以下は第二に筌より旨に入る門を開示す。中に於いて三あり。総じて標し、別して釈し、第三に総じて結す。総標の中に「推求五陰色之与心〈五陰を推求するに色と心となり〉」とは、色陰を色と名づけ、余の四を心と名づくるなり。別釈の中に、先ず色観を釈す。諸色を摧折し、乃至、極微、永に不可得なり。心を離れて外に念ずべき相なきが故に「六塵畢竟無念」という。直ちに心外に別に色塵なきのみにあらず、心に於いて色を求むるに、また不可得なり。故に「心無形相十方求之終不可得〈心に形相なく、十方にこれを求むるに終に不可得〉」というなり。)Kkaito02-12L,13R

【論】如人迷故。謂東為西。方実不転。衆生亦爾。無明迷故。謂心為念。心実不動。
【論】 (人の迷うが故に、東を謂いて西となすも、方は実に転ぜざるが如し。衆生もまた爾り。無明の迷の故に、心を謂いて念となすも、心は実に動ぜず。)

 如人以下。次観心法。先喩。後合。合中言心変不動者。推求動念已滅未生。中無所住。無所住故。即無有起。故知心性実不動也。Kkaito02-13R
  (「如人」以下は、次に心法を観ず。先ず喩、後は合なり。合の中に「心変〈実か?〉不動〈心は実に動ぜず〉」というは、動念を推求するに、已滅・未生の中に所住なし。所住なきが故に、即ち起あることなし。故に知りぬ、心性は実に動ぜず。)Kkaito02-13R

【論】若能観察知心無念。即得随順入真如門故。
【論】 (もし能く観察して心は無念と知れば、即ち随順して真如門に入ることを得るが故に。)

 若能以下。第三総結。即得随順者。是方便観。入真如門者。是正観也。Kkaito02-13R
  (「若能」以下は、第三に総じて結す。「即得随順」とは、これ方便観なり。「入真如門」とは、これ正観なり。)Kkaito02-13R

【論】対治邪執者。一切邪執皆依我見。若離於我則無邪執。
【論】 (対治邪執とは、一切の邪執は皆、我見に依る。もし我を離るれば則ち邪執なし。)

 対治邪執文亦有四。一者総標挙数。二者依数列名。三者依名弁相。四者総顕究竟離執。Kkaito02-13R
  (対治邪執の文にまた四あり。一には総じて標して数を挙げ、二には数に依りて名を列ね、三には名に依りて相を弁じ、四には総じて究竟して執を離るることを顕す。)Kkaito02-13R

【論】是我見有二種。云何為二。一者人我見。二者法我見。
【論】 (この我見に二種あり。云何が二となす。一には人我見、二には法我見なり。)

 列名中言人我見者。計有総相宰主之者。名人我執。法我見者。計一切法各有体性。故名法執。法執即是二乗所起。此中人執。唯取仏法之内初学大乗人之所起也。Kkaito02-13R
  (列名の中に「人我見」というは、総相宰主の者ありと計するを人我執と名づく。「法我見」とは、一切の法おのおの体性ありと計するが故に法執と名づく。法執は即ちこれ二乗の所起なり。この中の人執はただ仏法の内の初学大乗人の所起を取るなり。)Kkaito02-13R

【論】人我見者。依諸凡夫説有五種。云何為五。
【論】 (人我見とは、諸の凡夫に依りて説くに五種あり。云何が五となす。)

 第三弁相中。先明人我見。於中有二。総標。別釈。別釈之中。別顕五種。各有三句。初出起見之由。次明執相。後顕対治。Kkaito02-13R,13L
  (第三に相を弁ずる中に、先ず人我見を明かす。中に於いて二あり。総じて標し、別して釈す。別釈の中に別して五種を顕すに、おのおの三句あり。初には見を起こす由を出だし、次には執の相を明かし、後には対治を顕す。)Kkaito02-13R,13L

【論】一者聞修多羅。説如来法身畢竟寂寞。猶如虚空。以不知為破著故。即謂虚空是如来性。
【論】 (一には修多羅に如来の法身は畢竟寂寞なること猶し虚空の如しと説くを聞きて、著を破さんがためと知らざるを以ての故に、即ち虚空はこれ如来の性なりといえり。)

【論】云何対治。明虚空相。是其妄法。体無不実。以対色故有。是可見相。令心生滅。以一切色法本来是心。実無外色。若無色者。則無虚空之相。所謂一切境界唯心。妄起故有。若心離於妄動。則一切境界滅。唯一真心無所不遍。此謂如来広大性智究竟之義。非如虚空相故。
【論】 (云何が対治。虚空の相はこれその妄法にして体無、不実なりと明かす。色に対するを以ての故に有り。これ可見の相、心をして生滅せしむ。一切の色法は本より来たこれ心なるを以て、実に外色なし。もし色なければ、則ち虚空の相なし。所謂、一切の境界は唯心にして、妄に起こるが故に有。もし心の、妄動を離るれば、則ち一切の境界は滅す。唯だ一の真心にして遍ぜざる所なし。これを如来広大性智究竟の義という。虚空の相の如きにはあらざるが故に。)

 初執中言即謂虚空是如来性者。計如来性同虚空相也。Kkaito02-13L
  (初の執の中に「即謂虚空是如来性〈即ち虚空はこれ如来の性なりといえり〉」というは、如来の性は虚空の相に同ずと計す。)Kkaito02-13L

【論】二者。聞修多羅。説世間諸法畢竟体空。乃至。涅槃真如之法亦畢竟空。本来自空離一切相。以不知為破著故。即謂真如涅槃之性唯是其空。
【論】 (二には、修多羅に、世間の諸法は畢竟体空なり、乃至、涅槃真如の法もまた畢竟空、本より来た自空にして一切の相を離れたりと説くを聞きて、著を破さんがためと知らざるを以ての故に、即ち真如涅槃の性は唯これはそれ空といえり。)

【論】云何対治。明真如法身自体不空。具足無量性功徳故。
【論】 (云何が対治せん。真如法身は自体不空にして無量の性功徳を具足すと明かすが故に。)

 第二中言乃至涅槃真如之法亦畢竟空者。如大品経云。乃至涅槃如幻如夢。若当有法勝涅槃者。我説亦復如幻如夢故。Kkaito02-13L
  (第二の中に「乃至涅槃真如之法亦畢竟空〈乃至、涅槃真如の法もまた畢竟空〉」というは、『大品経〈智度論〉』に云うが如し「乃至、涅槃は幻の如く夢の如し。もし当に法の、涅槃に勝る者あるべけんは、我、また幻の如し夢の如しと説くが故に」。)Kkaito02-13L

【論】三者。聞修多羅。説如来之蔵無有増減。体備一切功徳之法。以不解故。即謂如来之蔵。有色心法自相差別。
【論】 (三には、修多羅に如来の蔵は増減あることなく、体に一切功徳の法を備うと説くを聞きて、解せざるを以ての故に、即ち如来の蔵は色心の法の自相差別ありと謂う。)

【論】云何対治。以唯依真如義説故。因生滅染義示現。説差別故。
【論】 (云何が対治せん。唯だ真如の義に依りて説くを以ての故に、生滅の染の義に因りて示現するを、差別と説くが故に。)

 第三中言因生滅染義示現者。如上文言。以依業識生滅相示。乃至広説故。Kkaito02-13L
  (第三の中に「因生滅染義示現〈生滅の染の義に因りて示現す〉」というは、上の文に言うが如し。業識生滅の相に依るを以て示す。乃至広説の故に。)Kkaito02-13L

【論】四者。聞修多羅。説一切世間生死染法。皆依如来蔵而有。一切諸法不離真如。以不解故。謂如来蔵自体。具有一切世間生死等法。
【論】 (四に、修多羅に一切世間の生死の染法は、皆、如来蔵に依りて有り、一切の諸法は真如を離れずと説くを聞きて、解せざるを以ての故に、如来蔵の自体に具に一切世間の生死等の法ありという。)

【論】云何対治。以如来蔵従本已来。唯有過恒沙等諸浄功徳。不離不断不異真如義故。以過恒沙等煩悩染法。唯是妄有性自本無。従無始世来。未曽与如来蔵相応故。若如来蔵体有妄法。而使証会永息妄者。則無有是処。
【論】 (云何が対治せん。如来蔵は本より已来た、唯、過恒沙等の諸の浄功徳は不離不断不異の真如の義あるを以ての故に。過恒沙等の煩悩の染法は唯これ妄有、性自から本無なり、無始世より来た、未だ曽て如来蔵と相応せざるを以ての故に。もし如来蔵の体に妄法ありて、証会せしめて永く妄を息めば、則ちこの処あることなし。)

 第四中言不離不断等者。如不増不減疏中広説也。Kkaito02-13L
  (第四の中に「不離不断」等というは、『不増不減の疏』の中に広く説くが如し。Kkaito02-13L

【論】五者。聞修多羅。説依如来蔵故有生死。依如来蔵故得涅槃。以不解故。謂衆生有始。以見始故。復謂如来所得涅槃。有其終尽還作衆生。
【論】 (五に、修多羅に、如来蔵に依るが故に生死あり、如来蔵に依るが故に涅槃を得と説くを聞きて、解せざるを以ての故に、衆生に始ありという。始を見るを以ての故に、また如来所得の涅槃は、その終尽ありて、還りて衆生と作るという。)

【論】云何対治。以如来蔵無前際故。無明之相亦無有始。若説三界外更有衆生始起者。即是外道経説。又如来蔵無有後際。諸仏所得涅槃与之相応。則無後際故。
【論】 (云何が対治せん。如来蔵は前際なきを以ての故に、無明の相もまた始あることなし。もし三界の外に更に衆生ありて始めて起こると説かば、即ちこれ外道経の説なり。また如来蔵は後際あることなく、諸仏所得の涅槃もこれと相応して、則ち後際なきが故に。)

 第五中言若説三界外更有衆生始起者即是外道経説者。如仁王経之所説故。上来五執。皆依法身如来蔵等総相之主而起執故。通名人執也。Kkaito02-13L
  (第五の中に「若説三界外更有衆生始起者即是外道経説〈もし三界の外に更に衆生ありて始めて起こると説かば、即ちこれ外道経の説なり〉」というは、『仁王経』の所説の如きなるが故に。上来の五執は皆、法身如来蔵等の総相の主に依りて執を起するが故に、通じて人執と名づくるなり。)Kkaito02-13L

【論】法我見者。依二乗鈍根故。如来但為説人無我。以説不究竟。見有五陰生滅之法。怖畏生死妄取涅槃。云何対治。以五陰法自性不生。則無有滅。本来涅槃故。
【論】 (法我見とは、二乗の鈍根に依るが故に、如来はただ人無我と説くがために、説、究竟せざるを以て、五陰生滅の法ありと見て、生死を怖畏して妄に涅槃を取る。云何が対治せん。五陰の法は自性不生なるを以て、則ち滅あることなし。本より来た涅槃の故に。)

 法我見中。亦有三句。初明起見之由。見有以下。次顕執相。云何以下。顕其対治。文相可知。Kkaito02-13L,14R
  (法我見の中にまた三句あり。初には見を起する由を明かし、「見有」以下は、次に執の相を顕し、「云何」以下は、その対治を顕す。文相、知りぬべし。)Kkaito02-13L,14R

【論】復次究竟離妄執者。当知染法浄法皆悉相待。無有自相可説。是故一切法。従本已来非色非心非智非識非有非無。畢竟不可説相。而有言説者。当知如来善巧方便。仮以言説引導衆生。其旨趣者。皆為離念帰於真如。以念一切法。令心生滅不入実智故。
【論】 (また次に究竟して妄執を離るれば、当に知るべし、染法・浄法、皆悉く相待して、自相の説くべきあることなし。この故に一切の法は本より已来た色にあらず、心にあらず、智にあらず、識にあらず、有にあらず、無にあらず、畢竟して不可説の相なり。而して言説あるは、当に知るべし、如来の善巧方便にして、仮に言説を以て衆生を引導す。その旨趣は皆、念を離れ真如に帰せんがためなり。一切の法を念ずれば、心をして生滅して実智に入らざらしむるを以ての故に。)

 復次以下。第四究竟離執之義。於中有二。先明諸法離言道理。後顕仮説言教之意。文相可見。Kkaito02-14R
  (「復次」以下は、第四に究竟して執を離るる義なり。中に於いて二あり。先ず諸法離言の道理を明かし、後には仮に言教を説く意を顕す。文相、見つべし。)Kkaito02-14R

【論】分別発趣道相者。謂一切諸仏所証之道。一切菩薩発心修行趣向義故。
【論】 (分別発趣道相とは、謂く、一切の諸仏所証の道に、一切の菩薩の、発心修行し趣向する義なるが故に。)

 第三発趣分中有二。一者総標大意。二者別開分別。初中言一切諸仏所証之道者。是挙所趣之道。一切菩薩以下。顕其能趣之行。欲明菩薩発心趣向仏所証道。故言分別発趣道相也。Kkaito02-14R
  (第三の発趣分の中に二あり。一には総じて大意を標し、二には別して開きて分別す。初の中に「一切諸仏所証之道」というは、これ所趣の道を挙ぐ。「一切菩薩」以下は、その能趣の行を顕す。菩薩発心して仏の所証の道に趣向することを明かさんと欲うが故に「分別発趣道相」というなり。)Kkaito02-14R

【論】略説発心有三種。云何為三。一者信成就発心。二者解行発心。三者証発心。
【論】 (略して発心を説くに三種あり。云何が三となす。一には信成就発心。二には解行発心。三には証発心。)

 略説以下別開分別。於中有三。一者挙数開章。二者依数列名。三者依名弁相。第二中言信成就発心者。位在十住。兼取十信。十信位中修習信心。信心成就。発決定心。即入十住。故名信成就発心也。解行発心者。在十回向。兼取十行。十行位中。能解法空。随順法界。修六度行。六度行純熟。発回向心。入向位故。言解行発心也。証発心者。位在初地以上。乃至十地。依前二重相似発心。証得法身発真心也。Kkaito02-14R,14L
  (「略説」以下は、別して開して分別す。中に於いて三あり。一には数を挙げて章を開き、二には数に依りて名を列ね、三には名に依りて相を弁ず。第二の中に「信成就発心」というは、位、十住に在り、兼て十信を取る。十信の位の中に信心を修習す。信心成就して決定の心を発して、即ち十住に入るが故に信成就発心と名づくるなり。「解行発心」とは、十回向に在り、兼ねて十行を取る。十行の位の中に、能く法空を解し、法界に随順して六度の行を修す。六度の行、純熟して、回向の心を発して向位に入るが故に「解行発心」というなり。「証発心」とは、位、初地以上、乃至、十地に在り。前の二重の相似の発心に依りて、法身を証得して真心を発すなり。)Kkaito02-14R,14L

【論】信成就発心者。依何等人。修何等行。得信成就。堪能発心。
【論】 (信成就発心とは、何等の人に依り、何等の行を修し、信成就を得て、能く発心するに堪えん。)

 第三弁相文中有三。如前次第説三心故。初発心内。亦有其三。一明信成就之行。二顕行成発心之相。三歎発心所得功徳。初中亦二。先問。後答。問中言依何等人者。是問能修之人。修何等行者。問其所修之行。得信成就堪能発心者。対発心果。問其行成也。Kkaito02-14L
  (第三に相を弁ずる文の中に三あり。前の次第の如く三心を説くが故に、初の発心の内にまたその三あり。一には信成就の行を明かし、二には行成じて発心する相を顕し、三には発心所得の功徳を歎ず。初の中にまた二。先は問、後は答なり。問の中に「依何等人〈何等の人に依り〉」というは、これ能修の人を問い、「修何等行〈何等の行を修し〉」とは、その所修の行を問う。「得信成就堪能発心〈信成就を得て、能く発心するに堪えん〉」とは、発心の果に対して、その行成を問うなり。)Kkaito02-14L

【論】所謂依不定聚衆生。
【論】 (所謂、不定聚の衆生に依る。)

 答中有二。一者正答所問。二者挙劣顕勝。正答之内。対前三問。初言依不定聚衆生者。是答初問。顕能修人。分別三聚。乃有多門。今此文中。直明菩薩十解以上。決定不退。名正定聚。未入十信。不信因果。名邪定聚。此二中間。趣道之人。発心欲求無上菩提。而心未決或進或退。是謂十信。名不定聚。今依此人明所修行也。Kkaito02-14L,15R
  (答の中に二あり。一には正しく所問に答え、二には劣を挙げて勝を顕す。正しく答うる内、前の三問に対す。初に「依不定聚衆生〈不定聚の衆生に依る〉」というは、これ初の問を答えて能修の人を顕す。三聚を分別するに乃し多門あり。今この文の中には直ちに菩薩の十解以上の決定不退を正定聚と名づけ、未だ十信に入らず、因果を信ぜざるを邪定聚と名づけ、この二の中間の、道に趣く人、発心して無上菩提を求めんと欲して、心、未だ決せざれども、或いは進み、或いは退す、これを十信と謂い不定聚と名づくることを明かす。今、この人に依りて所修の行を明かすなり。)Kkaito02-14L,15R

【論】有熏習善根力故。信業果報能起十善。厭生死苦。欲求無上菩提。得値諸仏親承供養。修行信心。
【論】 (熏習する善根力あるが故に、業果報を信じて能く十善を起こし、生死の苦を厭い、無上菩提を欲求し、諸仏に値うを得て、親承供養して、信心を修行す。)

