起信論疏 上巻

 釈元暁撰 上巻

 将説此論。略有三門。初標宗体。次釈題名。其第三者依文顕義。Kkaito01-01R
  (将にこの論を説かんとするに、略して三門あり。初には宗体を標し、次に題名を釈し、その第三は文に依りて義を顕す。)Kkaito01-01R

 第一標宗体者。然夫大乗之為体也。蕭焉空寂。湛爾沖玄。玄之又玄之。豈出万像之表。寂之又寂之。猶在百家之談。非像表也五眼不能見其躯。在言裏也四弁不能談其状。欲言大矣。入無内而莫遺。欲言微矣。苞無外而有余。引之於有。一如用之而空。獲之於無。万物乗之而生。不知何以言之。強号之謂大乗。自非杜口大士。目撃丈夫。誰能論大乗於離言。起深信於絶慮者哉。Kkaito01-01R,01L
  (第一に宗体を標すとは、然るにそれ大乗の体たるや、蕭焉として空寂、湛爾として沖玄たり。玄のまた玄、あに万像の表に出でんや。寂のまた寂、猶お百家の談に在り。像の表にあらざるや、五眼もその躯を見ること能わず。言の裏に在るや、四弁もその状を談ずること能わず。大と言わんと欲すれば、入るに内なくして而も遺ることなく、微と言んと欲すれば、苞むに外なくして而も余りあり。これを引くに有に於いてすれば、一如これを用いて而も空じ、これを獲るに無に於いてすれば、万物これに乗じて而も生ず。知らず、何を以てこれを言わん。強いてこれを号して大乗という。口を杜ずる大士、目撃の丈夫にあらぬよりは、誰か能く大乗を離言に論ぜん。深信を絶慮に起こす者ならんや。)Kkaito01-01R,01L

 所以馬鳴菩薩。無縁大悲。傷彼無明妄風。動心海而易漂。愍此本覚真性。睡長夢而難悟。於是同体智力堪造此論。賛述如来深経奥義。欲使為学者暫開一軸。遍探三蔵之旨。為道者永息万境。遂還一心之原。Kkaito01-01L
  (所以に馬鳴菩薩の無縁の大悲、彼の無明の妄風、心海を動じて漂い易きを傷み、この本覚の真性、長夢に睡りて悟り難きを愍みて、ここに於いて同体の智力、この論を造りて如来の深経の奥義を賛述するに堪えたり。学をなす者をして暫く一軸を開きて、遍く三蔵の旨を探り、道をなす者をして永く万境を息めて、遂に一心の原に還らしめんと欲す。)Kkaito01-01L

 所述雖広。可略而言。開二門於一心。総括摩羅百八之広誥。示性浄於相染。普綜踰闍十五之幽致。至如鵠林一味之宗。鷲山無二之趣。金鼓同性三身之極果。華厳瓔珞四階之深因。大品大集曠蕩之至道。日蔵月蔵微密之玄門。凡此等輩中衆典之肝心。一以貫之者。其唯此論乎。Kkaito01-01L
  (所述は広しといえども、略して言うべし。二門を一心に開きて、総べて摩羅百八の広誥を括り、性浄を相染に示して、普く踰闍十五の幽致を綜〈す〉ぶ。『鵠林』一味の宗、『鷲山』無二の趣、『金鼓』『同性』三身の極果、『華厳』『瓔珞』四階の深因、『大品』『大集』曠蕩の至道、『日蔵』『月蔵』微密の玄門の如きに至りては、凡そこれらの輩の中に衆典の肝心、一を以てこれを貫くものは、これ唯だこの論か。)Kkaito01-01L

 故下文言。為欲総摂如来広大深法無辺義故。応説此論。此論之意。既其如是。開則無量無辺之義為宗。合則二門一心之法為要。二門之内。容万義而不乱。無辺之義。同一心而混融。是以開合自在。立破無礙。開而不繁。合而不狹。立而無得。破而無失。是為馬鳴之妙術。起信之宗体也。Kkaito01-01L,02R
  (故に下の文に言く「総じて如来の広大深法、無辺の義を摂せんと欲うがための故に、応にこの論を説くべし」と。この論の意は、既にそれかくの如し。開くときは則ち無量無辺の義を宗となし、合するときは則ち二門一心の法を要とす。二門の内に万義を容れて乱れず、無辺の義を一心に同じて混融す。ここを以て開合自在、立破無礙なり。開けども繁からず。合すれども狹からず。立すれども得なく、破すれども失なし。これ馬鳴の妙術、起信の宗体たり。)Kkaito01-01L,02R

 然以此論意趣深邃従来釈者尠具其宗。良由各守所習而牽文。不能虚懐而尋旨。所以不近論主之意。或望原而迷流。或把葉而亡幹。或割領而補袖。或折枝而帯根。今直依此論文。属当所述経本。庶同趣者消息之耳。標宗体竟。Kkaito01-02R
  (然れどもこの論の意趣は深邃にして、従来、釈する者はその宗を具にすること尠きを以て、良に各所習を守りて文に牽かれ、虚懐にして旨を尋ぬること能わざるに由れり。所以に論主の意に近からず。或いは原を望みて流に迷い、或いは葉を把みて幹を亡にす。或いは領〈くび〉を割きて袖を補い、或いは枝を折りて根に帯ぶ。今直ちにこの論文に依りて、所述の経本に属当す。庶わくは趣を同じくする者、これを消息せんのみ。宗体を標し竟りぬ。)Kkaito01-02R

【論】大乗起信論

 次釈題名。言大乗者。大是当法之名。広苞為義。乗是寄喩之称。運載為功。総説雖然。於中分別者則有二門。先依経説。後依論明。Kkaito01-02R,02L
  (次に題名を釈さば、「大乗」というは、大はこれ法に当る名、広苞を義とす。乗はこれ喩に寄する称、運載を功とす。総説すること然りといえども、中に於いて分別せば則ち二門あり。先は経に依りて説き、後は論に依りて明かす。)Kkaito01-02R,02L

 依経説者。如虚空蔵経言。大乗者。謂無量無辺無崖故。普遍一切。喩如虚空。広大容受一切衆生故。不与声聞辟支仏共故。名為大乗。復次乗者。以正住四摂法為輪。以善浄十善業為輻。以浄功徳資糧為轂。以堅固淳至専意為[カン14]轄釘鑷。以善成就諸禅解脱為轅。以四無量為善調。以善知識為御者。以知時非時為発動。以無常苦空無我之音為駆策。以七覚宝縄為[フ02][イン05]。以浄五眼為索帯。以弘普端直大悲為旒幢。以四正勤為[ジン01] 軫也。枝木輪也。 以四念処為平直。以四神足為速進。以勝五力為鑑陣。以八聖道為直進。於一切衆生無障礙慧明為軒。以無住六波羅蜜回向薩般若。以無礙四諦度到彼岸。是為大乗。解云。上来以二十句挙喩況法以顕乗義。Kkaito01-2L,3R
  (経に依りて説くとは、『虚空蔵経〈大方等大集経〉』にいうが如し「大乗とは、謂く、無量無辺無崖の故に、普く一切に遍ず。喩えば虚空の、広大にして一切衆生を容受するが如きなるが故に、声聞辟支仏と共にせざるが故に、名づけて大乗となす。また次に乗とは、正しく四摂法に住するを以て輪となし、善く十善業を浄むるを以て輻となし、功徳の資糧を浄むるを以て轂となし、淳至専意を堅固にするを以て[カン14]轄釘鑷となし、善く諸禅解脱を成就するを以て轅となし、四無量を以て善調となし、善知識を以て御者となし、時非時を知るを以て発動となし、無常苦空無我の音を以て駆策となし、七覚の宝縄を以て[フ02][イン05]となし、五眼を浄むるを以て索帯となし、弘普端直の大悲を以て旒幢となし、四正勤を以て[ジン01](軫なり、枝木輪なり)となし、四念処を以て平直となし、四神足を以て速進となし、勝五力を以て鑑陣となし、八聖道を以て直進となし、一切衆生に於いて無障礙の慧明を軒となし、無住の六波羅蜜を以て薩般若に回向し、無礙の四諦度を以て彼岸に到る。これを大乗となす」と。解して云く。上来、二十句を以て喩を挙げ法を況して以て乗の義を顕す。)Kkaito01-2L,3R

 又下文云。此乗諸仏所受。声聞辟支仏所観。一切菩薩所乗。釈梵護世所応敬礼。一切衆生所応供養。一切智者所応讃歎。一切世間所応帰趣。一切諸魔不能破壊。一切外道不能測量。一切世間不能与競。解云。上来以十句対人顕大乗也。Kkaito01-R,L
  (また下の文〈『大方等大集経』「虚空蔵菩薩品」〉に云く「この乗は諸仏の受くる所、声聞辟支仏の観ずる所、一切菩薩の乗ずる所、釈梵護世の応に敬礼すべき所、一切衆生の応に供養すべき所、一切智者の応に讃歎すべき所、一切世間の応に帰趣すべき所、一切諸魔の破壊すること能ず、一切外道の測量すること能わず、一切世間の与に競うこと能わず」と。解して云く。上来、十句を以て人に対して大乗を顕すなり。)Kkaito01-03R

 依論明者。有七有三。三種大義。下文当説。言七種者。有二種七。一者如対法論云。由与七種大性相応故。名大乗。何等為七。一境大性。以菩薩道。縁百千等無量諸経広大教法為境界故。二行大性。正行一切自利利他広大行故。三智大性。了知広大補特伽羅法無我故。四精進大性。於三大劫阿僧祇耶。方便勤修無量難行行故。五方便善巧大性。不住生死及涅槃故。六証得大性。得如来諸力無畏不共仏法等。無量無数大功徳故。七業大性。窮生死際。示現一切成菩提等。建立広大諸仏事故。 此中前五是因。後二是果也。Kkaito01-03R,03L
  (論に依りて明かすとは、七あり、三あり。三種の大の義は下の文に当に説くべし。七種というは、二種の七あり。一には『対法論〈大乗阿毘達磨雑集論〉』に云うが如し「七種の大性相応するに由るか故に大乗と名づく。何等をか七とする。一には境大性。菩薩の道は百千等の無量の諸経、広大の教法を縁じて境界とするを以ての故に。二には行大性。正しく一切の自利利他の広大の行を行ずるが故に。三には智大性。広大の補特伽羅と法との無我を了知するが故に。四には精進大性。三大劫は阿僧祇耶に於いて方便して無量の難行の行を勤修するが故に。五には方便善巧大性。生死及び涅槃に住せざるが故に。六には証得大性。如来の諸の力無畏、不共の仏法等の無量無数の大功徳を得るが故に。七には業大性。生死の際を窮め一切の成菩提等を示現して広大の諸の仏事を建立するが故に」。この中の前の五はこれ因、後の二はこれ果なり。)Kkaito01-03R,03L

 二者顕揚論云。大乗性者。謂菩薩乗与七大性。共相応故。説名大乗。云何為七。一法大性。謂十二分教中菩薩蔵所摂。方便広大之教。二発心大性。謂已発無上正等覚心。三勝解大性。謂於前所説法大性境。起勝信解。四意楽大性。謂已超過勝解行地。入浄勝意楽地。五資糧大性。成就福智二種大資糧故。能証無上正等菩提。六時大性。謂三大劫阿僧企耶時。能証無上正等菩提。七成満大性。謂即無上正等菩提自体所成。満菩提自体。比余成満自体尚無与等。何況超勝。Kkaito01-03L,04R
  (二には『顕揚論』に云く「大乗性とは、謂く、菩薩乗は七の大性と共に相応するが故に、説きて大乗と名づく。云何が七とする。一には法大性。謂く、十二分教の中の菩薩蔵の所摂の方便広大の教なり。二には発心大性。謂く、已に無上正等覚の心を発す。三には勝解大性。謂く、前の所説の法大性の境に於いて勝信解を起こす。四には意楽大性。謂く、已に勝解行地を超過して浄勝意楽地に入る。五には資糧大性。福智の二種の大資糧を成就するが故に、能く無上正等菩提を証す。六には時大性。謂く、三大劫阿僧企耶の時、能く無上正等菩提を証す。七には成満大性。謂く、即ち無上正等菩提自体所成、菩提の自体を満す。余の自体を成満するに比するに、なお与等なし。何に況んや超勝するをや」。)Kkaito01-03L,04R

 瑜伽。地持。皆同此説。瑜伽論云。此中若法大性。乃至若時大性。如是六種。皆是円証大性之因。円証大性。是前六種大性之果。解云。如是二種七種大性。其数雖同。建立意別。建立之意。尋之可知。釈大乗竟。Kkaito01-04R,04L
  (『瑜伽』『地持』皆この説に同じ。『瑜伽論』に云く「この中の、もしは法大性、乃至、もしは時大性。かくの如きの六種は皆これ円証大性の因なり。円証大性はこれ前の六種の大性の果なり」と。解して云く。かくの如き二種の七種の大性は、その数同じなりといえども、建立の意は別なり。建立の意は、これを尋ねて知るべし。大乗を釈し竟りぬ。)Kkaito01-04R,04L

 言起信者。依此論文。起衆生信故言起信。信以決定。謂爾之辞。所謂信理実有。信修可得。信修得時有無窮徳。此中信実有者。是信体大。信一切法不可得故。即信実有平等法界。信可得者。是信相大。具性功徳熏衆生故。即信相熏必得帰原。信有無窮功徳用者。是信用大。無所不為故。若人能起此三信者。能入仏法。生諸功徳。出諸魔境。至無上道。如経偈云。信為道元功徳母。増長一切諸善根。除滅一切諸疑惑。示現開発無上道。信能超出衆魔境。示現無上解脱道。一切功徳不壌種。出生無上菩提樹。信有如是無量功徳。依論得発心故言起信。Kkaito01-04L,05R
  (「起信」というは、この論文に依るに、衆生の信を起こすが故に「起信」という。信は決定を以てす。謂く、爾とするの辞、所謂、理の実有を信じ、修の可得を信じ、修、時を得れば無窮の徳ありと信ず。この中に実有を信ずとは、これ体大を信ず。一切の法は不可得なりと信ずるが故に、即ち実に平等法界ありと信ず。可得を信ずとは、これ相大を信ず。性功徳を具して衆生を熏ずるが故に。即ち相熏を信じて必ず帰原を得。無窮の功徳の用あることを信ずとは、これ用大を信ず。なさざる所なきが故に。もし人能くこの三信を起こすれば、能く仏法に入りて、諸の功徳を生じ、諸の魔境を出でて、無上道に至る。『経〈六十華厳経〉』の偈に云うが如し「信は道の元、功徳の母たり。一切の諸の善根を増長し、一切の諸の疑惑を除滅して、無上道を示現し開発す。信は能く衆魔の境を超出し、無上解脱の道を示現す。一切の功徳、不壌の種は無上菩提の樹を出生す」と。かくの如きの無量の功徳ありと信じて、論に依りて発心することを得るが故に「起信」という。)Kkaito01-04L,05R

 所言論者。建立決了可軌文言。判説甚深法相道理。依決判義。名之為論。総而言之。大乗是論之宗体。起信是論之勝能。体用合挙。以標題目故言大乗起信論也。Kkaito01-05R
  (言う所の「論」とは、決了可軌の文言を建立し、甚深の法相道理を判説す。決判の義に依りて、これを名づけて論とす。総じてこれを言わば、「大乗」はこの論の宗体。「起信」はこれ論の勝能。体用合挙して以て題目を標す。故に「大乗起信論」というなり。)Kkaito01-05R

 第三消文。文有三分。初三行偈。帰敬述意。論曰以下。正立論体。最後一頌。総結回向。Kkaito01-R,L
  (第三に文を消す。文に三分あり。初の三行の偈は帰敬述意。「論曰」以下は、正しく論体を立て、最後の一頌は総結回向なり。)Kkaito01-05R

【論】帰命尽十方 最勝業遍知 色無礙自在。
【論】 (尽十方の最勝業の遍知、色無礙自在)

 初三偈中。即有二意。前之二頌。正帰三宝。其後一偈。述造論意。Kkaito01-05R
  (初の三偈の中に即ち二意あり。前の二頌は正しく三宝に帰し、その後の一偈は造論の意を述ぶ。)Kkaito01-05R

 初帰敬中有二。帰命二字。是能帰相。尽十方下。顕所帰徳。能帰相者。敬順義是帰義。趣向義是帰義。命謂命根。総御諸根。一身之要。唯命為主。万生所重。莫是為先。挙此無二之命。以奉無上之尊。表信心極故言帰命。又復帰命者還源義。所以者。衆生六根。従一心起。而背自原。馳散六塵。今挙命総摂六情。還帰其本一心之原故曰帰命。所帰一心。即是三宝故也。Kkaito01-05R,05L
  (初の帰敬の中に二あり。「帰命」の二字は、これ能帰の相。「尽十方」の下は、所帰の徳を顕す。能帰の相とは、敬順の義はこれ帰の義なり。趣向の義はこれ帰の義なり。命は謂く命根。諸根を総御する、一身の要、唯命を主とす。万生の重んずる所、これより先とするはなし。この無二の命を挙げて、以て無上の尊に奉して信心の極を表するが故に「帰命」という。また「帰命」とは還源の義。所以は、衆生の六根は一心より起こりて、自原に背きて六塵に馳散す。今、命の、六情を総摂するを挙げて、その本の一心の原に還帰するが故に「帰命」という。所帰の一心は即ちこれ三宝なるが故なり。)Kkaito01-05R,05L

 尽十方下。顕所帰徳。此中応説三宝之義。義如別説。今且消文。文中有三。謂仏法僧宝之内亦有三意。先歎心徳。次歎色徳。第三句者挙人結歎。Kkaito01-05L
  (「尽十方」の下は所帰の徳を顕す。この中に応に三宝の義を説くべし。義は別に説くが如し。今は且く文を消せば、文の中に三あり。謂く仏法僧宝の内に、また三意あり。先ず心の徳を歎じ、次に色の徳を歎じ、第三句は人を挙げて結歎す。)Kkaito01-05L

 歎心徳中。歎用及体。初言尽十方最勝業者。是歎業用。謂現八相等化衆生業。尽十方界。遍三世際。随諸可化。作諸仏事故言尽十方最勝業。如対法論云。業大性者。窮生死際。示現一切成菩提等。建立広大諸仏事故。彼挙三世。此顕十方也。言遍智者。是歎智体。所以業用周於十方者。由其智体無所不遍故也。智体周遍故言遍智。如摂論云。猶如虚空。遍一切色際。無生住滅変異。如来智亦爾。遍一切所知。無倒無変異故。歎心徳竟。Kkaito01-05L,06R
  (心の徳を歎ずる中に、用及び体を歎ず。初に「尽十方最勝業」というは、これ業用を歎ず。謂く八相を現じて等しく衆生を化す業は、十方の界を尽くし、三世の際に遍じて、諸の化すべきに随いて、諸の仏事を作すが故に「尽十方最勝業」という。『対法論〈大乗阿毘達磨雑集論〉』に云うが如き「業大性とは、生死の際を窮め、一切の成菩提等を示現して、広大の諸の仏事を建立するが故に」と。彼は三世を挙げ、これは十方を顕すなり。「遍智」というは、これ智体を歎ず。業用の、十方に周ねき所以は、その智体の、遍ぜざる所なきに由る故なり。智体周遍するが故に「遍智」という。『摂論〈摂大乗論釈 真諦訳〉』に云うが如し「猶し虚空の、一切の色際に遍して、生住滅の変異なきが如く、如来の智もまた爾り。一切に遍じて、所知、倒なく変異なきが故に」と。心徳を歎じ竟りぬ。)Kkaito01-05L,06R