 有熏習以下。次答第二問。明不定人所修之行。言有熏習善根力者。依如来蔵内熏習力。復依前世修善根力。故今得修信心等行也。言信業果報能起十善者。起福分善也。厭生死苦求無上道者。発道分心也。得値諸仏修行信心者。正明所修道分善根。所謂修行十種信心。其相具如一道章説也。Kkaito02-15R,15L
  (「有熏習」以下は、次に第二の問を答えて、不定の人の所修の行を明かす。「有熏習善根力〈熏習する善根力ある〉」というは、如来蔵の内熏習の力に依り、また前世に修する善根力に依るが故に、今、信心等の行を修することを得るなり。「信業果報能起十善〈業果報を信じて能く十善を起こし〉」というは、福分の善を起こすなり。「厭生死苦求無上道〈生死の苦を厭い、無上菩提を欲求し〉」とは、道分の心を発すなり。「得値諸仏修行信心〈諸仏に値うを得て、親承供養して、信心を修行す〉とは、正しく所修の道分の善根を明かす。所謂、十種の信心を修行す。その相、具には『一道の章』に説くが如し。)Kkaito02-15R,15L

 【論】経一万劫信心成就故。諸仏菩薩教令発心。或以大悲故能自発心。或因正法欲滅。以護法因縁故能自発心。
【論】 (一万劫を経て信心成就するが故に、諸仏菩薩は教えて発心せしめ、或いは大悲を以ての故に能く自ら発心し、或いは正法の滅せんと欲するに因りて、護法の因縁を以ての故に能く自ら発心す。)

 逕一万劫以下。答第三問。明其信心成就之相。於中有二。一者挙時。以明信成発心之縁。二者約聚。顕其発心所住之位。Kkaito02-15L
  (「逕一万劫」以下は、第三の問を答えて、その信心成就の相を明かす。中に於いて二あり。一には時を挙げて、以て信成発心の縁を明かし、二には聚に約して、その発心所住の位を顕す。)Kkaito02-15L

 初中言至一万劫信心成就者。謂於十信逕十千劫。信心成就。即入十住。如本業経云。是信想菩薩。於十千劫行十戒法。当入十住心。入初住位。解云。此中所入初住位者。謂十住初発心住位。此位方得不退信心。是故亦名信入十心。非謂十解以前十信。Kkaito02-15L
  (初の中に「至一万劫信心成就」というは、謂く、十信に於いて十千劫を逕て信心成就して、即ち十住に入る。『本業経』に云うが如し「これ信想の菩薩、十千劫に於いて十戒の法を行じて、当に十住心に入り、初住の位に入るべし」と。解して云く。この中に入る所の初住位とは、謂く、十住の初発心住の位なり。この位に方に不退の信心を得。この故にまた信入十心と名づく。十解以前の十信を謂うにはあらず。)Kkaito02-15L

 何以得知而其然者。如仁王経云。習種姓有十心。已超二乗一切善地。此習忍已前行十善菩薩。有退有進。猶如軽毛随風東西。雖以十千劫行十正道。発菩提心。乃当入習忍位。以是文証。故得知也。経言十千。即此一万也。言仏菩薩教令発心等者。発心之縁。乃有衆多。今略出其二種勝縁也。Kkaito02-15L,16R
  (何を以てか而もその然ることを知ることを得るとならば、『仁王経』に云うが如し「習種性に十心ありて、已に二乗一切の善地を超う。この習忍已前に十善を行ずる菩薩なり。退あり進あり。猶し軽毛の風に随いて東西するが如し。十千劫を以て十正道を行といえども、菩提心を発して乃し当に習忍の位に入るべし」と。この文証を以ての故に知ることを得るなり。経に「十千」というは、即ちこの「一万」なり。「仏菩薩教令発心〈諸仏菩薩は教えて発心せしめ〉」等というは、発心の縁に、乃し衆多あり。今略してその二種の勝縁を出だすなり。)Kkaito02-15L,16R

【論】如是信心成就得発心者。入正定聚畢竟不退。名住如来種中正因相応。
【論】 (かくの如く信心成就して発心を得る者は、正定聚に入りて畢竟じて退ぞかざるを、如来種の中に住して正因相応すと名づく。)

 如是以下。顕其発心所住之位。言信心成就乃至入正定聚者。即入十解初発心住。以之故言畢竟不退也。即時正在習種性位。故言名住如来種中也。其所修行随順仏性。是故亦言正因相応。上来正答前三問竟。Kkaito02-16R
  (「如是」以下は、その発心所住の位を顕す。「信心成就〈乃至〉入正定聚」というは、即ち十解の初発心住に入る。これを以ての故に「畢竟不退」というなり。即の時に正しく習種性の位に在るが故に「名住如来種中」というなり。その所修の行は仏性に随順す。この故にまた「正因相応」というなり。上来は正しく前の三問を答え竟りぬ。)Kkaito02-16R

【論】若有衆生。善根微少。久遠已来煩悩深厚。雖値於仏亦得供養。然起人天種子。或起二乗種子。設有求大乗者。根則不定若進若退。
【論】 (もし衆生ありて、善根微少にして久遠より已来た煩悩深厚なれば、仏に値いまた供養することを得といえども、然るに人天の種子を起こし、或いは二乗の種子を起こす。設い大乗を求むる者あれども、根は則ち不定にして、もしは進み、もしは退す。)

【論】或有供養諸仏。未経一万劫。於中遇縁亦有発心。所謂見仏色相而発其心。或因供養衆僧而発其心。或因二乗之人教令発心。或学他発心。
【論】 (或いは諸仏を供養することあるも、未だ一万劫を経ざるに、中に於いて縁に遇いてまた発心することあり。所謂、仏の色相を見てその心を発し、或いは衆僧を供養するに因りてその心を発し、或いは二乗の人の教えに因りて発心せしめ、或いは他を学びて発心す。)

【論】如是等発心。悉皆不定。遇悪因縁。或便退失堕二乗地。
【論】 (かくの如き等の発心は、悉く皆、不定なり。悪の因縁に遇わば、或いは便ち退失して二乗地に堕す。)

 若有以下。挙劣顕勝。十信位内。有勝有劣。勝者如前進入十住。劣者如此退堕二乗地。如摂大乗論云。諸菩薩在十信位中。修大乗未堅固。多厭怖生死。慈悲衆生心猶劣薄。喜欲捨大乗。本願修小乗道。故言欲修行小乗。大意如是。文相可知。上来明信成之行。Kkaito02-16R,16L
  (「若有」以下は劣を挙げて勝を顕す。十信の位の内に勝あり劣あり。勝とは前の進みて十住に入るが如し。劣とはこの二乗地に退堕するが如し。『摂大乗論〈摂論釈 真諦訳〉』に云うが如し「諸の菩薩、十信の位の中に在りて、大乗を修して未だ堅固ならざれば、多く生死を厭怖す。衆生を慈悲する心、猶し劣薄なれば、喜こびて大乗を捨んと欲す。本〈もと〉小乗の道を修せんと願うが故に、小乗を修行せんと欲すという」。大意かくの如し。文相、知りぬべし。上来は信成の行を明かす。)Kkaito02-16R,16L

【論】復次信成就発心者。発何等心。略説有三種。云何為三。一者直心。正念真如法故。二者深心。楽集一切諸善行故。三者大悲心。欲抜一切衆生苦故。
【論】 (また次に信成就発心とは、何等の心を発すや。略して説くに三種あり。云何が三となす。一には直心。正しく真如の法を念ずるが故に。二には深心。楽しみて一切の諸の善行を集むるが故に。三には大悲心。一切衆生の苦を抜かんと欲するが故に。)

 復次以下是第二顕発心之相。於中有二。一者直明。二者往復除疑。Kkaito02-16L
  (「復次」以下は、これ第二に発心の相を顕す。中に於いて二あり。一には直ちに明かし、二には往復して疑を除く。)Kkaito02-16L

 初中言直心者。是不曲義。若念真如。則心平等。更無別岐。何有回曲。故言正念真如法故。即是二行之根本也。Kkaito02-16L
  (初の中に「直心」というは、これ不曲の義なり。もし真如を念ずるときは、則ち心平等にして、更に別岐なし。何ぞ回曲あらん。故に「正念真如法故〈正しく真如の法を念ずるが故に〉」という。即ちこれ二行の根本なり。)Kkaito02-16L

 言深心者。是窮原義。若一善不備。無由帰原。帰原之成。必具万行。故言楽集一切諸善行故。即是自利行之本也。Kkaito02-16L
  (「深心」というは、これ窮原の義なり。もし一善も備わらざれば帰原に由なし。帰原の成ずることは、必ず万行を具す。故に「楽集一切諸善行故〈楽しみて一切の諸の善行を集むるが故に〉」という。即これ自利の行の本なり。)Kkaito02-16L

 大悲心者。是普済義。故言欲拔衆生苦故。即利他行之本也。発此三心。無悪不離。無善不修。無一衆生所不度者。是名無上菩提心也。Kkaito02-16L,17R
  (「大悲心」とは、これ普済の義なり。故に「欲拔衆生苦故〈一切衆生の苦を抜かんと欲するが故に〉」という。即ち利他の行の本なり。この三心を発すに、悪として離れざることなく、善として修せざることなく、一衆生として度せざる所の者なし。これを無上菩提心と名づくるなり。)Kkaito02-16L,17R

【論】問曰。上説法界一相仏体無二。何故不唯念真如。復仮求学諸善之行。
【論】 (問いて曰く。上に法界一相、仏体無二なりと説く。何が故ぞ唯だ真如を念ぜずして、また諸善の行を求学することを仮るや。)

 問曰以下。往復除疑。問意可見。Kkaito02-17R
  (「問曰」以下は、往復して疑を除く。問意、見るべし。)Kkaito02-17R

【論】答曰。譬如大摩尼宝体性明浄。而有鉱穢之垢。若人雖念宝性。不以方便種種磨治。終無得浄。
【論】 (答えて曰く。譬えば大摩尼宝の体性は明浄なるに、鉱穢の垢あり。もし人、宝性を念ずといえども、方便を以て種種に磨治せざれば、終に浄を得ることなきが如し。)

【論】如是衆生真如之法体性空浄。而有無量煩悩染垢。若人雖念真如不以方便種種熏修。亦無得浄。以垢無量無辺遍一切法故。修一切善行以為対治。若人修行一切善法。自然帰順真如法故。
【論】 (かくの如く衆生の真如の法も体性は空浄なるに、無量の煩悩の染垢あり。もし人、真如を念ずといえども、方便を以て種種に熏修せざれば、また浄を得ることなし。垢は無量無辺にして一切法に遍ずるを以ての故に、一切の善行を修して以て対治をなす。もし人、一切の善法を修行すれば、自然に真如の法に帰順するが故に。)

 答中有二。直答。重顕。初直答中。有喩。有合。Kkaito02-17R
  (答の中に二あり。直ちに答え、重ねて顕す。初に直ちに答うる中に、喩あり、合あり。)Kkaito02-17R

【論】略説方便有四種。云何為四。
【論】 (略して方便を説くに四種あり。云何が四となす。)

【論】一者行根本方便。謂観一切法自性無生。離於妄見不住生死。観一切法因縁和合業果不失。起於大悲修諸福徳。摂化衆生不住涅槃。以随順法性無住故。
【論】 (一には行根本方便。謂く一切の法は自性無生と観じ、妄見を離れて生死に住せず。一切の法は因縁和合して業果は失せずと観じ、大悲を起こして諸の福徳を修し、衆生を摂化して涅槃に住せず。法性の無住に随順するを以ての故に。)

【論】二者能止方便。謂慚愧悔過。能止一切悪法不令増長。以随順法性離諸過故。
【論】 (二には能止の方便。謂く慚愧悔過して能く一切の悪法を止め増長せしめず。法性の、諸過を離るるに随順するを以ての故に。)

【論】三者発起善根増長方便。謂勤供養礼拝三宝。讃歎随喜勧請諸仏。以愛敬三宝淳厚心故。信得増長。乃能志求無上之道。又因仏法僧力所護故。能消業障善根不退。以随順法性離癡障故。
【論】 (三には発起善根増長方便。謂く勤めて三宝を供養し礼拝し、諸仏を讃歎し随喜し勧請す。三宝を愛敬する淳厚の心を以ての故に、信は増長することを得、乃ち能く無上の道を志求す。また仏法僧の力に護らるるに因るが故に、能く業障を消して善根退かず。法性の、癡障を離るるに随順するを以ての故に。)

【論】四者大願平等方便。所謂発願尽於未来。化度一切衆生使無有余。皆令究竟無余涅槃。以随順法性無断絶故。法性広大遍一切衆生。平等無二。不念彼此。究竟寂滅故。
【論】 (四には大願平等方便。所謂、発願して未来を尽くし、一切衆生を化度するに余あることなからしめて、皆、究竟無余涅槃せしむ。法性の断絶なきに随順するを以ての故に。法性広大にして一切の衆生に遍し、平等無二なり。彼此を念ぜず、究竟寂滅の故に。)

 略説以下。重顕可知。Kkaito02-17R
  (「略説」以下は、重ねて顕すこと、知りぬべし。)Kkaito02-17R

【論】菩薩発是心故。則得少分見於法身。以見法身故。随其願力能現八種利益衆生。所謂従兜率天退。入胎住胎出胎。出家成道転法輪。入於涅槃。
【論】 (菩薩はこの心を発すが故に、則ち少分に法身を見ることを得。法身を見るを以ての故に、その願力に随りて能く八種を現じて衆生を利益す。所謂、兜率天より退し、入胎、住胎、出胎、出家、成道、転法輪、涅槃に入る。)

 菩薩発是心故以下。第三顕其発心功徳。於中有四。初顕勝徳。次明微過。三通権教。四歎実行。Kkaito02-17R
  (「菩薩発是心故〈菩薩はこの心を発すが故に〉」以下は、第三にその発心の功徳を顕す。中に於いて四あり。初には勝徳を顕し、次には微過を明かし、三には権教を通じ、四には実行を歎ず。)Kkaito02-17R

 初中二句。則得少分見法身者。是明自利功徳。十解菩薩。依人空門見於法界。是相似見。故言少分也。随其願力以下。顕利他徳。能現八種利益衆生者。如華厳経歎十住初発心住云。此発心菩薩。得如来一身無量身。悉於一切世間示現成仏故。Kkaito02-17R
  (初の中に二句あり。「則得少分見法身〈則ち少分に法身を見ることを得〉」とは、これ自利の功徳を明かす。十解の菩薩は人空門に依りて法界を見る。これ相似の見なる故に「少分」というなり。「随其願力〈その願力に随りて〉」以下は、利他の徳を顕す。「能現八種利益衆生〈能く八種を現じて衆生を利益す〉」とは、『華厳経』に十住の初発心住を歎じて云うが如き「この発心菩薩は如来の一身・無量身を得て、悉く一切世間に於いて成仏を示現するが故に」と。)Kkaito02-17R

【論】然是菩薩未名法身。以其過去無量世来。有漏之業未能決断。随其所生。与微苦相応。亦非業繋。以有大願自在力故。
【論】(然るにこの菩薩は未だ法身と名づけず。その過去無量世より来た、有漏の業未だ能く決断せざるを以て、その所生に随いて微苦と相応す。また業繋にあらず。大願自在力あるを以ての故に。)

 然是以下。顕其微過。Kkaito02-17R,17L
  (「然是」以下は、その微過を顕す。)Kkaito02-17R,17L

【論】如修多羅中。或説有退堕悪趣者。非其実退。但為初学菩薩未入正位。而懈怠者恐怖。令彼勇猛故。
【論】 (修多羅中、或いは悪趣に退堕する者ありと説くが如きは、その実退にあらず。ただ初学の菩薩の、未だ正位に入らず、懈怠する者に恐怖せしめ、彼をして勇猛ならしめんための故に。)

 如修多羅以下。第三会通権教。如本業経云。七住以前為退分。若不値善知識者。若一劫乃至十劫。退菩提心。如浄目天子。法才王子。舍利弗等。欲入第七住。其間値悪知識因縁故。退入凡夫不善悪中。乃至広説。今釈此意但是権語。非実退也。Kkaito02-17L
  (「如修多羅」以下は、第三に権教を会通す。『本業経』に云うが如し。「七住以前を退分と為す。もし善知識に値わずんば、もしは一劫、乃至、十劫、菩提心を退すること、浄目天子・法才王子・舍利弗等の如し。第七住に入らんと欲するに、その間に悪知識の因縁に値うが故に、退して凡夫の不善の悪の中に入る」と、乃至、広説す。今、この意を釈す。但しこれ権語にして、実退には非ざるなり。)Kkaito02-17L

【論】又是菩薩。一発心後遠離怯弱。畢竟不畏堕二乗地。若聞無量無辺阿僧祇劫。勤苦難行乃得涅槃。亦不怯弱。以信知一切法。従本已来自涅槃故。
【論】 (またこの菩薩は一たび発心して後、怯弱を遠離して、畢竟じて二乗地に堕つることを畏れず。もし無量無辺阿僧祇劫に勤苦難行して乃ち涅槃を得と聞くとも、また怯弱ならず。一切の法は本従り已来た自ら涅槃なりと信知するを以ての故に。)

 又是菩薩以下。第四歎其実行。永無怯弱。即成彼経是権非実也。Kkaito02-17L
  (「又是菩薩」以下は、第四にその実行を歎ず。永く怯弱なし。即ち彼の経はこれ権にして実に非ざることを成ずるなり。)Kkaito02-17L

【論】解行発心者。当知転勝。
【論】 (解行発心とは、当に知るべし、転た勝なり。)

【論】以是菩薩。従初正信已来。於第一阿僧祇劫将欲満故。於真如法中。深解現前所修離相。
【論】 (この菩薩は、初の正信より已来た、第一阿僧祇劫に於いて将に満ぜんと欲するを以ての故に。真如の法の中に於いて、深解現前して、所修は相を離る。)

 第二解行発心中。言第一阿僧祇将欲満故於真如法深解現前者。十回向位。得平等空。故於真如深解現前也。地前一阿僧祇欲満故也。是挙解行所得発心。Kkaito02-17L
  (第二の解行発心の中に「第一阿僧祇将欲満故於真如法深解現前〈第一阿僧祇劫に於いて将に満ぜんと欲するを以ての故に。真如の法の中に於いて、深解現前して〉」というは、十回向の位なり。平等の空を得るが故に、真如に於いて深解現前するなり。地前の一阿僧祇、満ぜんと欲するが故なり。これ解行所得の発心を挙ぐ。)Kkaito02-17L

【論】以知法性体無慳貪故。随順修行檀波羅蜜。以知法性無染離五欲過故。随順修行尸羅波羅蜜。以知法性無苦離瞋悩故。随順修行[セン08]提波羅蜜。以知法性無身心相離懈怠故。随順修行毘梨耶波羅蜜。以知法性常定体無乱故。随順修行禅波羅蜜。以知法性体明離無明故。随順修行般若波羅蜜。
【論】 (法性の体は慳貪なきを知るを以ての故に、随順して檀波羅蜜を修行す。法性は無染にして五欲の過を離れたると知るを以ての故に、随順して尸羅波羅蜜を修行す。法性には苦なく瞋悩を離るるを知るを以ての故に、随順して[セン08]提波羅蜜を修行す。法性は身心の相なく懈怠を離るるを知るを以ての故に、随順して毘梨耶波羅蜜を修行す。法性は常定にして、体は乱なきを知るを以ての故に、随順して禅波羅蜜を修行す。法性は体明にして無明を離るるを知るを以ての故に、随順して般若波羅蜜を修行す。)

 次言以知法性無慳貪故随順修行檀等行者。十行位中得法空故。能順法界修六度行。是顕発心所依解行也。Kkaito02-17L,18R
  (次に「以知法性無慳貪故随順修行檀等行〈法性の体は慳貪なきを知るを以ての故に、随順して檀波羅蜜を修行す〉」というは、十行の位の中には法空を得るが故に、能く法界に順じて六度の行を修す。これ発心所依の解行を顕すなり。)Kkaito02-17L,18R

【論】証発心者。従浄心地。乃至菩薩究竟地。証何境界。所謂真如。以依転識説為境界。而此証者無有境界。唯真如智名為法身。
【論】 (証発心とは、浄心地より、乃至、菩薩究竟地に何の境界を証するや。所謂、真如なり。転識に依るを以て説きて境界となす。而してこの証とは境界あることなし。唯だ真如智を名づけて法身となす。)

 証発心中。在文有二。一者通約諸地明証発心。二者別就十地顕成満徳。初中有四。一標位地。二明証義。是菩薩以下。第三歎徳。発心相以下。第四顕相。Kkaito02-18R
  (証発心の中に、文に在りて二あり。一には通じて諸地に約して証発心を明かし、二には別して十地に就きて成満の徳を顕す。初の中に四あり。一は位地を標し、二は証の義を明かし、「是菩薩」以下は第三に徳を歎じ、「発心相」以下は第四に相を顕す。)Kkaito02-18R

 第二中言以依転識説為境界者。転識之相。是能見用。対此能見説為境界。以此諸地所起証智。要依転識而証真如。故対所依仮説境界。直就証智。即無能所。故言証者無境界也。Kkaito02-18R
  (第二の中に「以依転識説為境界〈転識に依るを以て説きて境界となす〉」というは、転識の相はこれ能見の用なり。この能見に対して説きて境界と為す。この諸地所起の証智、要ず転識に依りて真如を証するを以ての故に、所依に対して仮に境界を説く。直ちに証智に就かば即ち能所なきが故に「証者無境界〈証とは境界あることなし〉」というなり。)Kkaito02-18R

【論】是菩薩。於一念頃能至十方無余世界。供養諸仏請転法輪。唯為開導利益衆生。不依文字。或示超地速成正覚。以為怯弱衆生故。或説我於無量阿僧祇劫当成仏道。以為懈慢衆生故。能示如是無数方便不可思議。
【論】 (この菩薩、一念の頃に於いて能く十方無余の世界に至り、諸仏を供養し転法輪を請す。唯だ衆生を開導し利益せんがために、文字に依らず。或いは地を超えて速かに正覚を成ずと示す。怯弱の衆生のためなるを以ての故に。或いは我、無量阿僧祇劫に於いて当に仏道を成ずべしと説く。懈慢の衆生のためなるを以ての故に。能くかくの如き無数の方便を示す。不可思議なり。)

【論】而実菩薩種性根等。発心則等。所証亦等。無有超過之法。以一切菩薩。皆経三阿僧祇劫故。
【論】 (而して実に菩薩の種性根等しく、発心則ち等しく、所証また等しくして、超過の法あることなし。一切の菩薩は皆、三阿僧祇劫を経るを以ての故に。)

【論】但随衆生世界不同。所見所聞根欲性異故。示所行亦有差別。
【論】 (ただ衆生世界は同じからず、所見、所聞、根、欲、性の異なるに随うが故に、所行を示すことまた差別あり。)

【論】又是菩薩発心相者。有三種心微細之相。云何為三。一者真心。無分別故。二者方便心。自然遍行利益衆生故。三者業識心。微細起滅故。
【論】 (またこの菩薩の発心の相とは、三種の心の微細の相あり。云何が三となす。一には真心。無分別の故に。二には方便心。自然に遍行して衆生を利益するが故に。三には業識心。微細に起滅するが故に。)

 第四中言真心者。謂無分別智。方便心者。是後得智。業識心者。二智所依阿梨耶識。就実而言。亦有転識及与現識。但今略挙根本細相。然此業識非発心徳。但為欲顕二智起時。有是微細起滅之累。不同仏地純浄之徳。所以合説為発心相耳。Kkaito02-18R,18L
  (第四の中に「真心」というは、謂く無分別智なり。「方便心」とは、これ後得智なり。「業識心」とは、二智所依の阿梨耶識なり。実に就いて言わば、また転識、及与び現識あり。但し今は略して根本の細相を挙ぐ。然るにこの業識は発心の徳に非ず。但し二智起こる時、この微細起滅の累ありて、仏地の純浄の徳に同ぜざることを顕さんと欲するが為なり。所以に合して説きて発心の相と為るのみ。)Kkaito02-18R,18L

【論】又是菩薩功徳成満。於色究竟処。示一切世間最高大身。謂以一念相応慧。無明頓尽名一切種智。自然而有不思議業。能現十方利益衆生。
【論】 (またこの菩薩は、功徳成満して、色究竟処に於いて、一切世間の最高大の身を示す。謂く、一念相応の慧を以て、無明頓に尽くすを一切種智と名づく。自然に不思議業ありて、能く十方に現じて衆生を利益す。)

 功徳成満以下。第二別顕成満功徳。於中有二。一者直顕勝徳。二者往復除疑。Kkaito02-18L
  (「功徳成満」以下は、第二に別して成満の功徳を顕す。中に於いて二あり。一には直ちに勝徳を顕し、二には往復して疑を除く。)Kkaito02-18L

 初中言功徳成満者。謂第十地因行成満也。色究竟処示高大身。乃至名一切種智等者。若依十王果報別門。十地菩薩第四禅王。在於色究竟天成道。則是報仏他受身。如十地経摂報果中云。九地菩薩作大梵王。主二千世界。十地菩薩作魔醯首羅天王。主三千世界。Kkaito02-18L
  (初の中に「功徳成満」というは、謂く、第十地の因行成満なり。「色究竟処示高大身(乃至)名一切種智」等とは、もし十王の果報の別門に依らば、十地の菩薩は第四禅の王、色究竟天に在りて成道するは、則ちこれ報仏他受身なり。『十地経』の摂報果の中に云うが如し。「九地の菩薩は大梵王と作りて、二千世界に主たり。十地の菩薩は魔醯首羅天王と作りて、三千世界に主たり」。)Kkaito02-18L

 楞伽経言。譬如阿梨耶識。頓分別自心現身器世界等。報仏如来亦復如是。一時成就諸衆生界。置究竟天浄妙宮殿修行清浄之処。又下頌言。欲界及無色。仏不彼成仏。色界中上天。離欲中得道。Kkaito02-18L,19R
  (『楞伽経』に言わく「譬えば阿梨耶識の、頓に自心の現身器世界等を分別するが如く、報仏の如来もまたかくの如し。一時に諸の衆生界を成就して、究竟天の浄妙の宮殿、修行清浄の処に置く」と。また下の頌に言わく「欲界及び無色には、仏、彼に成仏せず。色界の中の上天、離欲の中に道を得」と。)Kkaito02-18L,19R

 梵網経云。爾時釈迦牟尼仏。在第四禅魔醯首羅天王宮。与無量大梵天王不可説不可説菩薩衆。説蓮華蔵世界盧舍那仏所説心地法門品。是時釈迦身放慧光。従此天王宮乃至蓮華台蔵世界。是時釈迦牟尼仏。即[ケイ01]接此世界大衆。至蓮華台蔵世界百万億紫金光明宮中。盧舎那仏坐百万蓮華赫赫光明座上。時釈迦仏及諸人衆一時礼敬盧舍那仏。爾時盧舍那仏即大歓喜。是諸仏子諦聴。善思修行。我已百万阿僧祇劫修行心地以之為因。初捨凡夫。成等正覚。為盧舍那。住蓮華蔵世界海。其台周遍有千葉。一葉一世界。為千世界。我化作為千釈迦。拠千世界。復就千葉世界。復有百億四天下。百億菩薩。釈迦坐百億菩提樹下。如是千葉上仏。是吾化身。千百億釈迦。是千釈迦化身。吾為本源。名為盧舍那。偈言。我今盧舍那。方坐蓮華台。乃至広説。此等諸文。準釈可知。Kkaito02-19R,19L
  (『梵網経』に云わく。その時に釈迦牟尼仏、第四禅の魔醯首羅天王宮に在して、無量の大梵天王、不可説不可説の菩薩衆のために、蓮華蔵世界盧舍那仏所説の心地法門品を説きたまう。この時に釈迦、身に慧光を放ちて、この天王宮より、乃し蓮華台蔵世界に至りたまう。この時に釈迦牟尼仏、即ちこの世界の大衆を[ケイ01]接して、蓮華台蔵世界の百万億紫金光明宮の中の盧舎那仏の坐したまえる百万の蓮華の赫赫たる光明座の上に至りたまう。時に釈迦仏、及び諸人衆、一時に盧舍那仏を礼敬す。その時に盧舍那仏、即ち大歓喜す。この諸の仏子、諦かに聴き、善く思いて修行せよ。我、已に百万阿僧祇劫に心地を修行して、これを以て因と為して、初に凡夫を捨てて等正覚を成じて、盧舍那と為りて、蓮華蔵世界海に住す。その台に周遍して千葉あり。一葉は一世界なり。千の世界と為す。我、化作して千の釈迦と為りて、千の世界に拠り、また千葉の世界に就きて、また百億の四天下、百億の菩薩あり。釈迦、百億の菩提樹下に坐す。かくの如きの千葉上の仏は、これ吾が化身。千百億の釈迦は、これ千の釈迦の化身なり。吾を本源と為して、名づけて盧舍那と為す。偈に言く。我今盧舍那、方に蓮華台に坐す」と。乃至広説。これ等の諸文、準釈して知りぬべし。)Kkaito02-19R,19L

【論】問曰。虚空無辺故世界無辺。世界無辺故衆生無辺。衆生無辺故心行差別亦復無辺。如是境界不可分斉。難知難解。若無明断無有心想。云何能了名一切種智。
【論】 (問いて曰く。虚空無辺なるが故に世界無辺なり。世界無辺なるが故に衆生無辺なり。衆生無辺なるが故に心行の差別もまたまた無辺なり。かくの如きの境界は分斉すべからず。知り難く、解し難し。もし無明断ぜば心想あることなし。云何して能く了するを一切種智と名づけん。)

 問曰以下。第二遣疑。二番問答。即遣二疑。Kkaito02-19L
  (「問曰」以下は、第二に疑を遣る。二番の問答、即ち二の疑を遣る。)Kkaito02-19L

【論】答曰。一切境界本来一心。離於想念。以衆生妄見境界故。心有分斉。以妄起想念不称法性故。不能決了。
【論】 (答えて曰く。一切の境界は本来一心にして想念を離る。衆生は妄に境界を見るを以ての故に、心に分斉あり。妄に想念を起こして法性に称わざるを以ての故に、決了すること能わず。)

 初答中有三。先立道理。次挙非。後顕是。Kkaito02-19L
  (初の答の中に三あり。先ず道理を立て、次に非を挙げ、後に是を顕す。)Kkaito02-19L

 初中言一切境界本来一心離於想念者。是立道理。謂一切境界。雖非有辺。而非無辺。不出一心故。以非無辺故。可得尽了。而非有辺故。非思量境。以之故言離想念也。Kkaito02-19L,20R
  (初の中に「一切境界本来一心離於想念〈一切の境界は本来一心にして想念を離る〉」というは、これ道理を立つ。謂く一切の境界は辺あるに非ずといえどえも、而も辺なきにも非ず。一心を出でざるが故に。無辺に非ざるを以ての故に、尽了することを得べし。而も有辺に非ざるが故に思量の境に非ず。これを以ての故に「離想念」というなり。Kkaito02-19L,20R

 第二挙非中。言以衆生妄見境界故心有分斉等者。明有所見故有所不見也。Kkaito02-20R
  (第二に非を挙ぐる中に「以衆生妄見境界故心有分斉〈衆生は妄に境界を見るを以ての故に、心に分斉あり〉」等というは、所見あるが故に所不見あることを明かすなり。)Kkaito02-20R

【論】諸仏如来。離於見相無所不遍。心真実故。即是諸法之性。自体顕照一切妄法。有大智用無量方便。随諸衆生所応得解。皆能開示種種法義。是故得名一切種智。
【論】 (諸仏如来は見相を離れて遍ぜざる所なし。心真実の故に、即ちこれ諸法の性なり。自体、一切の妄法を顕照す。大智用、無量の方便ありて、諸の衆生の応に得解すべき所に随いて、皆能く種種の法義を開示す。この故に一切種智と名づくることを得。)

 第三顕是中。言離於見想無所不遍者。明無所見故無所不見也。言心真実故即是諸法之性者。仏心離想。体一心原。離妄想故。名心真実。体一心故。為諸法性。是則仏心為諸妄法之体。一切妄法皆是仏心之相。相現於自体。自体照其相。如是了知。有何為難。故言自体顕照一切妄法。是謂無所見故無所不見之由也。Kkaito02-20R
  (第三に是を顕す中に「離於見想無所不遍〈見相を離れて遍ぜざる所なし〉」というは、所見なきが故に所不見なきことを明かすなり。「心真実故即是諸法之性〈心真実の故に、即ちこれ諸法の性なり〉」というは、仏心は想を離れて一心の原を体とす。妄想を離るるが故に「心真実」と名づけ、一心を体とするが故に「諸法の性」と為す。これ則ち仏心は諸の妄法の体と為す。一切の妄法は皆これ仏心の相なり。相は自体を現し、自体はその相を照す。かくの如く了知するに、何ぞ難と為すことあらん。故に「自体顕照一切妄法〈自体、一切の妄法を顕照す〉」という。これ所見なきが故に所不見なき由を謂うなり。)Kkaito02-20R

【論】又問曰。若諸仏有自然業。能現一切処利益衆生者。一切衆生若見其身。若覩神変。若聞其説無不得利。云何世間多不能見。
【論】 (また問いて曰く。もし諸仏に自然業ありて、能く一切処に現じて衆生を利益せば、一切衆生は、もしはその身を見、もしは神変を覩、もしはその説を聞きて、利を得ざることなし。云何ぞ世間に多く見ること能わざるや。)

 次遣第二疑。Kkaito02-20R,20L
  (次に第二の疑を遣る。)Kkaito02-20R,20L

【論】答曰。諸仏如来法身平等遍一切処。無有作意故説自然。但依衆生心現。衆生心者猶如於鏡。鏡若有垢色像不現。如是衆生心。若有垢法身不現故。
【論】 (答えて曰く。諸仏如来の法身は平等に一切処に遍じて作意あることなきが故に自然と説く。ただ衆生の心に依りて現ず。衆生心は猶し鏡の如し。鏡もし垢あらば色像は現ぜず。かくの如く衆生の心にもし垢あらば、法身は現ぜざるが故に。)

 答中言鏡若有垢色像不現。如是衆生心若有垢法身不現者。法身如本質。化身似影像。今拠能現之本質。故言法身不現。如摂大乗顕現甚深中言。由失故尊不現。如月相於破器。Kkaito02-20L
  (答の中に「鏡若有垢色像不現。如是衆生心若有垢法身不現〈鏡もし垢あらば色像は現ぜず。かくの如く衆生の心にもし垢あらば、法身は現ぜず〉」というは、法身は本質の如く、化身は影像に似たり。今は能現の本質に拠るが故に「法身不現〈法身は現ぜず〉」という。『摂大乗』の顕現甚深の中に言うが如し。「失に由るが故に、尊は現ぜず。月相の破器に於けるが如し」。)Kkaito02-20L

 釈曰。諸仏於世間不顕現。而世間説諸仏身常住。云何不顕現。譬如於破器中水不得住。水不住故。於破器中実有月不得顕現。如是諸衆生。無奢摩他軟滑相続。但有過失相続。於彼実有諸仏亦不顕現。水譬奢摩他軟滑性故。Kkaito02-20L
  (釈して曰く。諸仏、世間に於いて顕現せず。而るに世間、諸仏の身常住と説く。云何が顕現せざる。譬えば破器の中に於いては水は住することを得ず、水の、住せざるが故に、破器の中に於いて、実に月の、顕現することを得ざることあるが如く、かくの如く諸の衆生は、奢摩他軟滑相続なくして、但し過失相続のみあり。彼に於いて実に諸仏ありて、また顕現せず。水を奢摩他軟滑の性に譬うるが故に。)Kkaito02-20L