 次歎色徳。於中亦二。色無礙者。歎色体妙。言自在者。歎色用勝。初言色体者。如来色身。万行所成。及不思議熏習所成。雖有妙色。而無障礙。一相一好。無際無限故言[ドウ01]色無礙。如華厳経言。求空辺際猶可得。仏一毛孔無崖限。仏徳如是不思議。是名如来浄知見故雖無質礙。而有方所示現之義故。得名色而無礙也。言自在者。歎其色用。謂五根互用。十身相作等故言色自在。五根互用者。如涅槃経八自在中説。十身相作者。如華厳経十地品説。歎色徳竟。Kkaito01-06R,06L
  (次に色の徳を歎ず。中に於いてまた二。「色無礙」とは色体の妙を歎じ、「自在」というは色用の勝を歎ず。初に「色体」というは、如来の色身は万行の成ずる所、及び不思議熏習の成ずる所。妙色ありといえども、障礙なく、一相一好、際なく限なき故に「色無礙」という。『華厳経〈六十華厳〉』に言うが如し「空の辺際を求むるに猶し得べし。仏の一毛孔は崖限なし。仏徳、かくの如く不思議なる、これを如来の浄知見と名づく」と。故に質礙なしといえども、方所示現の義あるが故に色にして而も無礙と名づくることを得るなり。「自在」というは、その色用を歎ず。謂く五根互用、十身相作等なるが故に「色自在」という。五根互用とは『涅槃経』の八自在の中に説くが如し。十身相作とは『華厳経』の「十地品」に説くが如し。色徳を歎じ竟りぬ。)Kkaito01-06R,06L

【論】救世大悲者
【論】 (救世の大悲者)

 救世大悲者者。是第三句挙人結歎。仏猶大長者。以衆生為子。入三界火宅。救諸焚焼苦故言救世。救世之徳。正是大悲。離自他悲。無縁之悲。諸悲中勝故言大悲。仏地所有万徳之中。如来唯用大悲為力故偏挙之。以顕仏人。Kkaito01-06L
  (「救世大悲者」とは、これ第三の句、人を挙げて結歎す。仏は猶し大長者のごとし。衆生を以て子とす。三界の火宅に入りて、諸の焚焼の苦を救うが故に「救世」という。救世の徳は正しくこれ大悲なり。自他の悲を離る。無縁の悲は諸悲の中に勝るが故に「大悲」という。仏地所有の万徳の中に、如来はただ大悲を用いて力とするが故に偏にこれを挙げて、以て仏人を顕す。)Kkaito01-06L

 如増一阿含云。凡聖之力有其六種。何等為六。小児以啼為力。欲有所説。要当先啼。女人以瞋恚為力。依瞋恚已。然後所説。沙門婆羅門以忍為力。常念下於人。然後自陳。国王以[キョウ02]慢為力。以此豪勢而自陳説。阿羅漢以専精為力。而自陳説。諸仏世尊以大悲為力。弘益衆生故。是知諸仏偏以大悲為力。故将表人名大悲者。上来三句歎仏宝竟。Kkaito01-06L,07R
  (『増一阿含』に云うが如し「凡聖の力にその六種あり。何等をか六とす。小児は啼を以て力とす。所説あらんと欲しては要ず当に先ず啼くべし。女人は瞋恚を以て力とす。瞋恚に依り已りて然して後に所説あり。沙門婆羅門は忍を以て力とす。常に念を人に下して、然して後に自ら陳ぶ。国王は[キョウ02]慢を以て力とす。この豪勢を以て自ら陳説す。阿羅漢は専精を以て力として、自ら陳説す。諸仏世尊は大悲を以て力として、弘く衆生を益するが故に」。ここに知りぬ、諸仏は偏に大悲を以て力とすることを。故に将いて人を表して「大悲者」と名づく。上来の三句は仏宝を歎じ竟りぬ。)Kkaito01-06L,07R

【論】及彼身体相 法性真如海
【論】 (及び彼の身の体相の法性真如海)

 此下二句。次顕法宝。及彼身体相者。謂前所説如来之身。即是報仏。正用法界以為自体故。言彼身之体相也。此是挙仏而取其法。Kkaito01-07R
  (この下の二句は、次に法宝を顕す。「及彼身体相」とは、謂く前に説く所の如来の身は即ちこれ報仏。正しく法界を用いて以て自体とするが故に「彼身体相〈彼の身の体相〉」というなり。これはこれ仏を挙げてその法を取る。)Kkaito01-07R

 下句正出法宝体相。言法性者。所謂涅槃。法之本性故名法性。如智度論云。法名涅槃無戯論法。性名本分種。如黄石金性。白石銀性。如是一切法中有涅槃性故言法性。言真如者。無遣曰真。無立曰如。如下文云。此真如体無有可遣。以一切法悉皆真故。亦無可立。以一切法皆同如故。当知一切法不可説不可念故。名為真如。所言海者。寄喩顕法。略而説之。海有四義。一者甚深。二者広大。三者百宝無窮。四者万像影現。真如大海当知亦爾。永絶百非故。苞容万物故。無徳不備故。無像不現故故。言法性真如海也。Kkaito01-07R,07L
  (下の句は正しく法宝の体相を出だす。「法性」というは、所謂、涅槃なり。法の本性なるが故に法性と名づく。『智度論』に云うが如し「法を涅槃無戯論法と名づけ、性を本分の種と名づく。黄石は金の性、白石は銀の性なるが如く、かくの如く一切の法の中に涅槃の性あり」。故に「法性」という。「真如」というは、遣ることなきを真といい、立つべきことなきを如という。下の文に云うが如し「この真如の体は遣るべきあることなし。一切の法は悉くみな真なるを以ての故に。また立すべきことなし。一切の法はみな同じく如なるを以ての故に。当に知るべし。一切の法は不可説、不可念なるが故に、名づけて真如となす」と。いう所の「海」とは、喩に寄せて法を顕す。略してこれを説かば、海に四義あり。一には甚深。二には広大。三には百宝無窮。四には万像影現。真如の大海も当に知るべし、また爾なり。永く百非を絶するが故に、万物を苞容するが故に、徳として備わざることなきが故に、像として現ぜざることなきが故に、故に「法性真如海」というなり。)Kkaito01-07R,07L

 如華厳経言。譬如深大海。珍宝不可尽。於中悉顕現。衆生形類像。甚深因縁海。功徳宝無尽。清浄法身中。無像而不現故。歎法宝竟。Kkaito01-07L,08R
  (『華厳経』に言うが如し「譬えば深大海の如き、珍宝尽くべからず。中に於いて悉く衆生の形類像を顕現す。甚深因縁海は功徳の宝尽くることなく、清浄法身の中には像として現ぜざることなきが故に」と。法宝を歎じ竟りぬ。)Kkaito01-07L,08R

【論】無量功徳蔵 如実修行等。
【論】 (無量の功徳蔵、如実修行等に帰命す。)

 此下二句。歎其僧宝。言無量功徳蔵者。挙徳取人。謂地上菩薩。随修一行。万行集成。其一一行皆等法界。無有限量。積功所得。以之故言無量功徳。如是功徳。総属菩薩。人能摂徳故名為蔵。Kkaito01-18R
  (この下の二句はその僧宝を歎ず。「無量功徳蔵」というは徳を挙げて人を取る。謂く、地上の菩薩は一行を修するに随いて万行集成す。その一一の行は皆、法界に等しくして限量あることなし。功を積みて得る所なり。これを以ての故に「無量功徳」という。かくの如きの功徳は総じて菩薩に属す。人は能く徳を摂するが故に名づけて「蔵」とす。)Kkaito01-18R

 次言如実修行等者。正歎行徳。依宝性論。約正体智名如実行。其後得智名為遍行。今此中言如実修行。挙正体智。次言等者。取後得智。若依法集経説。総括万行始終。通為二句所摂。謂如実修行。及不放逸。如彼経言。如実修行者。謂発菩提願。不放逸者。謂満足菩提願。復次如実修行者。謂修行布施。不放逸者。謂不求報。如是持浄戒。成就不退。或修忍辱行。得無生忍。求一切善根而不疲倦。捨一切所作事。修禅定不住禅定。満足智慧不戯論諸法。如其次第。如実修行及不放逸。乃至広説。今言如実修行者。即摂発菩提願乃至満足智慧。次言等者。取不放逸。即是満足菩提願。乃至不戯論諸法也。帰敬三宝竟在前。Kkaito01-08R,08L
  (次に「如実修行等」というは正しく行徳を歎ず。『宝性論』に依るに、正体智に約して「如実行」と名づけ、その後得智を名づけて「遍行」とす。今この中に「如実修行」というは正体智を挙ぐ。次に「等」というは後得智を取る。もし『法集経』の説に依らば、総じて万行の始終を括りて、通じて二句の所摂とす。謂く「如実修行」及び「不放逸」なり。彼の『経〈法集経〉』にいうが如き「如実修行とは、謂く発菩提の願。不放逸とは、謂く満足菩提の願なり。また次に如実修行とは、謂く、布施を修行し、不放逸とは、謂く報を求めず。かくの如く浄戒を持して不退を成就し、或いは忍辱行を修して無生忍を得、一切の善根を求めて疲倦せずして一切の所作の事を捨て、禅定を修して禅定に住せず、智慧を満足して諸法を戯論せず。その次第の如く如実修行及び不放逸なり」と、乃至広説す。今「如実修行」というは、即ち発菩提の願を摂し、乃至、智慧を満足す。次に「等」というは不放逸を取る。即ちこれ満足菩提の願、乃至、諸法を戯論せざるなり。三宝を帰敬すること竟りぬ、前に在り。)Kkaito01-08R,08L