 此二論文。同説仏現及不現義。然其所喩少有不同。今此論中以鏡為喩。有垢不現者。約機而説見仏。機熟説為無垢。有障未熟。名為有垢。非謂煩悩現行。便名有垢不見。如善星比丘。及調達等。煩悩心中能見仏故。Kkaito02-20L,21R
  (この二論の文、同じく仏現及び不現の義を説く。然もその喩ゆる所、少しき不同あり。今この論の中には鏡を以て喩と為して、有垢不現とは、機に約して見仏を説く。機熟するを説きて無垢と為し、障ありて未だ熟せざるを名づけて有垢と為す。煩悩現行するを便ち垢ありて見ずと名づくると謂うには非ず。善星比丘、及び調達等の如きは、煩悩の心中に能く仏を見るが故に。)Kkaito02-20L,21R

 摂大乗中破器為喩。明有奢摩他乃得見仏者。是明過去修習念仏三昧相続。乃於今世得見仏身。非謂今世要於定心乃能見仏。以散乱心亦見仏故。Kkaito02-21R
  (『摂大乗』の中には破器を喩と為して、奢摩他ありて乃し仏を見ることを得ることを明かすとは、これ過去に念仏三昧を修習し相続して、乃し今世に於いて仏身を見ることを得ることを明かす。今世に要ず定心に於いて乃し能く仏を見ると謂うには非ず。散乱の心を以ても、また仏を見るが故に。)Kkaito02-21R

 如弥勒所問経論中言。又経説諸禅為行処。是故得禅者。名為善行諸行。此論中不必須禅乃初発心。所以者何。仏在世時。無量衆生皆亦発心。不必有禅故。Kkaito02-21R
  (『弥勒所問経論〈十住毘婆沙論か?〉』の中に言うが如し「また経に諸禅を説きて行処と為す。この故に禅を得る者を名づけて善く諸行を行ずと為すと。この論の中には必ずしも禅を須いずして、乃し初めて発心す。所以は何となれば、仏の在世の時、無量の衆生、皆また発心す。必ずしも禅あるにあらざるが故に」。)Kkaito02-21R

【論】已説解釈分。次説修行信心分。
【論】 (已に解釈分を説く。次に修行信心分を説かん。)

 修行信心分中有三。一者挙人略標大意。二者就法広弁行相。三者示其不退方便。Kkaito02-21R
  (修行信心分の中に三あり。一には人を挙げて略して大意を標し、二には法に就きて広く行相を弁じ、三にはその不退の方便を示す。)Kkaito02-21R

【論】是中依未入正定聚衆生故。説修行信心。
【論】 (この中に未だ正定聚に入らざる衆生に依るが故に、修行信心を説く。)

 初中言依未入正定衆生故説修行信心者。上説発趣道相中。言依不定聚衆生。今此中言未入正定。当知亦是不定聚人。然不定聚内。有劣有勝。勝者乗進。劣者可退。為彼勝人故説発趣。所謂信成就発心。乃至証発心等。為令勝人次第進趣故也。為其劣者故説修信。所謂四種信心五門行等。為彼劣人信不退故也。若此劣人修信成就者。還依発趣分中三種発心進趣。是故二分所為有異。而其所趣道理無別也。Kkaito02-21R,21L
  (初の中に「依未入正定衆生故説修行信心〈未だ正定聚に入らざる衆生に依るが故に、修行信心を説く〉」というは、上に発趣道相を説く中には「依不定聚衆生〈不定聚の衆生に依る〉」といい、今この中には「未入正定」という。当に知るべし、またこれ不定聚の人なることを。然るに不定聚の内に、劣あり、勝あり。勝とは乗じて進み、劣とは退すべし。彼の勝人の為の故に発趣を説く。謂う所の信成就発心、乃至、証発心等、勝人をして次第に進趣せしめんが為の故なり。その劣者の為の故に信を修することを説く。謂う所の四種の信心、五門の行等なり。彼の劣人に不退を信ぜしめんが為の故なり。もしこの劣人、信成就を修せば、還りて発趣分の中の三種の発心に依りて進趣す。この故に二分の所為に異ありて、その所趣の道理、別なることなきなり。)Kkaito02-21R,21L

【論】何等信心。云何修行。
【論】 (何等の信心、云何が修行する。)

 何等以下第二広釈。初発二問。後還両答。Kkaito02-21L
  (「何等」以下は第二に広く釈す。初は二問を発し。後は還りて両ながら答う。)Kkaito02-21L

【論】略説信心有四種。云何為四。一者信根本。所謂楽念真如法故。二者信仏有無量功徳。常念親近供養恭敬発起善根。願求一切智故。三者信法有大利益。常念修行諸波羅蜜故。四者信僧能正修行自利利他。常楽親近諸菩薩衆。求学如実行故。
【論】 (略して信心を説くに四種あり。云何が四となす。一には根本を信ず。所謂、真如の法を楽念するが故に。二には仏に無量の功徳ありと信じて、常に念じて親近し供養し恭敬して善根を発起し、一切智を願求するが故。三には法に大利益ありと信じて、常に念じて諸波羅蜜を修行するが故に。四には僧は能く正しく自利利他を修行すと信じて、常に楽しみて諸菩薩衆に親近して如実の行を求学するが故に。)

 答信中言信根本者。真如之法。諸仏所帰。衆行之原。故曰根本也。余文可知。Kkaito02-21L,22R
  (信を答うる中に「信根本〈根本を信ず〉」というは、真如の法は諸仏の帰する所、衆行の原なり。故に「根本」というなり。余文、知りぬべし。)Kkaito02-21L,22R

【論】修行有五門。能成此信。云何為五。一者施門。二者戒門。三者忍門。四者進門。五者止観門。
【論】 (修行に五門あり。能くこの信を成ず。云何が五となす。一には施門。二には戒門。三には忍門。四には進門。五には止観門。)

 答修行中。在文有三。一挙数総標。二依数開門。三依門別解。初中言能成此信者。有信無行。即信不熟。不熟之信。遇縁便退。故修五行以成四信也。第二開門中。言止観門者。六度之中。定慧合修。故合此二為止観門也。Kkaito02-21L,22R
  (修行を答うる中に、文に在りて三あり。一は数を挙げて総じて標し、二は数に依りて門を開き、三は門に依りて別して解す。初の中に「能成此信〈能くこの信を成ず〉」というは、信ありて行なくんば、即ち信熟せず。不熟の信は縁に遇いて便ち退するが故に、五行を修して以て四信を成ず。第二に開門の中に「止観門」というは、六度の中に定慧合して修するが故にこの二を合して止観門と為るなり。)Kkaito02-21L,22R

 第三別解。作二分釈。前四略明。後一広説。初中亦二。一者別明四種修行。Kkaito02-22R
  (第三に別して解するに、二分を作して釈す。前の四は略して明かし、後の一は広く説く。初の中に、また二。一には別して四種の修行を明かす。)Kkaito02-22R

【論】云何修行施門。若見一切来求索者。所有財物随力施与。以自捨慳貪。令彼歓喜。若見厄難恐怖危逼。随己堪任施与無畏。若有衆生来求法者。随己能解方便為説。不応貪求名利恭敬。唯念自利利他。回向菩提故。
【論】 (云何が施門を修行する。もし一切の来りて求索する者を見れば、所有る財物は力に随いて施与す。自から慳貪を捨するを以て、彼をして歓喜せしむ。もし厄難恐怖危逼を見て、己が堪任するに随いて無畏を施与す。もし衆生の来りて法を求むる者あらば、己が能く解するに随いて方便して為に説きて、応に名利恭敬を貪求すべからず。唯だ自利利他を念じ菩提に回向するが故に。)

【論】云何修行戒門。所謂不殺不盜不婬不両舌不悪口不妄言不綺語。遠離貪嫉欺詐諂曲瞋恚邪見。若出家者為折伏煩悩故。亦応遠離[ケ02]鬧常処寂静。修習少欲知足頭陀等行。乃至。小罪心生怖畏慚愧改悔。不得軽於如来所制禁戒。当護譏嫌。不令衆生妄起過罪故。
【論】 (云何が戒門を修行する。所謂、不殺・不盜・不婬・不両舌・不悪口・不妄言・不綺語。貪嫉・欺詐・諂曲・瞋恚・邪見を遠離す。もし出家者は煩悩を折伏せんがための故に、また応に[ケ02]鬧を遠離し、常に寂静に処して少欲知足・頭陀等の行を修習し、乃至、小罪にも心に怖畏を生じて、慚愧・改悔して、如来所制の禁戒を軽んずることを得ざるべし。当に譏嫌を護り、衆生をして妄に過罪を起こさしめざるべきが故に。)

【論】云何修行忍門。所謂応忍他人之悩心不懐報。亦当忍於利衰毀誉称譏苦楽等法故。
【論】 (云何が忍門を修行する。所謂、応に他人の悩を忍びて心に報を懐せざるべし。また当に利衰・毀誉・称譏・苦楽等の法を忍ぶべきが故に。)

【論】云何修行進門。所謂於諸善事心不懈退。立志堅強遠離怯弱。当念過去久遠已来。虚受一切身心大苦無有利益。是故応勤修諸功徳。自利利他速離衆苦。
【論】 (云何が進門を修行する。所謂、諸の善事に於て心に懈退せず、志を立つること堅強にして怯弱を遠離し、当に過去久遠已り来た、虚しく一切身心の大苦を受けて利益あることなきことを念ず。この故に応に勤めて諸の功徳を修して、自利利他して速かに衆苦を離るべし。)

【論】復次若人雖修行信心。以従先世来多有重罪悪業障故。為邪魔諸鬼之所悩乱。或為世間事務種種牽纒。或為病苦所悩。有如是等衆多障礙。是故応当勇猛精勤。昼夜六時礼拝諸仏。誠心懺悔勧請随喜回向菩提。常不休廃得免諸障。善根増長故。
【論】 (また次に、もし人、信心を修行すといえども、先世より来た多く重罪悪業障あるを以ての故に、邪魔諸鬼のために悩乱せらる。或いは世間事務のために種種に牽纒せらる。或いは病苦のために悩まさる。かくの如き等の衆多の障礙あり。この故に応当に勇猛精勤して、昼夜六時に諸仏を礼拝し、誠心に懺悔し勧請し随喜して菩提に回向すべし。常に休廃せず諸障を免れることを得ん。善根増長するが故に。)

 復次若人以下。第二示修行者除障方便。此第二中亦有二句。先明所除障礙。後示能除方法。Kkaito02-22R
  (「復次若人」以下は、第二に修行者の除障の方便を示す。この第二の中に、また二句あり。先ず所除の障礙を明かし、後は能除の方法を示す。)Kkaito02-22R

 方法中言礼拝諸仏者。此総明除諸障方便。如人負債依付於王。則於債主無如之何。如是行人礼拝諸仏。諸仏所護。能脱諸障也。Kkaito02-22R
  (方法の中に「礼拝諸仏〈諸仏を礼拝し〉」というは、これ総じて諸障を除く方便を明かす。人の債を負いて王に依付すれば、則ち債主に於いて、これを如何ともすることなきが如く、かくの如く行人、諸仏を礼拝すれば、諸仏に護せられて、能く諸障を脱するなり。)Kkaito02-22R

 懺悔以下。別除四障。四障是何。一者諸悪業障。懺悔除滅。二者誹謗正法。勧請滅除。三者嫉妬他勝。随喜対治。四者楽著三有。回向対治。由是四障。能令行者不発諸行。不趣菩提。故修如是四行対治。是義具如瑜伽論説。又此懺悔等四種法。非直能除諸障。亦乃功徳無量。故言免諸障善根増長。是義広説。如金鼓経也。Kkaito02-22R,22L
  (「懺悔」以下は、別して四障を除く。四障はこれ何ぞ。一には諸の悪業障。懺悔して除滅す。二には誹謗正法。勧請して滅除す。三には嫉妬他勝。随喜して対治す。四には楽著三有。回向して対治す。この四障に由りて、能く行者をして諸行を発せず、菩提に趣むかざらしむるが故に、かくの如く四行を修して対治す。この義は具には『瑜伽論』に説くが如し。またこの懺悔等の四種の法は、直ちに能く諸障を除くのみにあらず、また乃し功徳無量なるが故に「免諸障善根増長〈諸障を免れることを得ん。善根増長するが故に〉」という。この義は広く説くこと『金鼓経』の如し。)Kkaito02-22R,22L

【論】云何修行止観門。所言止者。謂止一切境界相。随順奢摩他観義故。
【論】 (云何が止観門を修行する。言う所の止とは、謂く、一切の境界の相を止めて、奢摩他観に随順する義の故に。)

 止観門中。在文有二。一者略明。二者広説。Kkaito02-22L
  (止観門の中に、文に在りて二あり。一には略して明かし、二には広く説く。)Kkaito02-22L

 初略中言謂止一切境界相者。先由分別作諸外塵。今以覚慧破外塵相。塵相既止。無所分別。故名為止也。Kkaito02-22L
  (初の略の中に「謂止一切境界相〈謂く、一切の境界の相を止めて〉」というは、先に分別して諸の外塵を作すに由りて、今、覚慧を以て外塵の相を破す。塵相既に止めば、分別する所なきが故に名づけて止と為るなり。)Kkaito02-22L

【論】所言観者。謂分別因縁生滅相。随順毘鉢舍那観義故。
【論】 (言う所の観とは、謂く、因縁生滅の相を分別して毘鉢舍那観に随順する義の故に。)

 次言分別生滅相者。依生滅門。観察法相。故言分別。如瑜伽論菩薩地云。此中菩薩。即於諸法無所分別。当知名止。若於諸法勝義理趣。及諸無量安立理趣。世俗妙智。当知名観。Kkaito02-22L,23R
  (次に「分別生滅相」というは、生滅門に依りて法相を観察するが故に「分別」という。『瑜伽論』の菩薩地に云うが如し「この中の菩薩は、即ち諸法に於いて分別する所なし。当に知るべし、止と名づく。もし諸法の勝義理趣、及び諸の無量の安立理趣に於ける世俗の妙智を、当に知るべし、観と名づく」と。)Kkaito02-22L,23R

 是知依真如門。止諸境相。故無所分別。即成無分別智。依生滅門。分別諸相。観諸理趣。即成後得智也。Kkaito02-23R
  (ここに知りぬ。真如門に依りて諸の境相を止むるが故に分別する所なし。即ち無分別智を成ず。生滅門に依りて諸相を分別して、諸の理趣を観ず。即ち後得智を成ずるなり。)Kkaito02-23R

 随順奢摩他観義。随順毘鉢舍那観義者。彼云奢摩他。此翻云止。毘鉢舍那。此翻云観。但今訳此論者。為別方便及与正観。故於正観仍存彼語。若具存此語者。応云随順止観義。及随順観観義。欲顕止観双運之時即是正観。故言止観及与観観。在方便時。止諸塵相。能順正観之止。故言随順止観。又能分別因縁相故。能順正観之観。故言随順観観。Kkaito02-23R,23L
  (「随順奢摩他観義」「随順毘鉢舍那観義」とは、彼には「奢摩他」と云い、ここには翻じて止と云う。「毘鉢舍那」は、ここには翻じて観と云う。但し今、この論を訳することは、方便と及び正観とを別かたんが為の故に正観に於いて仍〈な〉お彼の語を存す。もし具にここの語を存せば、応に止に随順する観義、及び観に随順する観義と云うべし。止観双運の時、即ちこれ正観なることを顕さんと欲するが故に「止観〈奢摩他観〉」及与び「観観〈毘鉢舍那観〉」という。方便の時に在りては、諸の塵相を止めて、能く正観の止に順ずるが故に「随順止観〈随順奢摩他観〉」という。また能く因縁の相を分別するが故に、能く正観の観に順ずるが故に「随順観観〈随順毘鉢舍那観〉」という。)Kkaito02-23R,23L

【論】云何随順。以此二義漸漸修習不相捨離。双現前故。
【論】 (云何が随順する。この二義は漸漸に修習して相捨離せざるを以て、双びて現前するが故に。)

 云何随順以下。正釈此義。漸漸修習者。是明能随順之方便。現在前者。是顕所随順之正観也。此中略明止観之義。随相而論。定名為止。慧名為観。就実而言。定通止観。慧亦如是。Kkaito02-23L
  (「云何随順」以下は、正しくこの義を釈す。「漸漸修習」とは、これ能随順の方便を明かし、「現在前」とは、これ所随順の正観を顕す。この中には略して止観の義を明かす。相に随いて論ぜば、定を名づけて止と為し、慧を名づけて観と為す。実に就きて言わば、定は止観に通じ、慧もまたかくの如し。)Kkaito02-23L

 如瑜伽論声聞地云。復次如是心一境性。或是奢摩他品。或是毘鉢舍那品。若於九種心住中心一境性。名奢摩他品。若於四種慧行中心一境性。名毘鉢舍那品。Kkaito02-23L
  (『瑜伽論』の声聞地に云うが如し「また次に、かくの如きの心一境性、或いはこれ奢摩他品、或いはこれ毘鉢舍那品なり。もし九種の心住の中の心一境性に於いては奢摩他品と名づけ、もし四種の慧行の中の心一境性に於いては毘鉢舍那品と名づく。)Kkaito02-23L-

 云何名為九種心住。謂有[ヒツ01]芻。令心内住。等住。安住。近住。調順。寂静。最極寂静。専住一趣。及与等持。如是名為九種心住。-Kkaito02-23L-
  (云何が名づけて九種の心住と為る。謂く、[ヒツ01]芻ありて、心をして内住し、等住し、安住し、近住し、調順し、寂静にし、最極寂静にして、専ら一趣、及与び等持に住せしむ。かくの如きを名づけて九種の心住と為す。)-Kkaito02-23L-

 云何内住。謂従外一切所縁境界。摂録其心。繋在於内。不外散乱。故名内住。-Kkaito02-23L,24R-
  (云何が内住。謂く、外の一切の所縁の境界によりて、その心を摂録して、内に繋在しいて、外に散乱せざるが故に内住と名づく。)-Kkaito02-23L,24R-

 云何等住。謂即最初所繋縛心。其性麁動。未能令其等遍住故。次即於此所縁境界。以相続方便。澄浄方便。挫令微細。遍摂令住。故名等住。-Kkaito02-24R-
  (云何が等住。謂く、即ち最初に繋縛する所の心、その性麁動なり。未だそれをして等しく遍く住せしむること能わざるが故に、次に即ちこの所縁の境界に於いて、相続の方便・澄浄の方便を以て、挫〈おさ〉えて微細ならしめ、遍く摂して住せしむるが故に等住と名づく。)-Kkaito02-24R-

 云何安住。謂若此心雖復如是内住等住。然由失念。於外散乱。還復摂録安置内境。故名安住。-Kkaito02-24R-
  (云何が安住。謂く、もしこの心、またかくの如く内に住し等しく住すといえども、然も念を失するに由りて外に於いて散乱す。還りてまた摂録して内境を安置するが故に安住と名づく。)-Kkaito02-24R-

 云何近住。謂彼先応如是如是親近念住。由此念故。数数作意内住其心。不令是心遠住於外。故名近住。-Kkaito02-24R-
  (云何が近住。謂く、彼、先ずかくの如くなるべし。かくの如く念住に親近す。この念に由るが故に、数数、作意して内にその心を住す。この心をして遠く外に住せしめざるが故に近住と名づく。)-Kkaito02-24R-

 云何調順。謂種種相。令心散乱。所謂五塵三毒男女等相。故彼先応取彼諸相為過患想。由如是相増上力故。於彼諸相折挫其心。不令流散。故名調順。
  (云何が調順。謂く、種種の相、心をして散乱せしむ。謂う所の五塵・三毒・男女等の相なるが故に、彼、先ず応に彼の諸相を取りて、過患の想を為すべし。かくの如きの相の増上力に由るが故に、彼の諸相に於いてその心を折挫して流散せしめざるが故に調順と名づく。)-Kkaito02-24R,24L-

 云何寂静。謂有種種欲恚害等諸悪尋伺。貪欲不善等諸随煩悩。令心擾動。動故彼先応取彼諸法為過患想。由此増上力故。於彼心不流散。故名寂静。-Kkaito02-24L-
  (云何が寂静。謂く、種種の欲恚害等の諸の悪尋伺、貪欲不善等の諸の随煩悩ありて、心をして擾動せしむ。動ずるが故に彼、先ず彼の諸法を取りて過患の想を為すべし。この増上力に由るが故に、彼の心に於いて流散せざるが故に寂静と名づく。)-Kkaito02-24L-

 云何最極静。謂失念故。即彼二種暫現行時。随所生起。然不忍受。尋即反吐。故名最極静。-Kkaito02-24L-
  (云何が最極静。謂く、念を失するが故に即ち彼の二種、暫く現行する時、生起する所に随いて、然も忍受せず。尋ねて即ち反吐するが故に最極静と名づく。)-Kkaito02-24L-

 云何名為専住一趣。謂有加行。有功用。無欠無間。三摩地相続而住。故名専住一趣。-Kkaito02-24L-
  (云何が名づけて専住一趣と為す。謂く、加行あり、功用ありて、欠もなく、間もなく、三摩地相続して住するが故に専住一趣と名づく。)-Kkaito02-24L-

 云何等持。謂数修数習。数多修習為因縁故。得無加行無功用住運転道。故名等持。-Kkaito02-24L-
  (云何が等持。謂く、しばしば修し、しばしば習う。数多の修習、因縁と為るが故に。加行なく、功用なく、運転の道に住することを得るが故に等持と名づく。)-Kkaito02-24L-

 又如是得奢摩他者。復即由是四種作意。方能修習毘鉢舍那。故此亦是毘鉢舍那品。云何四種毘鉢舍那。謂有[ヒツ01]芻依止内心奢摩他故。於諸法中能正思択。最極思択。周遍尋思。周遍伺察。是名四種。-Kkaito02-24L,25R-
  (またかくの如く奢摩他を得る者は、また即ちこの四種の作意に由りて、方に能く毘鉢舍那を修習するが故に、これはまたこれ毘鉢舍那品なり。云何が四種の毘鉢舍那なる。謂く、[ヒツ01]芻ありて内心の奢摩他に依止するが故に、諸法の中に於いて能く正しく思択し、最極に思択し、周遍に尋思し、周遍に伺察す。これを四種と名づく。)-Kkaito02-24L,25R-

 云何名為能正思択。謂於浄行所縁境界。或於善巧所縁境界。或於善行所縁。能正思択尽所有性。云何名為最極思択。謂即於彼所縁境界。最極思択如所有性。云何名為周遍尋思。謂於彼所縁境界。由慧倶行。有分別作意。取彼相状。周遍尋思。云何名為周遍思察。謂即於彼境。審諦推求。周遍伺察。乃至広説。-Kkaito02-25R-
  (云何が名づけて能く正しく思択すと為す。謂く、浄行所縁の境界に於いて、或いは善巧所縁の境界に於いて、或いは善行所縁に於いて、能く正しく思択して所有の性を尽す。云何が名づけて最極思択と為す。謂く、即ち彼の所縁の境界に於いて、最極に思択すること所有の性の如し。云何が名づけて周遍尋思と為す。謂く、彼の所縁の境界に於いて、慧と倶行する有分別の作意に由りて、彼の相状を取りて周遍尋思す。云何が名づけて周遍思察と為す。謂く、即ち彼の境に於いて審諦に推求して、周遍に伺察す」と、乃至広説。)-Kkaito02-25R

 尋此文意。乃説声聞止観法門。然以此法趣大乗境。即為大乗止観之行。故其九種心住。四種慧行。不異前説大乗境者。次下文中。当広分別依文消息也。止観之相。略義如是。Kkaito02-25R,25L
  (この文の意を尋ぬるに、乃し声聞の止観の法門を説く。然るにこの法を以て大乗の境に趣くを、即ち大乗止観の行と為るが故に、その九種の心住、四種の慧行、前に説く大乗の境に異ならざることは、次下の文の中に、当に広く分別して、文に依りて消息すべし。止観の相の略義、かくの如し。)Kkaito02-25R,25L

【論】若修止者。住於静処端坐正意。
【論】 (もし止を修する者は、静処に住して、端坐して意を正す。)

 若修以下第二広弁。於中有二。先明別修。後顕双運。別修之内先止。後観。先明止中。即有四段。一明修止方法。二顕修止勝能。三弁魔事。四示利益。Kkaito02-25L
  (「若修」以下は第二に広く弁ず。中に於いて二あり。先は別修を明かし、後は双運を顕す。別修の内に、先は止、後は観なり。先ず止を明かす中に即ち四段あり。一は止を修する方法を明かし、二は止を修する勝能を顕し、三は魔事を弁じ、四は利益を示す。)Kkaito02-25L

 初方法中。先明能入人。後簡不能者。初中言住静処者。是明縁具。具而言之。必具五縁。一者閑居静処。謂住山林。若住聚落。必有喧動故。二者持戒清浄。謂離業障。若不浄者。必須懺悔故。三者衣食具足。四者得善知識。五者息諸縁務。今略挙初。故言静処。Kkaito02-25L
  (初の方法の中に、先は能入の人を明かし、後は不能の者を簡ぶ。初の中に「住静処〈静処に住して〉」というは、これ縁具を明かす。具にしてこれを言わば、必す五縁を具す。一には閑居静処。謂く、山林に住す。もし聚落に住すれば、必ず喧動あるが故に。二には持戒清浄。謂く、業障を離る。もし不浄なれば、必ず須く懺悔べきが故に。三には衣食具足。四には善知識を得。五には諸の縁務を息む。今は略して初を挙ぐるが故に「静処」という。)Kkaito02-25L

 言端坐者。是明調身。言正意者。是顕調心。云何調身。委悉而言。前安坐処。毎令安穏久久無妨。次当正脚。若半跏坐。以左脚置右髀上。牽来近身。令左脚指与右髀斉。若欲全跏。即改上右脚必置左髀上。次左脚置右髀上。次解寛衣帯。不坐時落。次当安手。以左手掌置右手上。累手相対。頓置左脚上。牽来近身当心而安。次当正身。前当揺動其身。并諸支節。依七八反。如自按摩法。勿令手足差異。正身端直。令肩骨相対。勿曲勿聳。次正頭頸。令鼻与臍相対。不偏不邪不仰不卑。平面正住。今総略説故言端坐也。Kkaito02-25L,26R
  (「端坐」というは、これ身を調うることを明かす。「正意」というは、これ心を調うることを顕す。云何が調身。委悉にして言わば、前に坐処を安じて、毎に安穏にして久久に妨げなからしむ。次に当に脚を正すべし。もし半跏坐せば、左の脚を以て右の髀の上に置き、牽き来たりて身に近けよ。左の脚の指をして右の髀と斉しからしむ。もし全跏せんと欲わば、即ち上の右の脚を改めて、必ず左の髀の上に置き、次に左の脚を右の髀の上に置く。次に衣帯を解き寛めて、坐する時、落さざれ。次に当に手を安ずべし。左の手の掌を以て右の手の上に置き、手を累〈かさ〉ねて相対して、左の脚の上に頓置し、牽き来たりて身に近づけ心に当てて安ぜよ。次に当に身を正すべし。前に当にその身、并びに諸の支節を揺動すること、七八反に依るべし。自按摩の法の如くして、手足を差異ならしむることなかれ。正身端直にして、肩骨を相対せしめて、曲ることなかれ、聳〈おそ〉るることなかれ。次に頭頸を正す。鼻をして、臍と相対して、偏ならず、邪ならず、仰がず、卑からず、平面正住せしむ。今は総じて略して説くが故に「端坐」というなり。)Kkaito02-25L,26R

 云何調心者。末世行人。正願者少。邪求者多。謂求名利。現寂静儀。虚度歳月無由得定。離此邪求故言正意。直欲定心与理相応。自度度他至無上道。如是名為正意也。Kkaito02-26R,26L
  (云何が調心とならば、末世の行人は、正願の者は少なく、邪求の者は多し。謂く、名利を求めて寂静の儀を現じて、虚しく歳月を度して、定を得るに由なし。この邪求を離るるが故に「正意」という。直ちに定心と理と相応せんと欲わば、自らを度し、他を度して無上道に至る。かくの如きを名づけて正意と為すなり。)Kkaito02-26R,26L

【論】不依気息。不依形色。不依於空。不依地水火風。乃至。不依見聞覚知。一切諸想随念皆除亦遣除想。以一切法本来無想。念念不生。念念不滅。
【論】 (気息に依らず、形色に依らず、空に依らず、地水火風に依らず、乃至、見聞覚知に依らず。一切の諸想は念に随いて皆除き、また除想を遣る。一切の法は本来無想を以て、念念に生ぜず、念念に滅せず。)

 不依以下。正明修止次第。顕示九種住心。Kkaito02-26L
  (「不依」以下は、正しく止を修する次第を明かして、九種の住心を顕示す。)Kkaito02-26L

 初言不依気息。乃至不依見聞覚知者。是明第一内住之心。言気息者。数息観境。言形色者。骨瑣等相。空地水等。皆是事定所縁境界。見聞覚知。是挙散心所取六塵。於此諸塵推求破壊。知唯自心。不復託縁。故言不依。不依外塵。即是内住也。Kkaito02-26L
  (初に「不依気息(乃至)不依見聞覚知〈気息に依らず、形色に依らず、空に依らず、地水火風に依らず、乃至、見聞覚知に依らず〉」というは、これ第一の内住の心を明かす。「気息」というは数息観の境なり。「形色」というは骨瑣等相、空地水等は皆これ事定所縁の境界なり。「見聞覚知」はこれ散心の取る所の六塵を挙ぐ。この諸塵に於いて推求し破壊して、ただ自心なりと知りて、また縁に託せざるが故に「不依」という。外塵に依らざる、即ちこれ内住なり。)Kkaito02-26L

 次言一切諸相随念皆除者。是明第二等住之心。前雖別破気息等相。而是初修其心麁動。故破此塵。転念余境。次即於此一切諸相。以相続方便澄浄方便。挫令微細。随念皆除。皆除馳想即是等住也。Kkaito02-26L,27R
  (次に「一切諸相随念皆除〈一切の諸想は念に随いて皆除き〉」というは、これ第二の等住の心を明かす。前に別して気息等の相を破すといえども、而もこれ初にその心を修すること麁動なるが故に、この塵を破して転じて余境を念ず。次に即ちこの一切の諸相に於いて、相続の方便・澄浄の方便を以て、挫〈おさ〉えて微細ならしめ、念に随いて皆除く。皆、馳想を除く、即ちこれ等住なり。)Kkaito02-26L,27R

 次言亦遣除想者。是明第三安住之心。前雖皆除外馳之想。而猶内存能除之想。内想不滅。外想還生。是故於内不得安住。今復遣此能除之想。由不存内。則能忘外。忘外而静。即是安住也。Kkaito02-27R
  (次に「亦遣除想〈また除想を遣る〉」というは、これ第三の安住の心を明かす。前に皆、外に馳する想を除くといえども、猶し内に能除の想を存す。内想、滅せざらんは、外想還りて生ず。この故に内に於いて安住することを得ず。今またこの能除の想を遣る。内に存せざるに由れば、則ち能く外を忘る。外を忘れて而も静なり。即ちこれ安住なり。)Kkaito02-27R

 次言以一切法本来無相。念念不生念念不滅者。是明第四近住之心。由先修習念住力故。明知内外一切諸法。本来無有能想可想。推其念念不生不滅。数数作意而不遠離。不遠離住。即是近住也。Kkaito02-27R
  (次に「以一切法本来無相。念念不生念念不滅〈一切の法は本来無相を以て、念念に生ぜず、念念に滅せず〉」というは、これ第四の近住の心を明かす。先に念住を修習する力に由るが故に、明らかに知りぬ、内外一切の諸法、本より来た能想・可想あることなく、その念念を推するに、不生不滅なりと。数数〈しばしば〉に作意して遠く離れず。遠く離れずして住す、即ちこれ近住なり。)Kkaito02-27R

【論】亦常不得随心外念境界。後以心除心。心若馳散。即当摂来住於正念。是正念者。当知唯心無外境界。即復此心亦無自相。念念不可得。
【論】 (また常に心外に随いて境界を念じ、後に心を以て心を除くことを得ず。心もし馳散せば、即ち当に摂し来りて正念に住すべし。この正念とは、当に知るべし、唯心にして外の境界なし。即ちまたこの心は、また自相なく、念念不可得なり。)

 次言亦不得随心外念境界者。是明第五調順之心。諸外塵相念心散乱。依前修習安住近住。深知外塵有諸過患。即取彼相為過患相。由是想力折挫其心念不外散。故名調順也。Kkaito02-27R,27L
  (次に「亦不得随心外念境界〈また常に心外に随いて境界を念じ〉」というは、これ第五の調順の心を明かす。諸の外塵の相、心に念じて散乱す。前に安住・近住を修習するに依りて、深く外塵に諸の過患ありと知りて、即ち彼の相を取りて過患の相と為す。この想力に由りて、その心念を折挫して外に散ぜざるが故に調順と名づくるなり。)Kkaito02-27R,27L

 次言後以心除心者。是明第六寂静之心。諸分別想令心発動。依前調順。弥覚其患。即取此相為過患想。由此想力転除動心。動心不起。即是寂静也。Kkaito02-27L
  (次に「後以心除心〈後に心を以て心を除く〉」というは、これ第六の寂静の心を明かす。諸の分別の想は心をして発動せしむ。前の調順に依りて、弥〈いよいよ〉その患を覚りて、即ちこの相を取りて過患の想と為す。この想力に由りて、転〈うたた〉動心を除く。動心起せざれば即ちこれ寂静なり。)Kkaito02-27L

 次言心若馳散。乃至。念念不可得者。是明第七最極寂静之心。於中有二。初言心若馳散即当摂来。乃至。唯心無外境界者。是明失念暫馳散外塵。而由念力能不忍受也。次言即復此心亦無自相念念不可得者。是明失念還存内心。而由修力尋即反吐也。能於内外不受反吐。是故名為最極寂静。Kkaito02-27L,28R
  (次に「心若馳散(乃至)念念不可得」というは、これ第七の最極寂静の心を明かす。中に於いて二あり。初に「心若馳散即当摂来(乃至)唯心無外境界〈心もし馳散せば、即ち当に摂し来りて正念に住すべし。この正念とは、当に知るべし、唯心にして外の境界なし〉」というは、これ念を失して暫く外塵に馳散することを明かす。而も念力に由りて能く忍受せず。次に「即復此心亦無自相念念不可得〈即ちまたこの心は、また自相なく、念念不可得なり〉」というは、これ念を失して還りて内心を存することを明かす。而も修力に由りて尋ねて即ち反吐するなり。能く内外に於いて反吐と受けず。この故に名づけて最極寂静と為す。)Kkaito02-27L,28R

【論】若従坐起。去来進止有所施作。於一切時。常念方便随順観察。久習淳熟其心得住。以心住故。漸漸猛利随順得入真如三昧。深伏煩悩信心増長。速成不退。唯除疑惑不信誹謗重罪業障我慢懈怠。如是等人所不能入。
【論】 (もし坐より起きて、去来進止に施作する所あらば、一切の時に於いて常に方便を念じて、随順観察すべし。久習淳熟すれば、その心は住することを得。心住するを以ての故に、漸漸に猛利にして真如三昧に随順し得入し、深く煩悩を伏して信心増長して、速かに不退を成ず。ただ疑惑・不信・誹謗・重罪業障・我慢・懈怠を除く。かくの如き等の人は入ること能わざる所なり。)