【論】為欲令衆生 除疑捨邪執 起大乗正信 仏種不断故。
【論】 (衆生をして疑を除き、邪執を捨て、大乗正信を起こし、仏種をして断たざらしめんと欲するための故に。)

 此下一頌述造論大意。造論大意不出二種。上半明為下化衆生。下半顕為上弘仏道。所以衆生長没生死之海不趣涅槃之岸者。只由疑惑邪執故也。故今下化衆生之要。令除疑惑而捨邪執。汎論疑惑乃有多途。求大乗者所疑有二。一者疑法障於発心。二者疑門障於修行。Kkaito01-08L,09R
  (この下の一頌は造論の大意を述す。造論の大意は二種を出でず。上半は下化衆生のためにすることを明かし、下半は上弘仏道のためにすることを顕す。衆生、長く生死の海に没し涅槃の岸に趣かざる所以は、ただ疑惑邪執に由るが故なり。故に今、下化衆生の要、疑惑を除きて邪執を捨てしむ。汎く疑惑を論ずるに、乃し多途あり。大乗を求むる者の所疑に二あり。一には法の、発心を障うることを疑い、二には門の、修行を障うることを疑う。)Kkaito01-08L,09R

 言疑法者。謂作此疑。大乗法体。為一為多。如是其一。則無異法。無異法故。無諸衆生。菩薩為誰発弘誓願。若是多法。則非一体。非一体故。物我各別。如何得起同体大悲。由是疑惑。不能発心。言疑門者。如来所立教門衆多。為依何門初発修行。若共可依。不可頓入。若依一二。何遣何就。由是疑故。不能起修行。Kkaito01-19R
  (疑法というは、謂くこれ大乗の法体を疑うことをを作して、一とやせん多とやせんと。かくの如くそれ一なるときは、則ち異法なし。異法なきが故に、諸の衆生なし。菩薩は誰がためにか弘誓願を発さん。もしこれ多法なるときは則ち一体にあらず。一体にあらざるが故に物我各別なり。如何が同体の大悲を起こすことを得ん。この疑惑に由りて発心すること能わず。疑門というは、如来所立教門は衆多なり。何の門に依らんがために初めて修行を発せん。もし共に依るべきは頓入すべからず。もし一二に依らば、何をか遣り、何にか就かん。この疑に由るが故に修行を起こすこと能わず。)Kkaito01-19R

 故今為遣此二種疑。立一心法。開二種門。立一心法者。遣彼初疑。明大乗法唯有一心。一心之外更無別法。但有無明迷自一心。起諸波浪流転六道。雖起六道之浪。不出一心之海。良由一心動作六道故。得発弘済之願。六道不出一心故。能起同体大悲。如是遣疑。得発大心也。Kkaito01-09R,09L
  (故に今、この二種の疑を遣らんがために一心法を立て、二種の門を開く。一心法を立つとは、彼の初の疑を遣る。大乗の法を明かすに唯だ一心あり。一心の外に更に別法なし。ただし無明ありて自の一心に迷いて、諸の波浪を起こして六道に流転す。六道の浪を起こすといえども、一心の海を出でず。良に一心動じて六道と作るに由るが故に弘済の願を発すことを得。六道は一心を出でざるが故に能く同体の大悲を起こす。かくの如く疑を遣りて、大心を発すことを得るなり。)Kkaito01-09R,09L

 開二種門者。遣第二疑。明諸教門雖有衆多。初入修行不出二門。依真如門修止行。依生滅門而起観行。止観双運。万行斯備。入此二門。諸門皆達。如是遣疑。能起修行也。捨邪執者。有二邪執。所謂人執。及与法執。捨此二義。下文当説。下化衆生竟在於前也。Kkaito01-09L
  (二種の門を開くとは、第二の疑を遣る。諸教の門を明かすに衆多ありといえども、初めて修行に入るに二門を出でず。真如門に依りては止行を修し、生滅門に依りては観行を起こす。止観双運して万行ここに備う。この二門に入れば諸門皆達す。かくの如く疑を遣って能く修行を起こすなり。「捨邪執〈邪執を捨つ〉」とは、二の邪執あり。所謂、人執と及び法執となり。この二を捨つる義は、下の文に当に説くべし。下化衆生竟りぬ、前に在り。)Kkaito01-09L

 此下二句。上弘仏道。除彼二辺之疑。得起決定之信。信解大乗。唯是一心。故言起大乗正信也。捨前二執分別。而得無分別智。生如来家。能紹仏位。故言仏種不断故也。如論説云。仏法大海。信為能入。智慧能度。故挙信智。明弘仏道。偈首言為。下結云故者。為明二意故。造此論也。帰敬述意竟。Kkaito01-09L,10R
  (この下の二句は上弘仏道なり。彼の二辺の疑を除きて決定の信を起こすことを得、大乗を信解すること、唯これ一心なり。故に「起大乗正信〈大乗正信を起こし〉」というなり。前の二執の分別を捨てて無分別智を得、如来の家に生じて、能く仏位を紹ぐ。故に「仏種不断故」というなり。『論〈智度論〉』に説きて云うが如し「仏法の大海には信を能入とし、智慧を能度とす」と。故に信智を挙げて仏道を弘むることを明かす。偈の首めに「為」といい、下に結して「故」というは、二の意を明かさんための故に、この論を造るなり。帰敬述意竟わりぬ。)Kkaito01-09L,10R

【論】論曰。有法能起摩訶衍信根。是故応説。
【論】 (論に曰く。法あり、能く摩訶衍の信根を起こす。この故に応に説くべし。)

 此下第二正立論体。在文有三。一者総標許説。二者挙数開章。三者依章別解。文処可見。Kkaito01-R,L
  (これより下は第二に正しく論体を立つ。文に在りて三あり。一には総じて説を許すことを標し、二には数を挙げ章を開き、三には章に依りて別解す。文処見つべし。)Kkaito01-10R

 初中言有法者。謂一心法。若人能解此法。必起広大信根故。言能起大乗信根。信根之相。如題名説。信根既立。即入仏道。入仏道已。得無窮宝。如是大利。依論而得。是故応説。総標許説竟在於前。Kkaito01-10R
  (初の中に「有法〈法あり〉」というは、謂く一心法なり。もし人能くこの法を解すれば、必ず広大の信根を起こすが故に「能起大乗信根〈能く大乗の信根を起こす〉」という。信根の相は題名に説くが如し。信根既に立ちぬれば即ち仏道に入る。仏道に入り已れば無窮の宝を得。かくの如きの大利は論に依りて而も得。この故に応に説くべし。総標許説〈総じて説を許すこと〉竟りぬ、前に在り。)Kkaito01-10R

【論】説有五分。云何為五。一者因縁分。二者立義分。三者解釈分。四者修行信心分。五者勧修利益分。
【論】 (説に五分あり。云何が五となす。一には因縁分。二には立義分。三には解釈分。四には修行信心分。五には勧修利益分。)

 説有五分以下第二挙数開章。有五分者。是挙章数。云何以下。列其章名。因縁分者。非無所以而造論。端智者所為。先応須知故。立義分者。因縁既陳。宜立正義。若不略立。不知宗要故。解釈分者。立宗既略。次応広弁。若不開釈。義理難解故。修行信心分者。依釈起信。必応進修。有解無行。不合論意故。勧修利益分者。雖示修行信心法門。薄善根者不肯造修。故挙利益。勧必応修。故言勧修利益分也。Kkaito01-10R,10L
  (「説有五分〈説に五分あり〉」以下は第二に数を挙げ章を開く。「有五分〈五分あり〉」とは、これ章の数を挙げ、「云何」以下はその章名を列す。「因縁分」とは所以なくして論を造るにあらず。端めに智者のなす所、先ず応に須く知るべきが故に。「立義分」とは、因縁既に陳ぶ。宜しく正義を立つべし。もし略して立てずんば、宗要を知らざるが故に。「解釈分」とは、宗を立つること既に略す。次に応に広く弁ずべし。もし開釈せずんば義理解し難きが故に。「修行信心分」とは、釈に依りて信を起こして、必ず応に進修すべし。解ありて行なくんば、論の意に合わざるが故に。「勧修利益分」とは、修行信心の法門を示すといえども、薄善根の者は肯〈あえ・うべなえ〉て造修せず。故に利益を挙げて、必ず応に修すべきことを勧む。故に「勧修利益分」というなり。)Kkaito01-10R,10L

【論】初説因縁分。問曰。有何因縁而造此論。答曰。是因縁有八種。云何為八。
【論】 (初に因縁分を説かん。問いて曰わく。何の因縁ありてこの論を造るや。答えて曰わく。この因縁に八種あり。云何が八となす。)

 此下第三依章別解。即為五分。初中有二。先牒章名。次顕因縁。顕因縁中。有二問答。一者直顕。二者遣疑。初問可見。答中有三。総標。別釈。後還総結。第二別解。八因縁中。初一是総相因。後七是別相因。Kkaito01-10L
  (このより下は第三に章に依りて別して解す。即ち五分とす。初の中に二あり。先は章名を牒し、次に因縁を顕す。因縁を顕す中に二の問答あり。一には直ちに顕し、二には疑を遣る。初の問、見つべし。答の中に三あり。総標、別釈、後には還りて総結す。第二に別解す。八因縁の中に、初の一はこれ総相の因。後の七はこれ別相の因なり。)Kkaito01-10L

【論】一者因縁総相。所謂為令衆生離一切苦。得究竟楽。非求世間。名利恭敬故。
【論】 (一には因縁総相。所謂、衆生に一切の苦を離れ、究竟楽を得しめんためなり。世間の名利恭敬を求むるにはあらざるが故に。)

 初言総相。有其二義。一者凡諸菩薩有所為作。毎為衆生離苦得楽。非独在此造論因縁。故曰総相。二者此因雖望立義分文作縁。然彼立義分。総為解釈分等作本。此因亦通為彼作縁。依是義故。亦解総相。言離一切苦者。分段変易一切苦也。究竟楽者。無上菩提大涅槃楽也。非求世間者。不望後世人天富楽也。名利恭敬者。不求現在虚偽之事也。Kkaito01-10L,11R
  (初に「総相」というは、その二義あり。一には凡そ諸菩薩、為作なる所ある毎に衆生の離苦得楽のためにして、独りこの造論の因縁に在るにあらざるが故に「総相」という。二にはこの因は立義分の文に望めて縁と作るといえども、然れども彼の立義分は総じて解釈分等のために本と作る。この因もまた通じて彼がために縁と作る。この義に依るが故に、また総相を解す。「離一切苦」とは分段変易の一切の苦なり。「究竟楽」とは無上菩提大涅槃の楽なり。「非求世間」とは後世人天の富楽を望まざるなり。「名利恭敬」とは現在虚偽の事を求めざるなり。)Kkaito01-10L,11R

【論】二者為欲解釈如来根本之義。令諸衆生正解不謬故。
【論】 (二には如来の根本の義を解釈して、諸の衆生をして正しく解して謬らざらしめんと欲するがための故に。)

 此下七種是其別因。唯為此論而作因故。望下七処作別縁故。第二因者。解釈分内有三段中。為二段而作因縁。謂顕示正義。対治邪執。顕示正義之中説云。依一心法有二種門。是二種門皆各総摂一切諸法。当知即是如来所説一切法門之根本義。以是一心二門之内。無一法義而所不摂故故。言為欲解釈如来根本之義也。彼第二段対治邪執者。即令衆生捨離人法二種謬執故。言為令衆生正解不謬故也。Kkaito01-11R,11L
  (この下の七種はこれその別因なり。ただしこの論のために而も因と作るが故に、下の七処に望むるに別縁と作るが故に。第二の因とは解釈分の内に三段ある中、二段のために而も因縁と作る。謂く顕示正義と対治邪執となり。顕示正義の中に説きて云く「一心法に依るに二種の門あり。この二種の門に皆各、一切の諸法を総摂す」と。当に知るべし即ちこれ如来の所説、一切法門の根本の義なり。この一心二門の内に一の法義として摂せざる所なきを以ての故に、故に「為欲解釈如来根本之義」というなり。彼の第二段の対治邪執とは、即ち衆生をして人法二種の謬執を捨離せしむるが故に「為令衆生正解不謬故」というなり。)Kkaito01-11R,11L

【論】三者為令善根成熟衆生。於摩訶衍法堪任不退信故。
【論】 (三には、善根成熟の衆生をして摩訶衍の法に於いて堪任不退信ならしめんための故に。)

 第三因者。為解釈分内第三段文而作因縁。彼文分別発趣道相。令利根者決定発心進趣大道。堪任住於不退位故。故言為令善根乃至不退信故。Kkaito01-11L
  (第三の因とは、解釈分の内、第三段の文のために因縁と作る。彼の文の分別発趣道相は利根の者をして発心を決定して大道に進趣し、不退位に住するに堪任せしむるが故に。故に「為令善根(乃至)不退信故」という。)Kkaito01-11L

【論】四者為令善根微少衆生修習信心故。
【論】 (四には善根微少の衆生をして信心を修習せしめんための故に。)

 第四因者。為下修行信心分初四種信心及四修行之文而作因縁故。言為令修習信心故也。Kkaito01-11L
  (第四の因とは、下の修行信心分の初の四種の信心及び四の修行の文のために因縁と作るが故に「為令修習信心故〈信心を修習せしめんための故に〉」というなり。)Kkaito01-11L

【論】五者為示方便消悪業障。善護其心。遠離癡慢出邪網故。
【論】 (五には方便を示し悪業障を消し、善くその心を護り、癡慢を遠離し邪網を出でしめんための故に。)

 第五因者。為下第四修行末云。復次若人雖修信心。以従先世来多有重悪業障以下。説除障法五行許文而作因縁故。言為示方便消悪業障乃至出邪網故。Kkaito01-11L,12R
  (第五の因とは、下の第四の修行の末に「復次若人雖修信心。以従先世来多有重悪業障〈また次に、もし人、信心を修行すといえども、先世より来た多く重罪悪業障あるを以て〉」と云うより以下に障法を除くことを説く五行許りの文のために因縁と作るが故に「為示方便消悪業障(乃至)出邪網故」という。)Kkaito01-11L,12R

【論】六者為示修習止観。対治凡夫二乗心過故。
【論】 (六には止観を修習することを示し、凡夫二乗の心過を対治せんための故に。)

 第六因者。為彼云何修行止観以下。乃至止観不具則無能入菩提之道。三紙許文而作因縁故。言修習止観乃至心過故。Kkaito01-12R
  (第六の因とは、彼の「云何修行止観」以下、乃至「止観不具則無能入菩提之道」という三紙許りの文のために因縁となるが故に「修習止観(乃至)心過故」という。)Kkaito01-12R

【論】七者為示専念方便生於仏前必定不退信心故。
【論】 (七には専念の方便を示して、仏前に生ぜじめ必定して不退信心ならんための故に。)

 第七因者。為彼修行信心分末云。復次衆生初学是法以下。勧生浄土八行許文而作因縁故。言為示専念方便生於仏前等也。Kkaito01-12R
  (第七の因とは、彼の修行信心分の末に「復次衆生初学是法〈また次に衆生、初めてこの法を学び〉」という以下、浄土に生ずることを勧むる八行許りの文のために因縁と作るが故に「為示専念方便生於仏前」等というなり。)Kkaito01-12R

【論】八者為示利益勧修行故。有如是等因縁。所以造論。
【論】 (八には利益を示し、修行を勧むるための故に、かくの如き等の因縁あり。所以に論を造る。)

 第八因者。為彼第五勧修利益分文而作因縁故。言為示利益勧修行故。次言有如是等因縁所以造論者。第三総結也。直顕因縁竟在於前。Kkaito01-12R
  (第八の因とは、彼の第五の勧修利益分の文のために因縁と作るが故に「為示利益勧修行故〈利益を示し、修行を勧むるための故に〉」という。次に「有如是等因縁所以造論〈かくの如き等の因縁あり。所以に論を造る〉」というは第三に総結なり。直ちに因縁を顕すこと竟りぬ。前に在り。)Kkaito01-12R

【論】問曰。修多羅中具有此法。何須重説。
【論】 (問いて曰わく。修多羅の中に具にこの法あり。何ぞ重ねて説くことを須る。)

 此下遣疑。有問有答。問中言経中具有此法者。謂依前八因所説之法。如立義分所立法義。乃至勧修分中所示利益。如是等諸法。経中具説。皆為衆生離苦得楽。而今更造此論重説彼法者。豈非為求名利等耶。以之故言何須重説。是挙疑情而作問也。Kkaito01-12R,12L
  (この下は疑を遣る。問いあり、答あり。問の中に「経中具有此法〈経の中に具にこの法あり〉」とは、謂く、前の八因に依りて説く所の法は立義分の所立の法義の如し。乃至、勧修分の中に示す所の利益、かくの如き等の諸法は経の中に具に説けり。皆、衆生の離苦得楽のためなり。而るに今更にこの論を造りて重ねて彼の法を説くことは、あに名利等を求むるがためにあらずや。これを以ての故に「何須重説〈何ぞ重ねて説くことを須る〉」という。これ疑情を挙げて問を作すなり。)Kkaito01-12R,12L

【論】答曰。修多羅中雖有此法。以衆生根行不等。受解縁別。
【論】 (答えて曰わく。修多羅の中にこの法ありといえども、衆生の根行等しからず、受解縁別なるを以てなり。)

 答中有三。略答。広釈。第三略結答。答中言脩多羅中雖有此法者。与彼問辞也。根行不等受解縁別者。奪其疑情也。経論所説雖無別法。而受解者根行不同。或有依経不須論者。或有依論不須経者。故為彼人必須造論。答意如是。Kkaito01-12L
  (答の中に三あり。略答。広釈。第三に略して結答す。答の中に「脩多羅中雖有此法〈修多羅の中にこの法ありといえども〉」というは、彼の問の辞を与〈ゆる〉すなり。「根行不等受解縁別〈根行等しからず、受解縁別なるを〉」というは、その疑情を奪うなり。経論の所説は別法なしといえども、受解の者の根行は同じからず。或いは経に依りて論を須いざる者あり。或いは論に依りて経を須いざる者あり。故に彼の人のために必ず須く論を造るべし。答の意、かくの如し。)Kkaito01-12L

【論】所謂如来在世衆生利根。能説之人色心業勝。円音一演異類等解。則不須論。
【論】 (所謂、如来の在世に衆生は利根、能説の人は色心業勝れ、円音一たび演べ異類等しく解すれば、則ち論を須いず。)

 次則広顕。於中有二。先明仏在世時説聴倶勝。後顕如来滅後根縁参差。初中言如来在世衆生利根者。明聴人勝。能説之人色心業勝者。顕説者勝。円音一演者。成説者勝。異類等解者。成聴人勝。則不須論者。結倶勝義。此言円音。即是一音。一音円音。其義云何。昔来諸師説者不同。Kkaito01-12L,13R
  (次は則ち広く顕す。中に於いて二あり。先は仏在世の時は説聴倶に勝るることを明かし、後には如来の滅後には根縁参差することを顕す。初の中に「如来在世衆生利根〈如来の在世に衆生は利根〉」とは聴人の勝るることを明かし、「能説之人色心業勝〈能説の人は色心業勝れ〉」とは説者の勝るることを顕す。「円音一演〈円音一たび演べ〉」とは説者の勝るることを成じ、「異類等解〈異類等しく解す〉」とは聴人の勝るることを成ず。「則不須論〈則ち論を須いず〉」とは倶に勝るる義を結す。ここに「円音」というは即ちこれ一音なり。一音・円音、その義云何。昔より来た諸師の説は同じからず。)Kkaito01-12L,13R