 次言若従坐起去来。乃至。淳熟其心得住者。是明第八専住一趣。謂有加行有功用心。故言常念方便随順観察也。無間無欠定心相続。故言久習淳熟其心得住。即是専住一趣相也。Kkaito02-28R
  (次に「若従坐起去来(乃至)淳熟其心得住」というは、これ第八の専住一趣を明かす。謂く、加行あり、功用の心あり。故に「常念方便随順観察〈常に方便を念じて、随順観察すべし〉」いうなり。間なく、欠なく、定心相続するが故に「久習淳熟其心得住〈久習淳熟すれば、その心は住することを得〉」という。即ちこれ専住一趣の相なり。)Kkaito02-28R

 次言以心住故漸漸猛利。随順得入真如三昧者。是明第九等持之心。由前淳熟修習力故。得無加行無功用心。遠離沈浮。任運而住。故名等持。等持之心住真如相。故言得入真如三昧。深伏煩悩信心増長速成不退者。略顕真如三昧力用。由此進趣得入種性不退位故。Kkaito02-28R
  (次に「以心住故漸漸猛利。随順得入真如三昧〈心住するを以ての故に、漸漸に猛利にして真如三昧に随順し得入し〉」というは、これ第九の等持の心を明かす。前の淳熟修習力に由るが故に、加行なく、功用なき心を得て、沈浮を遠離して、任運にして住するが故に等持と名づく。等持の心、真如の相に住するが故に「得入真如三昧〈真如三昧に随順し得入し〉」という。「深伏煩悩信心増長速成不退〈深く煩悩を伏して信心増長して、速かに不退を成ず〉とは、略して真如三昧の力用を顕す。これに由りて進趣して種性不退の位に入ることを得るが故に。)Kkaito02-28R

 上来所説名能入者。唯除以下。簡不能者。修止方法竟在於前。Kkaito02-28R,28L
  (上来に説く所を能入者と名づく。「唯除」以下は不能の者を簡ぶ。止を修する方法、竟りぬ、前に在り。)Kkaito02-28R,28L

【論】復次依是三昧故。則知法界一相。謂一切諸仏法身与衆生身平等無二。即名一行三昧。当知真如是三昧根本。若人修行漸漸能生無量三昧。
【論】 (また次にこの三昧に依るが故に、則ち法界一相なりと知る。謂く一切の諸仏の法身と衆生身と平等無二なるを、即ち一行三昧と名づく。当に知るべし真如はこれ三昧の根本なり。もし人、修行する漸漸に能く無量三昧を生ず。)

 復次以下。第二明修止勝能。是明依前真如三昧。能生一行等諸三昧。Kkaito02-28L
  (「復次」以下は第二に止を修する勝能を明かす。これ前の真如三昧に依りて、能く一行等の諸の三昧を生ずることを明かす。)Kkaito02-28L

 所言一行三昧者。如文殊般若経言。云何名一行三昧。仏言。法界一相。繋縁法界。是名一行三昧。入一行三昧者。尽知恒沙諸仏法界無差別相。阿難所聞仏法。得念総持弁才智慧。於声聞中雖為最勝。猶住量数。即有限礙。若得一行三昧。諸経法門。一一分別。皆悉了知。決定無礙。昼夜常説。智慧弁才終不断絶。若比阿難多聞弁才。百千等分不及其一。乃至広説。Kkaito02-28L
  (言う所の「一行三昧」とは、『文殊般若経〈文殊師利所説摩訶般若波羅蜜経〉』に言うが如し「云何が一行三昧と名づくる。仏の言わく。法界一相にして縁を法界に繋ぐ、これを一行三昧と名づく。一行三昧に入る者は、尽く恒沙の諸仏の法界、差別の相なしと知る。阿難。聞く所の仏法、総持弁才智慧を念ずることを得。声聞の中に於いては最勝と為すといえども、猶し量数に住して、即ち限礙あり。もし一行三昧を得れば、諸経の法門、一一に分別し、皆悉く了知して、決定して無礙なり。昼夜に常に智慧弁才を説きて、終に断絶せず。もし阿難の多聞弁才に比せば、百千等分もその一に及ばず」乃至広説。)Kkaito02-28L

 真如三昧能生此等無量三昧。故言真如是三昧根本也。修止勝能竟在於前。Kkaito02-28L,29R
  (真如三昧は能くこれ等の無量の三昧を生ずるが故に「真如是三昧根本〈真如はこれ三昧の根本なり〉」というなり。止を修する勝能、竟りぬ、前に在り。)Kkaito02-28L,29R

【論】或有衆生無善根力。則為諸魔外道鬼神之所惑乱。若於坐中現形恐怖。或現端正男女等相。
【論】 (或いは衆生ありて善根力なく、則ち諸魔外道鬼神のために惑乱せらる。もしは坐中に於いて形を現じて恐怖し、或いは端正の男女等の相を現ず。)

 或有以下第三明起魔事。於中有二。略明。広釈。略中亦二。先明魔[ニョウ02]。後示対治。Kkaito02-29R
  (「或有」以下は、第三に魔事を起こすことを明かす。中に於いて二あり。略して明かし、広く釈す。略の中にまた二。先は魔[ニョウ02]を明かし、後は対治を示す。)Kkaito02-29R

 初中言諸魔者。是天魔也。鬼者。堆[チャク01]鬼也。神者。精媚神也。如是鬼[ニョウ02]乱仏法。令堕邪道。故名外道。如是諸魔乃至鬼神等。皆能変作三種五塵。破人善心。一者作可畏事。文言坐中現形恐怖故。二者作可愛事。文言或現端政男女故。三非違非順事。謂現平品五塵。動乱行人之心。文言等相故。Kkaito02-29R
  (初の中に「諸魔」というは、これ天魔なり。「鬼」とは堆[チャク01]鬼なり。「神」とは精媚神なり。かくの如く鬼は仏法を[ニョウ02]乱して、邪道に堕せしむるが故に外道と名づく。かくの如き諸魔、乃至、鬼神等、皆能く三種の五塵を変作して、人の善心を破す。一には可畏の事を作す。文に「坐中現形恐怖〈坐中に於いて形を現じて恐怖し〉」というが故に。二には可愛の事を作す。文に「或現端政男女〈或いは端政の男女を現ず〉」というが故に。三には非違・非順の事。謂く、平品の五塵を現じて、行人の心を動乱す。文に「等相」というが故に。)Kkaito02-29R

【論】当念唯心。境界則滅。終不為悩。
【論】 (当に唯心を念ずべし。境界則ち滅して、終に悩をなさず。)

 当念以下。次明対治。若能思惟如前諸塵。唯是自心分別所作。自心之外。無別塵相。能作是念。境相即滅。是明通遣諸魔鬼神之法。別門而言。各有別法。謂治諸魔者。当誦大乗諸治魔呪。咀念誦之。Kkaito02-29R,29L
  (「当念」以下は、次に対治を明かす。もし能く前の諸塵の如きは、唯これ自心の分別の所作なり。自心の外に別に塵相なしと思惟して、能くこの念を作せば、境相即滅す。これ通じて諸魔鬼神を遣る法を明かす。別門にして言わば、各、別法あり。謂く、諸魔を治すとは、当に大乗の諸の治魔の呪を誦して、咀してこれを念誦す。)Kkaito02-29R,29L

 堆[チャク01]鬼者。或如虫蝎。縁人頭面。攅刺[シュウ06][シュウ06]。或復撃櫪人両掖下。或乍抱持於人。或言説音声喧喧。及作諸獣之形。異相非一。来悩行者。則応閉目。一心憶而作如是言。我今識汝。汝是此閻浮提中食火臭香偸臘吉支。即見汝喜汝破戒種。我今持戒。終不畏汝。若出家人。応誦戒律。若在家人。応誦菩薩戒本。若誦三帰五戒等。鬼便却行匍匐而出也。Kkaito02-29L
  (堆[チャク01]鬼とは、或いは虫蝎の如くにして、人の頭面に縁りて攅刺して[シュウ06][シュウ06]たり。或いはまた人の両掖の下を撃櫪〈[レキ01]か?〉し、或いは乍〈にわか〉に人を抱持し、或いは言説音声喧喧とし、及び諸獣の形を作し、異相、一に非ずして、来りて行者を悩すときは、応に則ち目を閉じて一心に憶してかくの如くの言を作すべし。我、今、汝を識れり。汝はこれこの閻浮提の中に火臭香を食する偸臘吉支なり。即ち汝を見るに、汝は破戒の種を喜ぶ。我、今、持戒にして、終に汝を畏れず。もし出家の人は戒律を誦すべし。もし在家の人は菩薩戒本を誦し、もしは三帰五戒等を誦すべし。鬼便ち却行匍匐して出でん。)Kkaito02-29L

 精媚神者。謂十二時狩。能変化作種種形色。或作少男女相。或作老宿之形。及可畏身等。非一衆多。悩乱行者。其欲悩人。各当其時来。若其多於寅時来者。必是虎[シ12]等。多於卯時来者。必是兎[ショウ30]等。乃至多於丑時来者。必是牛類等。行者恒用此時。則知其狩精媚。説其名字呵嘖。即当謝滅。此等皆如禅経広説。上来略説魔事対治。Kkaito02-29L,30R
  (精媚神とは、謂く、十二時の狩の能く変化して種種の形色を作し、或いは少男女の相を作し、或いは老宿の形、及び可畏の身等を作すこと、一に非ず衆多にして、行者を悩乱す。その人を悩さんと欲するに、各、その時に当りて来る。もしその多くは寅の時に於いて来る者は、必ずこれ虎[シ12]等なり。多く卯の時に於いて来る者は必ずこれ兎[ショウ30]等なり。乃至、多く丑の時に於いて来る者は、必ずこれ牛類等なり。行者、恒にこの時に用いて、則ちその狩の精媚を知りて、その名字を説きて呵嘖せば、即ち当に謝滅すべし。これ等は皆、禅経に広く説くが如し。上来、略して魔事の対治を説く。)Kkaito02-29L,30R

【論】或現天像菩薩像。亦作如来像相好具足。若説陀羅尼。若説布施持戒忍辱精進禅定智慧。或説平等空無相無願無怨無親無因無果畢竟空寂。是真涅槃。
【論】 (或いは天像菩薩像を現じ、または如来の像を作りて相好具足し、もしは陀羅尼を説き、もしは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、或いは平等・空・無相・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂なる、これ真の涅槃なりと説く。)

【論】或令人知宿命過去之事。亦知未来之事。得他心智弁才無礙。能令衆生貪著世間名利之事。
【論】 (或いは人をして宿命過去の事を知り、また未来の事を知り、他心智弁才無礙を得しむ。能く衆生をして世間の名利の事に貪著せしむ。)

【論】又令使人数瞋数喜性無常準。或多慈愛多睡多宿多病其心懈怠。或率起精進。後便休廃生於不信多疑多慮。或捨本勝行更修雑業。若著世事種種牽纒。
【論】 (また人をして、しばしば瞋り、しばしば喜びて性に常準なく、或いは多く慈愛・多睡・多宿・多病にしてその心懈怠ならしむ。或いは率〈にわか〉に精進を起こし、後に便ち休廃して、不信を生じて多疑多慮。或いは本の勝行を捨て更に雑業を修す。もしは世事に著し種種に牽纒す。)

【論】亦能使人得諸三昧少分相似。皆是外道所得。非真三昧。或復令人若一日若二日若三日乃至七日。住於定中。得自然香美飲食。身心適悦不飢不渇。使人愛著。
【論】 (また能く人をして諸の三昧の少分の相似を得しむ。皆これ外道の所得にして真の三昧にあらず。或いはまた人をして、もしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至、七日、定中に住して、自然の香美の飲食を得て、身心適悦して不飢不渇ならしむ。人をして愛著せしむ。)

【論】或亦令人食無分斉。乍多乍少顏色変異。
【論】 (或いはまた人をして食に分斉なく、乍〈にわか〉に多く、乍〈にわか〉に少なくして、顏色変異せしむ。)

 或現以下第二広釈。於中有三。一者広顕魔事差別。以是義故以下。第二明其対治。応知外道以下。第三簡別真偽。Kkaito02-30R
  (「或現」以下は第二に広く釈す。中に於いて三あり。一には広く魔事の差別を顕し、「以是義故」以下は第二にその対治を明かし、「応知外道」以下は第三に真偽を簡別す。)Kkaito02-30R

 初中即明五双十事。一者現形説法為双。二者得通起弁為双。謂従或令人以下。乃至名利之事也。三者起惑作業為双。謂又令使人以下。乃至種種牽纒也。四者入定得禅為双。謂従亦能使以下。乃至使人愛著也。五者食差顔変為双。文処可見也。Kkaito02-30R
  (初の中に即ち五双十事を明かす。一には現形説法を双と為し、二には得通起弁を双と為す。謂く、「或令人」より以下、乃し「名利之事」に至るまでなり。三には起惑作業を双と為す。謂く「又令使人」より以下、乃し「種種牽纒」に至るまでなり。四には入定得禅を双と為す。謂く「亦能使」より以下、乃し「使人愛著」に至るまでなり。五には食差顔変を双と為す。文処、見つべきなり。)Kkaito02-30R,30L

【論】以是義故。行者常応智慧観察。勿令此心堕於邪網。当勤正念不取不著。則能遠離是諸業障。
【論】 (この義を以ての故に、行者、常に応に智慧観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかれ。当に勤めて正念にして不取不著ならば、則ち能くこの諸の業障を遠離す。)

 問。如見菩薩像等境界。或因宿世善根所発。云何簡別判其邪正。Kkaito02-30L
  (問う。菩薩の像等の境界を見るが如きは、或いは宿世の善根に因りて発する所なり。云何が簡別してその邪正を判せん。)Kkaito02-30L

 解云。実有是事。不可不愼。所以然者。若見諸魔所為之相。謂是善相。悦心取著。則因此邪僻。得病発狂。若得善根所発之境。謂是魔事。心疑捨離。即退失善利。終無進趣。而其邪正実難取別。故以三法験之可知。何事為三。一以定研磨。二依本修治。三智慧観察。Kkaito02-30L
  (解して云く。実にこの事あらば愼まずんばあるべからず。然る所以は、もし諸魔の所為の相を見ては、これ善相なりと謂いて、心を悦ばしめて取著するときは、則ちこの邪僻に因りて病を得て狂を発さん。もし善根所発の境を得て、これ魔事なりと謂いて、心に疑いて捨離せば、即ち善利を退失して終に進趣なし。而もその邪正、実に取別すること難きが故に、三法を以てこれを験じて知るべし。何事をか三と為る。一は定を以て研磨し、二は本に依りて修治し、三は智慧をもって観察せよ。)Kkaito02-30L

 如経言。欲知真金。三法試之。謂焼打磨。行人亦爾。難可別識。若欲別之。亦須三試。一則当与共事。共事不知。当与久共処。共処不知。智慧観察。今藉此意以験邪正。謂如定中境相発時邪正難了者。応当深入定。心於彼境中不取不捨。但平等定住。若是善根之所発者。定力逾深。善根弥発。若魔所為。不久自壊。Kkaito02-30L,31R
  (経〈『大般涅槃経』か?〉に言うが如し「真金を知らんと欲せば、三法をもってこれを試せよ。謂く、焼と打と磨となり。行人また爾なり」。別識すべきこと難し。もしこれを別かたんと欲せば、また須く三をもって試むべし。一は則当に与に共事せよ。共事せんに知れずは、当に与に久しく共処すべし。共処して知れずは、智慧をもって観察せよ。今、この意に藉りて以て邪正を験む。謂く、定中に境相発する時の如きは、邪正、了じ難くんば、応当に深く定に入りて、心、彼の境中に於いて取らず、捨てず、但、平等定に住すべし。もしこれ善根の所発ならば、定力いよいよ深く、善根いよいよ発せん。もし魔の所為ならば、久しからずして自壊せん。)Kkaito02-30L,31R

 第二依本修治者。且如本修不浄観禅。今則依本修不浄観。若如是修境界増明者。則非偽也。若以本修治漸漸壊滅者。当知是邪也。Kkaito02-31R
  (第二に本に依りて修治すとは、且く本〈もと〉不浄観禅を修する如きは、今は則し本に依りて不浄観を修せよ。もしかくの如く修せんに、境界増明ならば、則ち偽に非ざらん。もし本を以て修治せんに漸漸に壊滅せば、当に知るべし、これ邪なり。)Kkaito02-31R

 第三智慧観察者。観所発相。推験根原。不見生処。深知空寂。心不住著。邪当自滅。正当自現。如焼真金其光色。若是偽亦爾。此中定譬於磨。本猶於打。智慧観察類以火焼。以此三験。邪正可知也。Kkaito02-31R
  (第三に智慧をもって観察すとは、所発の相を観じ、根原を推験するに、生処を見ず。深く空寂を知りて、心、住著せずんば、邪は当に自ずから滅すべし。正は当に自ずから現ずべし。真金を焼くにその光色あるが如く、もしこれ偽なるも、また爾なり。この中の定を磨に譬え、本は猶し打つがごとく、智慧をもって観察するは、火を以て焼くに類す。この三験を以て、邪正を知るべきなり。)Kkaito02-31R

 問。若魔能令我心得定。定止邪正。如何簡別。Kkaito02-31R,31L
  (問う。もし魔、能く我が心をして定を得しめば、定止の邪正、如何が簡別せん。)Kkaito02-31R,31L

 解云。此処微細。甚難可知。且依先賢之説。略示邪正之岐。依如前説九種心住門。次第修習。至第九時。覚其支体運運而動。当動之時。即覚其身如雲如影。若有若無。或従上発。或従下発。或従腰発。微微遍身。動触発時。功徳無量。略而説之。有十種相。一静定。二空虚。三光浄。四喜悦。五倚楽。六善心生起。七知見明了。八無諸累縛。九其心調柔。十境界現前。如是十法。与動倶生。若具分別。則難可尽。此事既過。復有余三智慧観祭。Kkaito02-31L
  (解して云く。この処、微細にして甚だ知るべきこと難し。且く先賢の説に依りて、略して邪正の岐を示さん。前に説くが如き九種の心住門に依りて、次第に修習して第九に至る時、その支体運運に而も動ずと覚す。動の時に当りて即ちその身、雲の如く影の如くにして、もしは有、もしは無なることを覚す。或いは上より発し、或いは下より発し、或いは腰より発して、微微として身に遍じて動触発する時、功徳無量なり。略してこれを説くに十種の相あり。一は静定、二は空虚、三は光浄、四は喜悦、五は倚楽、六は善心生起、七は知見明了、八は諸の累縛なく、九はその心調柔、十は境界現前す。かくの如きの十法、動と倶に生ず。もし具に分別するときは、則ち尽くすべきこと難し。この事既に過ぎて、また余の三あれば、智慧をもって観祭せよ。)Kkaito02-31L