 有師説云。諸仏唯是第一義身。永絶万像。無形無声。直随機現無量色声。猶如空谷無声。随呼発響。然則就仏言之。無音是一。約機論之。衆音非一。何意説言一音円音者。良由一時一会異類等解。随其根性各得一音。不聞余声。不乱不錯。顕是音奇特故名一音。音遍十方。随機熟処無所不聞故名円音。非謂如空遍満無別韻曲。如経言随其類音普告衆生。斯之謂也。Kkaito01-13R,13L
  (有る師の説に云く。諸仏は唯これ第一義の身。永く万像を絶して形もなく声もなし。直ちに機に随いて無量の色声を現ずること、猶し空谷の声なくして呼に随いて響を発するが如し。然れば則ち仏に就きてこれを言わば、無音はこれ一。機に約してこれを論ずれば、衆音は一にあらず。何の意あって説きて一音円音というとならば、良に一時一会、異類等しく解して、その根性に随いて各、一音を得て、余声を聞かず、乱ぜず錯らざるに由りて、これ音の奇特を顕すが故に一音と名づく。音は十方に遍じて機熟の処に随いて聞かずという所なし。故に円音と名づく。空の遍満して別に韻曲なきが如きなりというにはあらず。『経〈大般涅槃経〉』にいうが如き「その類音に随いて普く衆生に告ぐ」と。これこの謂なり。)Kkaito01-13R,13L

 或有説者。就仏言之。実有色声。其音円満。無所不遍。都無宮商之異。何有平上之殊。無異曲故名一音。無不遍故説為円音。但由是円音作増上縁。随根差別現衆多声。猶如満月唯一円形。随器差別而現多影。当知此中道理亦爾。如経言。仏以一音演説法。衆生随類各得解故。Kkaito01-13L
  (或有る説には、仏についてこれを言わば、実に色声ありて、その音円満にして遍ぜざる所なく、都て宮商の異なし。何ぞ平上の殊あらん。異曲なきが故に一音と名づけ、遍せざることなきが故に説きて円音とす。但しこの円音は増上縁に作るに由りて、根の差別に随いて衆多の声を現ずること、猶し満月の唯一の円形にして、器の差別に随いて而も多くの影を現ずるが如し。当に知るべし、この中の道理もまた爾なり。『経〈大宝積経 菩薩見実会〉』に言うが如し「仏は一音を以て法を演説したまうに、衆生は類に随いて各、解を得」というが故に。)Kkaito01-13L

 或有説者。如来実有衆多音声。一切衆生所有言音。莫非如来法輪声摂。但此仏音無障無礙。一即一切。一切即一。一切即一故名一音。一即一切故名円音。如華巖経言。一切衆生語言法。一言演説尽無余。悉欲解了浄密音。菩薩因是初発心故。Kkaito01-13L,14R
  (或有る説には、如来は実に衆多の音声あり。一切衆生所有の言音は如来の法輪の声の摂にあらざることなし。但しこの仏音は無障無礙にして一即一切、一切即一なり。一切即一なるが故に一音と名づけ、一即一切なるが故に円音と名づく。『華厳経〈六十華厳〉』に言うが如き「一切衆生の語言の法は一言に演説して尽くして余なし。悉く浄密音を解了せんと欲して、菩薩はこれに因りて初めて発心す」というが故に。)Kkaito01-13L,14R

 又此仏音不可思議。不但一音言即一切音。亦於諸法無不等遍。今且略挙六双。顕其等遍之相。一者等於一切衆生及一切法。二者等於十方諸刹及三世諸劫。三者等於一切応身如来及一切化身諸仏。四者等於一切法界及虚空界。五者等於無礙相入界及無量出生界。六者等於一切行界及寂静涅槃界。Kkaito01-14R
  (またこの仏音は不可思議にして、但し一音のみを即ち一切音というにあらず、また諸法に於いて等しく遍ぜずということなし。今且く略して六双を挙げてその等遍の相を顕す。一には一切衆生及び一切の法に等し。二には十方の諸刹及び三世の諸劫に等し。三には一切の応身の如来及び一切の化身の諸仏に等し。四には一切の法界及び虚空界に等し。五には無礙の相入界及び無量の出生界に等し。六には一切の行界及び寂静涅槃界に等し。)Kkaito01-14R

 此義如華厳経三種無礙中説。随一一声等此六双。而其音韻恒不雑乱。若音於此六双有所不遍。則音非円。若由等遍失其音曲。則円非音。然今不壊曲而等遍。不動遍而差韻。由是道理。方成円音。此非心識思量所測。以是法身自在義故。一音之義略説如是。且止余論。還釈本文。Kkaito01-14R,14L
  (この義は『華厳経』の三種の無礙の中に説くが如し。一一の声に随いてこの六双に等しけれども、その音韻は恒にして雑乱せず。もし音の、この六双に於いて遍ぜざる所あらば、則ち音にして円にあらず。もし等しく遍するに由りてその音曲を失せば、則ち円にして音にあらず。然るに今、曲を壊せずして等しく遍じ、遍を動ぜずして韻を差にす。この道理に由りて方に円音を成ず。これ心識思量の測る所にあらず。これ法身自在の義を以ての故なり。一音の義、略して説くこと、かくの如し。且く余論を止めて、還りて本文を釈せん。)Kkaito01-14R,14L

【論】若如来滅後。或有衆生。能以自力広聞而取解者。
【論】 (もしは如来の滅後に、或いは衆生の、能く自力広聞を以て解を取る者あり。)

 此下第二明仏滅後根行参差。於中別出四種根性。初二依経而得解者。後二依論方取解者。初中言能以自力広聞而取解者者。依広経聞得解仏意。而不須論。故言自力也。Kkaito01-14L
  (これより下は第二に仏の滅後、根行参差することを明かす。中に於いて別して四種の根性を出だす。初の二は経に依りて解を得る者、後の二は論に依りて方に解を取る者なり。初の中に「能以自力広聞而取解者〈能く自力広聞を以て解を取る者〉」というは、広経に依りて聞きて仏意を解することを得て而も論を須いざる故に「自力」というなり。)Kkaito01-14L

【論】或有衆生。亦以自力少聞而多解者。
【論】 (或いは衆生の、また自力少聞を以て多く解する者あり。)

 第二中言亦以自力少聞而多解者者。未必広聞諸経文言。而能深解諸経意致。亦不須論。故言自力。Kkaito01-14L
  (第二の中に「亦以自力少聞而多解者〈また自力少聞を以て多く解する者〉」というは、未だ必しも広く諸経の文言を聞かず、而も能く深く諸経意致を解して、また論を須いざるが故に「自力」という。)Kkaito01-14L

【論】或有衆生。無自心力。因於広論而得解者。
【論】 (或いは衆生の、自の心力なく、広論に因りて解を得る者あり。)

 第三中言無自心力者。直依仏経則不能解故言無力。因於智度瑜伽等論。方解仏経所説意趣故。言因於広論得解者。Kkaito01-14L,15R
  (第三の中に「無自心力〈自の心力なく〉」というは、直ちに仏経に依りて則ち解すること能わざるが故に「無力」という。『智度』『瑜伽』等の論に因りて、方に仏経所説の意趣を解するが故に「因於広論得解者〈広論に因りて解を得る者〉」というなり。)Kkaito01-14L,15R

【論】自有衆生復以広論文多為煩。心楽総持少文而摂多義能取解者。
【論】 (自ずから衆生のまた広論の文多きを煩となすを以て、心に総持の文少くして多義を摂するを楽〈ねが〉いて、能く解を取る者あり。)

 第四中言復以広論文多為煩者。雖是利根而不忍繁。此人唯依文約義豊之論。深解仏経所説之旨故。言心楽総持少文而摂多義能取解者。此四中。前三非今所為。今所為者在第四人也。Kkaito01-15R
  (第四の中に「復以広論文多為煩〈また広論の文多きを煩となすを以て〉」とは、これ利根なりといえども繁きに忍びず、この人は唯し文約〈つづ〉まやかに義豊かなる論に依りて深く仏経所説の旨を解するが故に「心楽総持少文而摂多義能取解者〈心に総持の文少くして多義を摂するを楽〈ねが〉いて、能く解を取る者〉」という。この四の中に前の三は今の所為にあらず。今の所為は第四の人に在るなり。)Kkaito01-15R

【論】如是此論為欲総摂如来広大深法無辺義故。応説此論。
【論】 (かくの如く、この論は如来の広大深法の無辺の義を総摂せんと欲するための故に、応にこの論を説くべし。)

 如是以下。第三結答。言如是者。通挙前四種人。此論以下。別対第四之人。結明必応須造論意。今此論者。文唯一巻。其普摂一切経意故。言総摂如来広大深法無辺義故。彼第四品楽総持類。要依此論乃得悟道。以之故言応説此論也。Kkaito01-15R
  (「如是」より以下は第三に結答。「如是」というは通じて前の四種の人を挙ぐ。「此論〈この論〉」より以下は別して第四の人に対して、必ず応須に論を造るべき意を明かすことを結す。今この論は、文は唯一巻にして、それ普く一切の経意を摂するが故に「総摂如来広大深法無辺義故〈如来の広大深法の無辺の義を総摂せんと欲するための故に〉」という。彼の第四品は総持を楽う類なり。要ずこの論に依りて乃し道を悟ることを得。これを以ての故に「応説此論〈応にこの論を説くべし〉というなり」。)Kkaito01-15R

【論】已説因縁分。次説立義分。摩訶衍者総説有二種。云何為二。一者法。二者義。
【論】 (已に因縁分を説く。次に立義分を説かん。摩訶衍は総じて説くに二種あり。云何が二となす。一には法、二には義。)