 言当勤正念不取不著者。総顕三中前之二法。今於此中大乗止門。唯修理定。更無別趣。故初定研并依本修。更無別法。所以今説当依本修大乗止門。正念而住。不取不著者。邪不干正。自然退没。当知若心取著。則棄正而成邪。若不取著。則因邪而顕正。是知邪正之分。要在著与不著。不著之者。無障不離。故言遠離是諸業障也。Kkaito02-31L,32R
  (「当勤正念不取不著〈当に勤めて正念にして不取不著ならば〉」というは、総じて三が中の前の二法を顕す。今この中に於いて大乗の止門は、ただ理定を修して、更に別趣なきが故に初に定をもって研き、并びに本に依りて修して、更に別法なし。所以に今、当に本に依りて大乗止門を修すべきことを説く。正念にして而も住して不取不著なれば、邪、正を干〈おか〉さず、自然に退没す。当に知るべし、もし心、取著するときは、則ち正を棄てて邪と成り、もし取著せざるときは、則ち邪に因りて正を顕す。これ邪正を知る分は、要ず著と不著とに在り。不著の者は障として離れざることなきが故に「遠離是諸業障〈この諸の業障を遠離す〉」というなり。)Kkaito02-31L,32R

【論】応知。外道所有三昧。皆不離見愛我慢之心。貪著世間名利恭敬故。真如三昧者。不住見相。不住得相。乃至。出定亦無懈慢。所有煩悩漸漸微薄。
【論】 (応に知るべし。外道所有の三昧は、皆、見愛我慢の心を離れず。世間の名利恭敬を貪著するが故に。真如三昧とは、見相に住さず、得相に住さず。乃至。定を出でて、また懈慢なし。所有の煩悩は漸漸に微薄なり。)

 応知外道以下。第三簡其真偽。於中有二。初挙内外以別邪正。先邪。後正。文相可知。Kkaito02-32R
  (「応知外道」以下は、第三にその真偽を簡ぶ。中に於いて二あり。初には内外を挙げて以て邪正を別かつ。先は邪。後は正。文相、知んぬべし。)Kkaito02-32R

【論】若諸凡夫不習此三昧法。得入如来種性。無有是処。以修世間諸禅三昧。多起味著。依於我見繋属二界。与外道共。若離善知識所護。則起外道見故。
【論】 (もし諸の凡夫、この三昧の法を習せずして、如来の種性に入ることを得ること、この処りあることなし。世間の諸禅三昧を修して、多く味著を起こし、我見に依りて二界に繋属するを以て、外道と共にす。もし善知識の所護を離るれば、則ち外道の見を起こすが故に。)

 若諸以下。次対理事以簡真偽。於中初顕理定。是真行者要修真如三昧。方入種性不退位中。除此更無能入之道。故言不習無有是処。然種性之位有其二門。一十三住門。初種性住。種性者。無始来有。非修所得義。出瑜伽及地持論。二六種性門。初習種性。次性種性者。位在三賢。因習所成。出本業経及仁王経。於中委悉。如一道義中広説也。今此中言如来種性者。説第二門習種性位也。Kkaito02-32R,32L
  (「若諸」以下は、次に理事に対して以て真偽を簡ぶ。中に於いて初は理定を顕す。これ真の行者は要ず真如三昧を修して、方に種性不退位の中に入る。これを除きて更に能入の道なきが故に「不習無有是処〈この三昧の法を習せずして、如来の種性に入ることを得ること、この処りあることなし〉」という。然れども種性の位にその二門あり。一は十三住門。初は種性住。種性とは、無始より来た有り。修所得の義に非ず。『瑜伽』及び『地持論』に出づ。二は六種性門。初は習種性。次に性種性とは、位、三賢に在り。習に因りて成する所なり。『本業経』及び『仁王経』に出づ。中に於いて委悉なること、『一道義』の中に広く説くが如し。今この中に「如来種性」というは、第二門の習種性の位を説くなり。)Kkaito02-32R,32L

 以修世間以下。次顕事定之偽。謂不浄観安那槃念等。皆名世間諸三昧也。若人不依真如三昧。直修此等事三昧者。随所入境。不離取著。取著法者。必著於我故属三界。与外道共也。如智度論云。諸法実相。其余一切皆是魔事。此之謂也。上来第三明魔事竟。Kkaito02-32L
  (「以修世間」以下は、次に事定の偽を顕す。謂く、不浄観・安那槃念等を皆、世間の諸三昧と名づくるなり。もし人、真如三昧に依らずして、直にこれ等の事の三昧を修せば、所入の境に随いて取著を離れず。取著の法とは、必ず我に著するが故に三界に属して外道と共にするなり。『智度論』に云うが如し「諸法実相のその余の一切は皆これ魔事なり」と。この謂なり。上来は第三に魔事を明かし竟わりぬ。)Kkaito02-32L

【論】復次精勤専心修学此三昧者。現世当得十種利益。云何為十。一者常為十方諸仏菩薩之所護念。
【論】 (また次に精勤して専心にこの三昧を修学する者は、現世に当に十種の利益を得べし。云何が十となす。一には常に十方の諸仏菩薩のために護念せらる。)

【論】二者不為諸魔悪鬼所能恐怖。三者不為九十五種外道鬼神之所惑乱。
【論】 (二には諸魔悪鬼のために能く恐怖せられず。三には九十五種の外道鬼神のために惑乱せられず。)

【論】四者遠離誹謗甚深之法。重罪業障漸漸微薄。五者滅一切疑諸悪覚観。
【論】 (四には甚深の法を誹謗することを遠離し、重罪業障は漸漸に微薄なり。五には一切の疑と諸の悪覚観を滅す。)

【論】六者於諸如来境界信得増長。七者遠離憂悔。於生死中勇猛不怯。八者其心柔和捨於[キョウ02]慢。不為他人所悩。九者雖未得定。於一切時一切境界処。則能減損煩悩不楽世間。十者若得三昧。不為外縁一切音声之所驚動。
【論】 (六には諸の如来の境界に於いて、信は増長することを得。七には憂悔を遠離して、生死の中に於いて勇猛不怯なり。八にはその心柔和にして[キョウ02]慢を捨てて、他人のために悩まされず。九には未だ定を得ずといえども、一切の時、一切の境界の処に於いて、則ち能く煩悩を減損して、世間を楽しまず。十には、もし三昧を得れば、外縁一切音声のために驚動せられず。)

 復次以下。第四利益。後世利益。不可具陳。故今略示現在利益。総標。別顕。文相可知。別明止門竟在於前。
  (「復次」以下は、第四に利益なり。後世の利益は具に陳ぶべからざるが故に、今、略して現在の利益を示す。総じて標し、別して顕す。文相、知るべし。別して止門を明かし竟りぬ、前に在り。)Kkaito02-33R

【論】復次若人唯修於止。則心沈没。或起懈怠。不楽衆善。遠離大悲。是故修観。
【論】 (また次に、もし人ただ止を修すれば、則ち心沈没し、或いは懈怠を起こして衆善を楽しまず、大悲を遠離す。この故に観を修す。)

 復次以下。第二明観。於中有三。初明修観之意。次顕修観之法。其第三者。総結勧修。Kkaito02-33R
  (「復次」以下は、第二に観を明かす。中に於いて三あり。初は修観の意を明かし、次は修観の法を顕し、その第三は総じて勧修を結す。)Kkaito02-33R

【論】修習観者。当観一切世間有為之法。無得久停。須臾変壊。一切心行念念生滅。以是故苦。応観過去所念諸法。恍愡如夢。応観現在所念諸法。猶如電光。応観未来所念諸法。猶如於雲[クツ01]爾而起。応観世間一切有身。悉皆不浄。種種穢汚無一可楽。
【論】 (観を修習する者は、当に一切世間有為の法は、久しく停ることなく、須臾に変壊し、一切の心行は念念に生滅して、これを以ての故に苦なりと観ずべし。応に過去所念の諸法は恍愡として夢の如しと観ずべし。応に現在の所念の諸法は、猶し電光の如しと観ずべし。応に未来所念の諸法は猶し雲の[クツ01]爾として起こるが如しと観ずべし。応に世間一切の有身は、悉く皆不浄にして、種種の穢汚は一として楽しむべきことなしと観ずべし。)

 第二之中。顕四種観。一法相観。謂無触次第而発。言余触者。略有八種。一動。二痒。三涼。四暖。五軽。六重。七渋。八滑。然此八触。未必具起。或有但発二三触者。発時亦無定。次然多初発動触。此是依麁顕正定相。Kkaito02-33R
  (第二の中に四種の観を顕す。一は法相観。謂く、触の次第なくして発す。「余触」というは、略して八種あり。一は動、二は痒、三は涼、四は暖、五は軽、六は重、七が渋、八は滑なり。然もこの八触、未だ必しも具に起せず。或いはただ二・三触を発す者あり。発する時、また定まることなし。次に然も多く初めて動触を発す。これはこれ麁顕に依りて正しく相を定む。)Kkaito02-33R

 次弁邪相。邪相略出十双。一増減。二定乱。三空有。四明闇。五憂喜。六苦楽。七善悪。八愚智。九脱縛。十強柔。Kkaito02-33R
  (次に邪相を弁ず。邪相に略して十双を出だす。一に増減、二に定乱、三に空有、四に明闇、五に憂喜、六に苦楽、七に善悪、八に愚智、九に脱縛、十に強柔なり。)Kkaito02-33R

 一増減者。如動触発時。或身動手起。脚亦随動。外人見其兀兀如睡。或如著鬼。身手足紛動。此為増相。若其動触発時。若上若下。未及遍身。即便壊滅。因此都失境界之相。坐時蕭索。無法持身。此為減相。Kkaito02-33R,33L
  (一に増減とは、動触の発する時の如き、或いは身動き手起こり、脚もまた随いて動く。外人、その兀兀たるは睡るが如く、或いは鬼に著して、身手足、紛動するが如しと見る。これを増相と為す。もしその動触発する時、もしは上、もしは下、未だ遍身に及ばず。即便ち壊滅す。これに因りて都て境界の相を失す。坐する時は蕭索として、法の、身を持するなし。これを減相と為す。)Kkaito02-33R,33L

 二定乱者。動触発時。識心及身。為定所縛。不得自在。或復因此便入邪定。乃至七日。此是定過。若動触発時。心意余乱。挙縁異境。此為乱過也。Kkaito02-33L
  (二に定乱とは、動触発する時、識心及び身、定の為に縛せられて、自在を得ず。或いはまたこれに因りて便ち邪定に入りて、乃し七日に至る。これはこれ定過なり。もし動触発する時、心意、乱を余して、挙げて異境を縁ず。これを乱過と為すなり。)Kkaito02-33L

 三空有者。触発之時。都不見身。謂証空定。是為空過。若触発時。覚身賢実。猶如木石。是為有過也。Kkaito02-33L
  (三に空有とは、触発の時、都て身を見ず。謂く、空定を証す、これを空過と為す。もし触発の時、身は賢実なること、猶し木石の如しと覚す、これを有過と為すなり。)Kkaito02-33L

 四明闇者。触発之時。見外種種光色。乃至日月星辰。是為明過。若触発時。身心闇昧。如入闇室。是為闇過也。Kkaito02-33L
  (四に明闇とは、触発の時、外の種種の光色、乃至、日月星辰を見る、これを明過と為す。もし触発の時、身心闇昧なること、闇室に入るが如し、これを闇過と為すなり。)Kkaito02-33L

 五憂喜者。触発之時。其心熱悩憔悴不悦。是為憂失。若触発時。心大踊悦。不能自安。是為喜失也。Kkaito02-33L,34R
  (五に憂喜とは、触発の時、その心、熱悩憔悴して悦ばず。これを憂失と為す。もし触発の時、心大いに踊悦して、自ら安ずること能わず。これを喜失と為すなり。)Kkaito02-33L,34R

 六苦楽者。触発之時。覚身支体処処痛悩。是為苦失。若触発時。知大快楽。貪著纒縛。是為楽失也。Kkaito02-34R
  (六に苦楽とは、触発の時、身の支体を覚するに、処処に痛悩す。これを苦失と為す。もし触発の時、大快楽なりと知りて、貪著纒縛す。これを楽失と為すなり。)Kkaito02-34R

 七善悪者。触発之時。念外散善。破壊三昧。是為善失。若触発時。無慚愧等諸悪心生。是悪失也。Kkaito02-34R
  (七に善悪とは、触発の時、外の散善を念じて、三昧を破壊す。これを善失と為す。もし触発の時、慚愧等の諸の悪心の生ずることなし。これ悪失なり。)Kkaito02-34R

 八愚智者。触発之時。心識迷惑。無所覚了。是為愚失。若触発時。知見明利。心生邪覚。是為智失也。Kkaito02-34R
  (八に愚智とは、触発の時、心識迷惑して、覚了する所なし。これを愚失と為す。もし触発する時、知見明利の心、邪覚を生ず、これを智失と為すなり。)Kkaito02-34R

 九縛脱者。或有五益。及諸煩悩。覆障心識。是為縛失。或謂証空得果。生増上慢。是為脱失也。Kkaito02-34R
  (九に縛脱とは、或いは五益〈蓋か?〉、及び諸の煩悩ありて、心識を覆障す。これを縛失と為す。或いは謂く、空を証し果を得て、増上慢を生ず。これを脱失と為すなり。)Kkaito02-34R

 十強柔者。触発之時。其身剛強。猶如瓦石。難可回転。是為強失。若触発時。心志軟弱。易可敗壊。猶如軟渥。不堪為器。是為柔失也。Kkaito02-34R,34L
  (十に強柔とは、触発の時、その身剛強なること、猶し瓦石の如く、回転すべきこと難し。これを強失と為す。もし触発する時、心志軟弱にして、敗壊すべきこと易きこと、猶し軟渥の、器と為るに堪えざるが如し。これを柔失と為すなり。)Kkaito02-34R,34L

 此二十種邪定之法。随其所発。若不識別。心生愛著因。或失心狂乱。或哭或笑。或驚漫走。或時自欲投巌起火。或時得病。或因致死。Kkaito02-34L
  (この二十種の邪定の法、その所発に随いて、もし識別せずして、心に愛著の因を生ずれば、或いは心を失い狂乱し、或いは哭し、或いは笑い、或いは驚きて漫らに走り、或る時には自ら巌を投げ火を起こさんと欲し、或る時は病を得て、或いは因りて死を致す。)Kkaito02-34L

 又復随有如是発一邪法。若与九十五種外道鬼神法中一鬼神法相応。而不覚者。即念彼道。行於彼法。因此便入鬼神法門。鬼加其勢。Kkaito02-34L
  (またかくの如く一の邪法を発することあるに随りて、もし九十五種の外道の鬼神の法の中の一の鬼神の法と相応して、覚らずんば、即ち彼の道を念じ、彼の法を行ぜよ。これに因りて便ち鬼神の法門に入りて、鬼、その勢いを加う。)Kkaito02-34L

 或発諸邪定。及諸弁才。知世吉凶。神通奇異。現希有事。感動衆人。世人無知。但見異人。謂是賢聖。深心信伏。然其内心専行鬼法。当知是人遠離聖道。身壊命終。堕三悪趣。如九十六外道経広説。Kkaito02-34L
  (或いは諸の邪定、及び諸の弁才を発して、世の吉凶を知り、神通奇異にして、希有の事を現して、衆人を感動す。世人、知ることなくして、但、異人と見、これ賢聖なりと謂いて、深心に信伏す。然もその内心、専ら鬼の法を行ず。当に知るべし、この人は聖道を遠離し、身壊し命終して三悪趣に堕す。九十六外道の経に広く説くが如し。)Kkaito02-34L

 行者若覚是等邪相応。以前法験而治之。然於其中亦有是非。何者。若其邪定一向魔作者。用法治之。魔去之後。則都無復毫釐禅法。若我得入正定之時。魔入其中現諸邪相者。用法却之。魔邪既滅。則我定心明浄。猶如雲除日顕。若此等相。雖似魔作而用法治。猶不去者。当知因自罪障所発。則応勤修大乗懺悔。罪滅之後定当自顕。此等障相甚微難別。欲求道者不可不知。Kkaito02-34L,35R
  (行者、もしこれ等は邪相応すと覚えば、前の法験を以て而もこれを治せよ。然もその中に於いても、また是非あり。何となれば、もしその邪定、一向魔の作ならば、法を用いてこれを治せよ。魔去りての後、則ち都てまた毫釐の禅法なけん。もし我、正定に入ることを得る時、魔、その中に入りて諸の邪相を現せば、法を用いて、これを却けよ。魔邪既に滅すれば、則ち我が定心、明浄なること、猶し雲除こりて日顕るるが如くならん。もしこれ等の相、魔の作に似て、法を用いて治すといえども、猶お去らざれば、当に知るべし、自の罪障に因りて発する所なりと。則ち応に大乗を勤修し懺悔すべし。罪滅しての後、定当に自ずから顕るるべし。これ等の障の相、甚だ微にして別かち難し。道を求めんと欲する者は知らずんばあるべからず。)Kkaito02-34L,35R