 此下第二説立義分。文中有二。一者結前起後。摩訶以下。第二正説立二章門。謂法与義。法者是大乗之法体。義者是大乗之名義。初立法者。起下釈中初釈法体之文。次立義者。起下復次真如自体相者以下釈義文也。初立法中亦有二立。一者就体総立。起下釈中初総釈文。二者依門別立。起下言真如者以下別釈文也。Kkaito01-15R,15L
  (これより下は第二に立義分を説く。文の中に二あり。一には前を結して後を起こす。「摩訶」より以下は第二に正しく立二の章門を説く。謂く法と義となり。「法」とはこれ大乗の法体。「義」とはこれ大乗の名義。初に法を立つとは、下の釈の中の初に法体を釈する文を起こす。次に義を立つとは、下の「復次真如自体相者」以下の義を釈する文を起こすなり。初に法を立つる中に、また二の立あり。一には体に就きて総じて立つ。下の釈の中の初の総釈の文を起こす。二には門に依りて別して立つ。下に「言真如者」以下の別釈の文を起こすなり。)Kkaito01-15R,15L

【論】所言法者謂衆生心。是心則摂一切世間出世間法。
【論】 (言う所の法とは、謂く、衆生心なり。この心則ち一切の世間・出世間の法を摂す。)

 初中所言法者謂衆生心者。自体名法。今大乗中一切諸法皆無別体。唯用一心為其自体。故言法者謂衆生心也。言是心即摂一切者。顕大乗法異小乗法。良由是心通摂諸法。諸法自体唯是一心。不同小乗一切諸法各有自体故。説一心為大乗法也。Kkaito01-15L
  (初の中に「所言法者謂衆生心〈言う所の法とは、謂く、衆生心なり〉」とは、自体を法と名づく。今、大乗の中には一切諸法皆、別体なし。唯し一心を用いてその自体とするが故に「法者謂衆生心〈法とは、謂く、衆生心なり〉」というなり。「是心即摂一切」というは、大乗の法は小乗の法に異なることを顕す。良にこの心は通じて諸法を摂し、諸法の自体は唯これ一心なるに由る。小乗の、一切の諸法の各自体あるに同ぜざるが故に、一心を説きて大乗の法とするなり。)Kkaito01-15L

【論】依於此心。顕示摩訶衍義。何以故。是心真如相。即示摩訶衍体故。是心生滅因縁相。能示摩訶衍自体相用故。
【論】 (この心に依りて摩訶衍の義を顕示す。何を以ての故に。この心真如の相は即ち摩訶衍の体を示すが故に。この心生滅因縁の相は能く摩訶衍の自体相用を示すが故に。)

 何以故下。依門別立。此一文内含其二義。望上釈総義。望下立別門。然心法是一。大乗義広。以何義故。直依是心顕大乗義。故言何以故。Kkaito01-15L,16R
  (「何以故」の下は門に依りて別して立つ。この一文の内にその二義を含む。上に望めては総義を釈し、下に望めては別門を立つ。然るに心法はこれ一。大乗は義広し。何の義を以ての故にか直ちにこの心に依りて大乗の義を顕す。故に「何以故」という。)Kkaito01-15L,16R

 下釈意云。心法雖一。而有二門。真如門中有大乗体。生滅門中有体相用。大乗之義莫過是三。依一心顕大乗義也。Kkaito01-16R
  (下に意を釈して云く。心法は一なりといえども而も二門あり。真如門の中には大乗の体あり。生滅門の中には体相用あり。大乗の義はこの三に過ぐることなし。一心に依りて大乗の義を顕すなり。)Kkaito01-16R

 言是心真如者。総挙真如門。起下即是一法界以下文也。次言相者。是真如相。起下復次真如者依言説分別有二種以下文也。Kkaito01-16R
  (「是心真如」というは総じて真如門を挙ぐ。下の「即是一法界」以下の文を起こすなり。次に「相」というは、これ真如の相なり。下の「復次真如者依言説分別有二種〈また次に真如とは、言説に依りて分別するに二種の義あり〉」以下の文を起こすなり。)Kkaito01-16R

 言是心生滅者。総挙生滅門。起下依如来蔵故有生滅心以下文。言因縁者。是生滅因縁。起下復次生滅因縁以下文也。次言相者。是生滅相。起下復次生滅者以下文也。言能示摩訶衍自体者。即是生滅門内之本覚心。生滅之体。生滅之因。是故在於生滅門内。然真如門中直言大乗体。生滅門中乃云自体者。有深所以。至下釈中。其義自顕也。Kkaito01-16R,16L
  (「是心生滅」というは総じて生滅門を挙ぐ。下の「依如来蔵故有生滅心〈如来蔵に依るが故に生滅の心あり〉」以下の文を起こす。「因縁」というは、これ生滅の因縁なり。下の「復次生滅因縁」以下の文を起こすなり。次に「相」というは、これ生滅の相なり。下の「復次生滅者」以下の文を起こすなり。「能示摩訶衍自体」というは、即ちこれ生滅門の内の本覚心は生滅の体、生滅の因なり。この故に生滅門の内に在り。然るに真如門の中には直ちに「大乗の体」といい、生滅門の中には乃し「自体」というは、深き所以あり。下の釈の中に至りて、その義自ずから顕るるなり。)Kkaito01-16R,16L

 言相用者合有二義。一者能示如来蔵中無量性功徳相。即是相大義。又示如来蔵不思議業用。即是用大義也。二者真如所作染相名相。真如所起浄用名用。如下文言真如浄法実無於染。但以無明而熏習故則有染相。無明染法本無浄用。但以真如而熏習故則有浄用也。立法章門竟在於前。Kkaito01-16L
  (「相用」というは合して二義あり。一には能く如来蔵の中の無量の性功徳の相を示す。即ちこれ相大義なり。また如来蔵不思議の業用を示す。即これ用大の義なり。二には真如所作の染相を相と名づけ、真如所起の浄用を用と名づく。下の文に言うが如し「真如の浄法は実に染なけれども、但し無明を以て熏習するが故に、則ち染相あり。無明染法は本に浄用なければ、但し真如を以て熏習するが故に則ち浄用あるなり」。立法章門竟わりぬ、前に在り。)Kkaito01-16L

【論】所言義者則有三種。云何為三。一者体。謂一切法真如平等不増減故。
【論】 (言う所の義とは、則ち三種あり。云何が三となす。一には体。謂く。一切の法は真如平等にして増減せざるが故に。)

 此下第二立義章門。於中亦二。初明大義。次顕乗義。此亦起下釈中之文。至彼文処。更相属当。大義中体大者在真如門。相用二大在生滅門。生滅門内亦有自体。但以体従相故不別説也。Kkaito01-16L,17R
  (これより下は第二に立義章門なり。中に於いてまた二。初には大の義を明かし、次に乗の義を顕す。これまた下の釈の中の文を起こす。彼の文処に至りて更に相い属当すべし。大の義の中の体大は真如門に在り。相用の二大は生滅門に在り。生滅門の内にまた自体あれども、但し体を以て相に従えるが故に別説せざるなり。)Kkaito01-16L,17R

【論】二者相大。謂如来蔵具足無量性功徳故。
【論】 (二には「相大」。謂く、如来蔵は無量の性功徳を具足するが故に。)

 言如来蔵具足無量性功徳者。二種蔵内。不空如来蔵。二種蔵中。能摂如来蔵。性功徳義及用大義。至下釈中当広分別。Kkaito01-17R
  (「如来蔵具足無量性功徳〈如来蔵は無量の性功徳を具足す〉」というは、二種の蔵の内には不空如来蔵なり。二種の蔵の中には能摂如来蔵なり。性功徳の義及び用大の義は、下の釈の中に至って当に広く分別すべし。)Kkaito01-17R

【論】三者用大。能生一切世間出世間善因果故。一切諸仏本所乗故。一切菩薩皆乗此法到如来地故。
【論】 (三には用大。能く一切世間・出世間の善の因果を生ずるが故に。一切の諸仏の本所乗の故に。一切の菩薩は皆この法に乗じて如来地に到るが故に。)

 乗義中有二句。一切諸仏本所乗故者。立果望因以釈乗義也。一切菩薩皆乗此法到如来地故者。拠因望果以釈乗義也。Kkaito01-17R
  (乗の義の中に二句あり。「一切諸仏本所乗故〈一切の諸仏の本所乗の故に〉」とは、果を立てて因に望むるを以て乗の義を釈するなり。「一切菩薩皆乗此法到如来地故〈一切の菩薩は皆この法に乗じて如来地に到るが故に〉」とは、因を果に望むるに拠りて以て乗の義を釈するなり。)Kkaito01-17R

【論】已説立義分。次説解釈分。解釈有三種。云何為三。一者顕示正義。二者対治邪執。三者分別発趣道相。
【論】 (已に立義分を説く。次に解釈分を説かん。解釈に三種あり。云何が三となす。一は正義を顕示す。二は邪執を対治す。三は発趣道相を分別す。)

 解釈分中。在文亦二。一者結前起後。二者正釈。正釈中有三。一者挙数総標。二者依数開章。三者依章別解。開章中。言顕示正義者。正釈立義分中所立也。対治邪執。発趣道相者。是明離邪就正門也。Kkaito01-17R,17L
  (解釈分の中に、文に在りてまた二。一には結前起後。二には正釈。正釈の中に三あり。一には数を挙げて総標し、二には数に依りて章を開き、三には章に依りて別解す。開章の中に「顕示正義」というは正しく立義分の中の所立を釈するなり。「対治邪執」「発趣道相」とは、これ邪を離れ正に就く門を明かすなり。)Kkaito01-17R,17L