 且止傍論。還釈本文。上来広弁魔事差別。以是已下。第二明治。言智慧観察者。依自随分所有覚慧。観諸魔事察而治之。若不観察。即堕邪道。故言勿令堕於邪網。此是如前三種験中正為。無常苦流転不浄。文相可知。Kkaito02-35R,35L
  (且く傍論を止めて、還りて本文を釈せん。上来は広く魔事の差別を弁ず。「以是」已下は、第二に治を明かす。「智慧観察」というは、自の随分所有の覚慧に依りて、諸の魔事を観じ、察してこれを治せよ。もし観察せざれば、即ち邪道に堕するが故に「勿令堕於邪網〈この心をして邪網に堕せしむることなかれ〉」という。これはこれ前の三種験の中の如く正しく為せ。無常、苦、流転、不浄の文相、知るべし。)Kkaito02-35R,35L

【論】如是当念。一切衆生従無始時来。皆因無明所熏習故。令心生滅。已受一切身心大苦。現在即有無量逼迫。未来所苦亦無分斉。難捨難離而不覚知。衆生如是甚為可愍。
【論】 (かくの如く当に念ずべし。一切衆生は無始の時より来た、皆、無明に熏習せらるに因るが故に、心をして生滅せしめ、已に一切の身心の大苦を受け、現在に即ち無量の逼迫あり。未来の所苦もまた分斉なし。捨し難く離れ難くして、而して覚知せず。衆生はかくの如く甚だ愍れむべしとなす。)

【論】作是思惟。即応勇猛立大誓願。願令我心離分別故。遍於十方。修行一切諸善功徳。尽其未来。以無量方便。救抜一切苦悩衆生。令得涅槃第一義楽。
【論】 (この思惟を作し、即ち応に勇猛に大誓願を立つべし。願わくは我が心をして分別を離れしむるが故に十方に遍じて一切の諸善功徳を修行し、その未来を尽くして、無量の方便を以て、一切の苦悩の衆生を救抜して、涅槃第一義の楽を得しめん。)

【論】以起如是願故。於一切時一切処。所有衆善随已堪能。不捨修学。心無懈怠。
【論】 (かくの如き願を起こすを以ての故に、一切時、一切処に於いて、所有の衆善、已に堪能するに随いて、修学を捨てず、心に懈怠なし。)

 如是当念以下。第二明大悲観。作是思惟以下。第三明誓願観。以起如是以下。第四明精進観。依此四門。略示修観也。Kkaito02-35L
  (「如是当念〈かくの如く当に念ずべし〉」以下は、第二に大悲観を明かし、「作是思惟〈この思惟を作し〉」以下は、第三に誓願観を明かし、「以起如是」以下は、第四に精進観を明かす。この四門に依りて、略して修観を示すなり。)Kkaito02-35L

【論】唯除坐時専念於止。若余一切。悉当観察応作不応作。
【論】 (ただ坐する時に止を専念するを除く。もし余の一切は悉く当に応作と不応作とを観察すべし。)

 唯除坐時以下。第三総結勧修。上来第一別明止観。Kkaito02-35L
  (「唯除坐時」以下は、第三に総じて勧修を結す。上来は第一に別して止観を明かす。)Kkaito02-35L

【論】若行。若住。若坐。若臥。若起。皆応止観倶行。
【論】 (もしくは行、もしくは住、もしくは坐、もしくは臥、もしくは起、皆、応に止観倶行すべし。)

 若行以下。第二合修。於中有三。一総標倶行。第二別明行相。三者総結。Kkaito02-35L
  (「若行」以下は、第二に合して修す。中に於いて三あり。一は総じて倶行を標し、第二は別して行相を明かし、三は総じて結す。)Kkaito02-35L

【論】所謂雖念諸法自性不生。而復即念因縁和合。善悪之業苦楽等報不失不壊。雖念因縁善悪業報。而亦即念性不可得。
【論】 (所謂、諸法の自性不生を念ずといえども、而してまた即ち因縁和合の善悪の業苦、楽等の報は失せず壊せずと念ず。因縁善悪の業報を念ずといえども、而してまた即ち性は不可得なりと念ず。)

 第二之中。顕示二義。先明順理倶行止観。後顕対障倶行止観。Kkaito02-35L
  (第二の中に二義を顕示す。先は理に順じて倶行する止観を明かし、後は障に対して倶行する止観を顕かす。)Kkaito02-35L

 初中言雖念諸法自性不生者。依非有門以修止行也。而復即念業果不失者。依非無門以修観行也。此順不動実際建立諸法。故能不捨止行而修観行。良由法雖非有而不堕無故也。Kkaito02-35L
  (初の中に「雖念諸法自性不生〈諸法の自性不生を念ずといえども〉」というは、非有門に依りて以て止行を修す。「而復即念業果不失〈而してまた即ち因縁和合の善悪の業苦、楽等の報は失せず壊せずと念ず〉」とは、非無門に依りて以て観行を修す。これ実際を動ぜずして諸法を建立するに順ずるが故に、能く止行を捨てずして観行を修す。良に法は有に非ずといえども、而も無に堕さざるに由るが故なり。)Kkaito02-35L

 次言雖念善悪業報而即念性不可得者。此順不壊仮名而説実相。故能不廃観行而入止門。由其法雖不無而不常有故也。Kkaito02-35L,36R
  (次に「雖念善悪業報而即念性不可得〈因縁善悪の業報を念ずといえども、而してまた即ち性は不可得なりと念ず〉」というは、これ仮名を壊せずして而も実相を説くに順ずるが故に、能く観行を廃せずして而も止門に入る。その法は無にあらずといえども、而も常有にあらざるに由るが故なり。)Kkaito02-35L,36R

【論】若修止者。対治凡夫住著世間。能捨二乗怯弱之見。
【論】 (もし止を修せば、凡夫の世間に住著するを対治し、能く二乗の怯弱の見を捨す。)

 若修以下。対障分別。若修止者。離二種過。一者正除凡夫住著之執。遣彼所著人法相故。二者兼治二乗怯弱之見。見有五陰怖畏苦故。Kkaito02-36R
  (「若修」以下は、障に対して分別す。「若修止者〈もし止を修する者〉」は二種の過を離る。一には正しく凡夫住著の執を除く。彼の所著の人法の相を遣るが故に。二には兼て二乗怯弱の見を治す。五陰ありと見て苦を怖畏するが故に。)Kkaito02-36R

【論】若修観者。対治二乗不起大悲狹劣心過。遠離凡夫不修善根。
【論】 (もし観を修すれば、二乗の、大悲を起こさざる狹劣の心の過を対治し、凡夫の善根を修せざるを遠離す。)

 若修観者。亦離二過。一者正除二乗狹劣之心。普観衆生起大悲故。二者兼治凡夫懈怠之意。不観無常懈怠発趣故。Kkaito02-36R
  (「若修観者〈もし観を修する者〉」は、また二過を離る。一には正しく二乗狹劣の心を除く。普く衆生を観じて大悲を起こすが故に。二には兼ねて凡夫懈怠の意を治す。無常を観ぜずして懈怠して発趣するが故に。)Kkaito02-36R

【論】以是義故。是止観門共相助成不相捨離。若止観不具。則無能入菩提之道。
【論】 (この義を以ての故にこの止・観門は共に相い助成して相い捨離せず。もし止・観具せざれば、則ち能く菩提の道に入ることなし。)

 以是義故以下。第三総結倶行。一則順理無偏必須倶行。二即並対二障必応双遣。以是二義不相捨離。故言共相助成等也。Kkaito02-36R
  (「以是義故」以下は、第三に総じて倶行を結す。一は則ち理に順ずること偏なし。必ず須く倶行すべし。二は即ち並べて二障に対す。必ず双遣すべし。この二義は相い捨離せざるを以ての故に「共相助成〈共に相い助成して〉」等というなり。Kkaito02-36R

 止観二行既必相成。如鳥両翼。似車二輪。二輪不具。即無運載之能。一翼若欠。何有翔空之勢。故言止観不具。則無能入菩提之道也。Kkaito02-36R,36L
  (止観の二行、既に必ず相い成ずること、鳥の両翼の如く、車の二輪に似たり。二輪具せざれば、即ち運載の能なく、一翼もし欠けたれば、何ぞ空に翔るの勢あらん。故に「止観不具。則無能入菩提之道〈止観具せざれば、則ち能く菩提の道に入ることなし〉」というなり。Kkaito02-36R,36L

【論】復次衆生。初学是法。欲求正信。其心怯弱。以住於此娑婆世界。自畏不能常値諸仏親承供養。懼謂信心難可成就。意欲退者。当知。如来有勝方便。摂護信心。謂以専意念仏因縁。随願得生他方仏土。常見於仏永離悪道。
【論】 (また次に衆生、初めてこの法を学び、正信を欲求するに、その心怯弱なり。この娑婆世界に住するを以て、自ら常に諸仏に値いて親承し供養すること能わざることを畏れ、懼れて信心は成就すべきこと難しといいて、意、退せんと欲する者は、当に知るべし。如来は勝方便あり、信心を摂護す。謂く、意を専にし仏を念ずる因縁を以て、願に随いて他方の仏土に生ずることを得て、常に仏を見て永く悪道を離る。)

【論】如修多羅説。若人専念西方極楽世界阿弥陀仏。所修善根回向。願求生彼世界。即得往生。常見仏故。終無有退。
【論】 (修多羅に説くが如し。もし人、専ら西方極楽世界の阿弥陀仏を念じて、所修の善根回向して、彼の世界に生ぜんと願求すれば、即ち往生することを得。常に仏を見るが故に、終に退あることなし。

 修行信心分中有三。一者挙人略標大意。二者就法広弁行相。此之二段竟在於前。復次衆生以下。第三示修行者不退方便。於中有二。先明初学者畏退堕。後示不退転之方便。此中有三。一者明仏有勝方便。二者別出修多羅説。若観以下。第三釈経所説意趣。Kkaito02-36L
  (修行信心分の中に三あり。一には人を挙げて略して大意を標し、二には法に就きて広く行相を弁ず。この二段は竟りぬ、前に在り。「復次衆生」以下は、第三に修行者の不退の方便を示す。中に於いて二あり。先は初学の者の、退堕を畏るることを明かし、後は退転せざる方便を示す。この中に三あり。一には仏に勝方便あることを明かし、二には別して修多羅の説を出だし、「若観」以下は、第三に経所説の意趣を釈す。)Kkaito02-36L

【論】若観彼仏真如法身。常勤修習畢竟得生住正定故。
【論】 (もし彼の仏の真如法身を観じて、常に勤めて修習すれば、畢竟じて生ずることを得て正定に住するが故に。)

 若観法身畢竟得生者。欲明十解以上菩薩。得少分見真如法身。是故能得畢竟往生。如上信成就発心中。言以得少分見法身故。此約相似見也。又復初地已上菩薩。証見彼仏真如法身。以之故言畢竟得生。Kkaito02-36L,37R
  (「若観法身畢竟得生」とは、十解以上の菩薩の、少分、真如法身を見ることを得ることを明かさんと欲す。この故に能く畢竟じて往生することを得。上の信成就発心の中に「以得少分見法身故」というが如し。これは相似の見に約す。また初地已上の菩薩は彼の仏の真如法身を証見す。これを以ての故に「畢竟得生〈畢竟じて生ずることを得〉」という。)Kkaito02-36L,37R

 如楞伽経歎龍樹菩薩云。証得歓喜地。往生安楽国故。此中論意約上輩人明畢竟生。非謂未見法身不得往生也。Kkaito02-37R
  (『楞伽経』に龍樹菩薩を歎じて云うが如し「歓喜地を証得して安楽国に往生す」というが故に。この中の論の意は、上輩の人に約して畢竟して生ずることを明かす。未だ法身を見ざれば往生することを得ずと謂うには非ざるなり。)Kkaito02-37R

 住正定者。通論有三。一者見道以上方名正定。約無漏道為正定故。二者十解以上名為正定。定不退位為正定故。三者九品往生皆名正定。依勝縁力得不退故。於中委悉。如無量寿料簡中説。Kkaito02-37R
  (「住正定」とは、通じて論ずるに三あり。一には見道以上を方に正定と名づく。無漏道を正定と為すに約するが故に。二には十解以上を名づけて正定と為す。定めて不退位を正定と為すが故に。三には九品の往生を皆、正定と名づく。勝縁力に依りて不退を得るが故に。中に於いて委悉なること、『無量寿の料簡』の中に説くが如し。)Kkaito02-37R

【論】已説修行信心分。次説勧修利益分。如是摩訶衍諸仏秘蔵。我已総説。
【論】 (已に修行信心分を説く。次に勧修利益分を説かん。かくの如き摩訶衍は諸仏の秘蔵、我已に総じて説く。)

 勧修分中在文有六。一者総結前説。二者若有衆生以下。挙益勧修。三者仮使有人以下。信受福勝。四者其有衆生以下。毀謗罪重。五者当知以下。引証。六者是故以下。結勧。Kkaito02-37R
  (勧修分の中、文に在りて六あり。一には総じて前の説を結し、二には「若有衆生」以下は、益を挙げて修を勧め、三には「仮使有人」以下は、福の勝ることを信受し、四には「其有衆生」以下は、毀謗の罪重し。五には「当知」以下は、証を引き、六には「是故」以下は、結勧す。)Kkaito02-37R

【論】若有衆生。欲於如来甚深境界。得生正信。遠離誹謗。入大乗道。当持此論。思量修習。究竟能至無上之道。若人聞是法已。不生怯弱。当知。此人定紹仏種。必為諸仏之所授記。
【論】 (もし衆生ありて、如来の甚深の境界に於いて、正信を生ずることを得て、誹謗を遠離して、大乗の道に入らんと欲せば、当にこの論を持して、思量し修習し、究竟して、能く無上の道に至る。もし人、この法を聞き已りて怯弱を生ぜざれば、当に知るべし、この人は定んで仏種を紹〈つ〉ぎ、必ず諸仏のために授記せらる。)

 第二文中即有二意。先正勧修。究竟以下。示其勝利。此中二句。初示所得果勝。後明能修人勝。Kkaito02-37R,37L
  (第二の文の中に、即ち二の意あり。先は正しく修を勧め、「究竟」以下は、その勝利を示す。この中に二句あり。初は所得の果の勝るることを示し、後は能修の人の勝るることを明かす。)Kkaito02-37R,37L

【論】仮使有人。能化三千大千世界満中衆生。令行十善。不如。有人於一食頃正思此法。過前功徳不可為喩。
【論】 (たとい人ありて、能く三千大千世界の中に満てる衆生を化して、十善を行ぜしめんは、如かじ、人ありて一食の頃に於いて正しくこの法を思わんに、前の功徳に過ること、喩となすべからず。)

【論】復次。若人受持此論観察修行。若一日一夜。所有功徳無量無辺。不可得説。仮令十方一切諸仏。各於無量無辺阿僧祇劫。歎其功徳。亦不能尽。何以故。謂法性功徳無有尽故。此人功徳亦復如是無有辺際。
【論】 (また次に、もし人、この論を受持して観察し修行し、もしは一日一夜せん。所有の功徳無量無辺にして、説くことを得べからず。たとい十方一切の諸仏、おのおの無量無辺阿僧祇劫に於いて、その功徳を歎ずるも、また尽くすこと能わず。何を以ての故に。謂く、法性の功徳は尽くることあることなきが故に、この人の功徳もまたまたかくの如く辺際あることなし。)

 第三段中有二。先明一食之頃正思福勝。後顕一日一夜修行功徳無辺。Kkaito02-37L
  (第三段の中に二あり。先は一食の頃の正思の福の勝るることを明かし、後は一日一夜の修行の功徳の無辺なることを顕す。)Kkaito02-37L

【論】其有衆生。於此論中毀謗不信。所獲罪報。経無量劫受大苦悩。是故衆生。但応仰信。不応毀謗。以深自害亦害他人。断絶一切三宝之種。
【論】 (これ衆生ありて、この論の中に於いて毀謗して信ぜざれば、獲る所の罪報は、無量劫を経て大苦悩を受く。この故に衆生は、ただ応に仰ぎて信すべし。応に毀謗すべからず。深く自害し、また他人を害して、一切三宝の種を断絶するを以てなり。)

【論】以一切如来。皆依此法得涅槃故。一切菩薩。因之修行得入仏智故。当知。過去菩薩。已依此法得成浄信。現在菩薩。今依此法得成浄信。未来菩薩。当依此法得成浄信。是故衆生応勤修学。
【論】 (一切の如来は皆、この法に依りて涅槃を得るが故に、一切の菩薩は、これに因りて修行して仏智に入ることを得るを以ての故に。当に知るべし。過去の菩薩は已にこの法得に依りて浄信を成ずることを得。現在の菩薩は今、この法に依りて浄信を成ずることを得。未来の菩薩は当にこの法に依りて浄信を成ずることを得べし。この故に衆生は応に勤めて修学すべし。)

 第四段中有四。先明毀謗罪重。是故以下第二試勧。以深以下。第三釈罪重意。一切如来以下。第四転釈断三宝種之意。余之文可見。Kkaito02-37L
  (第四段の中に四あり。先は毀謗の罪の重きことを明かし、「是故」以下は、第二に試みに勧め、「以深」以下は、第三に罪重き意を釈し、「一切如来」以下は、第四に三宝の種を断ずる意を転釈す。余の文、見つべし。)Kkaito02-37L

【論】諸仏甚深広大義。我今随順総持説。回此功徳如法性。普利一切衆生界。
【論】 (諸仏の甚深広大の義、我今随順して総持して説く。この功徳の如法性を回して、普く一切衆生界を利せん。)

 一部之論有三分中。正弁論宗竟在於前。此後一頌。第三総結。於中上半。結前五分。下之二句。回向六道。Kkaito02-37L
  (一部の論に三分ある中に、正しく論宗を弁ずること竟わりぬ、前に在り。この後の一頌は、第三に総じて結す。中に於いて上半は前の五分を結し、下の二句は六道に回向す。)Kkaito02-37L

 起信論疏巻下 終

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