【論】顕示正義者。依一心法有二種門。云何為二。一者心真如門。二者心生滅門。是二種門皆各総摂一切法。此義云何。以是二門不相離故。
【論】 (正義を顕示すとは、一心法に依りて二種の門あり。云何が二となす。一には心真如門。二には心生滅門。この二種の門は皆おのおの一切の法を総摂す。この義云何。この二門は相い離れざるを以ての故に。)

 別解之中即有三章。初釈顕示正義分。中大分有二。初正釈義示。後入門。正釈之中依上有二。初釈法章門。後釈義章門。初中亦二。一者総釈。釈上総立。二者別解。解上別立。Kkaito01-17L
  (別解の中に即ち三章あり。初に顕示正義分を釈する中に、大いに分けて二あり。初に正しく義を釈して示し、後には入門なり。正釈の中に上に依るに二あり。初には法章門を釈し、後に義章門を釈す。初の中にまた二。一には総釈。上の総立を釈す。二には別解。上の別立を解す。)Kkaito01-17L

 初中言依一心法有二種門者。如経本言。寂滅者名為一心。一心者名如来蔵。此言心真如門者。即釈彼経寂滅者名為一心也。心生滅門者。是釈経中一心者名如来蔵也。所以然者。以一切法無滅。本来寂静。唯是一心。如是名為心真如門故。言寂滅者名為一心。Kkaito01-17L
  (初の中に「依一心法有二種門」というは、『経本〈入楞伽経〉』に言うが如し「寂滅とは、名づけて一心となす。一心とは如来蔵と名づく」と。ここに「心真如門」というは、即ち彼の『経〈入楞伽経〉』の「寂滅とは、名づけて一心となす」を釈するなり。「心生滅門」とは、これ『経〈入楞伽経〉』の中の「一心とは如来蔵と名づく」を釈するなり。然る所以は、一切の法は滅することなく本来寂静なるを以て、唯これ一心なり。かくの如きを名づけて心真如門とす。故に「寂滅とは名づけて一心となす」という。)Kkaito01-17L

 又此一心体有本覚。而随無明動作生滅。故於此門如来之性隠而不顕。名如来蔵。如経言。如来蔵者是善不善因。能遍興造一切趣生。譬如伎児変現諸趣。Kkaito01-17L,18R
  (またこの一心の体に本覚あり。而も無明に随いて動じて生滅と作る。故にこの門に於いて如来の性は隠れて顕れざるを如来蔵と名づく。『経〈四巻・七巻楞伽経〉』に言うが如し「如来蔵とはこれ善不善の因なり。能く遍く一切の趣生を興造す。譬えば伎児の、諸趣を変現するが如し」と。)Kkaito01-17L,18R

 如是等義在生滅門。故言一心者名如来蔵。是顕一心之生滅門。如下文言。心生滅者。依如来蔵故有生滅心。乃至此識有二種義。一者覚義。二者不覚義。当知非但取生滅心為生滅門。通取生滅自体及生滅相。皆在生滅門内義也。二門如是。Kkaito01-18R
  (かくの如き等の義は生滅門に在り。故に〈『楞伽経』〉「一心とは如来蔵と名づく」という。これは一心の生滅門を顕す。下の文に言うが如し「心生滅とは、如来蔵に依るが故に生滅の心あり。(乃至)この識に二種の義あり。〈乃至〉一には覚の義。二には不覚の義」と。当に知るべし、但し生滅の心を取りて生滅門とするにあらず。通じて生滅の自体及び生滅の相は皆、生滅門の内に在る義を取るなり。二門かくの如し。)Kkaito01-18R

 何為一心。謂染浄諸法其性無二。真妄二門不得有異。故名為一。此無二処。諸法中実。不同虚空。性自神解。故名為心。然既無有二。何得有一。一無所有。就誰曰心。如是道理。離言絶慮。不知何以目之。強号為一心也。Kkaito01-18R,18L
  (何ぞ一心とする。謂く染浄の諸法は、その性無二。真妄の二門は異あることを得ず。故に名づけて一とす。この無二の処は諸法の中実。虚空に同ぜず、性自ずから神解なり。故に名づけて心とす。然も既に二あることなし。何ぞ一あることを得ん。一に所有なし。誰に就きてか心といわん。かくの如きの道理は言を離れ慮を絶す。知ず、何を以てかこれを目づけん。強いて号して一心とすることを。)Kkaito01-18R,18L

 言是二種門皆各総摂一切法者。釈上立中是心即摂一切世間出世間法。上直明心摂一切法。今此釈中顕其二門皆各総摂。言以是二門不相離故者。是釈二門各総摂義。欲明真如門者染浄通相。通相之外無別染浄故。得総摂染浄諸法。生滅門者別顕染浄。染浄之法無所不該故。亦総摂一切諸法。通別雖殊。斉無所遣故。言二門不相離也。総釈義竟。Kkaito01-18L
  (「是二種門皆各総摂一切法〈この二種の門は皆おのおの一切の法を総摂す〉」というは、上の立の中の「是心即摂一切世間出世間法〈この心即ち一切の世間・出世間の法を摂す〉」を釈す。上には直ちに心に一切法を摂することを明かし、今この釈の中にはその二門に皆各総じて摂することを顕す。「以是二門不相離故〈この二門は相い離れざるを以ての故に〉」というは、これ二門に各総じて摂する義を釈す。真如門は染浄の通相なり、通相の外に別の染浄なきことを明かさんと欲するが故に、総じて染浄の諸法を摂することを得。生滅門は別して染浄を顕す。染浄の法は該ねざる所なきが故に、また総じて一切の諸法を摂す。通別殊なりといえども。斉しくして遣る所なきが故に「二門不相離」というなり。総じて義を釈し竟りぬ。)Kkaito01-18L

【論】心真如者。即是一法界大総相。法門体。
【論】 (心真如とは、即ちこれ一法界の大総相、法門の体。)

 心真如者以下釈上別立。別釈二門。即為二分。真如門中。亦有二意。初釈真如。後釈如相。又復初是総釈。後是別解。又初文明不可説。顕理絶言。後文明可得説。顕不絶言。Kkaito01-18L,19R
  (「心真如者」以下は上の別立を釈す。別して二門を釈して即ち二分とす。真如門の中にまた二の意あり。初には真如を釈し、後には如の相を釈す。また初はこれ総釈、後はこれ別解なり。また初の文には不可説を明かして理の絶言を顕し、後の文には可得説を明かして不絶言を顕す。)Kkaito01-18L,19R

 問。理実而言。為絶為不絶。若不絶言者。正体離言。即通於理。若実絶言。後智帯言。即倒於理。又若不絶。則初段論文斯為漫語。若実絶言。則後段論文徒為虚設。如説虚空為金銀等。解云。是故当知。理非絶言。非不絶言。以是義故。理亦絶言。亦不言絶。是則彼難無所不審。且止傍論。還釈本文。Kkaito01-19R
  (問う。理実にして言わば、絶すとやせん、絶せざるとやせん。もし言を絶せざれば、正体は言を離る。即ち理に通ぜん。もし実に言を絶せば、後智は言を帯す。即ち理に倒せん。またもし絶せざれば、則ち初段の論文はこれ漫語とならん。もし実に言を絶せば、則ち後段の論文は徒に虚設とならん。説くが如きは虚空を金銀等とせん。解して云く。この故に当に知るべし。理は絶言にあらず、絶言せざるにあらず。この義を以ての故に、理はまた言を絶し、また言絶せず。これ則ち彼の難、審ぜざる所なし。且く傍論を止め、還りて本文を釈せん。)Kkaito01-19R

 初文有三。一者略標。二者広釈。其第三者往復除疑。Kkaito01-19R
  (初の文に三あり。一には略して標し、二には広く釈し、その第三は往復して疑を除く。)Kkaito01-19R

 略標中言即是一法界者。是挙真如門所依之体。一心即是一法界故。此一法界通摂二門。而今不取別相之門。於中但取総相法門。然於総相有四品中。説三無性所顕真如故言大総相。軌生真解故名為法。通入涅槃故名為門。如一法界挙体作生滅門。如是挙体為真如門。為顕是義故言体也。Kkaito01-19R,19L
  (略して標する中に「即是一法界」というは、これ真如門所依の体を挙ぐ。一心は即ちこれ一法界なるが故に、この一法界に通じて二門を摂す。而るに今、別相の門を取らず。中に於いて但し総相の法門を取る。然るに総相に於いて四品ある中に三無性所顕の真如を説くが故に「大総相」といい、軌として真解を生ずるが故に名づけて「法」とし、通じて涅槃に入が故に名づけて「門」とす。一法界は体を挙げて生滅門と作るが如く、かくの如く体を挙げて真如門となる。この義を顕さんが故に「体」というなり。)Kkaito01-19R,19L

【論】所謂心性不生不滅。
【論】 (いわゆる心性は不生不滅なり。)

 此下広釈。於中有二。一者顕真如体。二者釈真如名。初中有三。一者当真実性以顕真如。二者対分別性而明真如絶相。三者就依他性以顕真如離言。Kkaito01-19L
  (これより下は広く釈す。中に於いて二あり。一には真如の体を顕し、二には真如の名を釈す。初の中に三あり。一には真実の性に当て、以て真如を顕し、二には分別の性に対して真如の絶相を明かし、三には依他の性に就きて以て真如の離言を顕す。)Kkaito01-19L

 初中言心性者。約真如門論其心性。心性平等。遠離三際。故言心性不生不滅也。Kkaito01-R,L
  (初の中に「心性」というは、真如門に約してその心性を論ず。心性は平等にして三際を遠離す。故に「心性不生不滅〈心性は不生不滅なり〉」というなり。)Kkaito01-R,L

【論】一切諸法唯依妄念而有差別。若離心念。則無一切境界之相。
【論】 (一切の諸法は、ただ妄念に依りて差別あり。もし心念を離るれば、則ち一切の境界の相なし。)

 第二中有二句。初言一切諸法唯依妄念而有差別者。是挙遍計所執之相。次言若離心念即無一切境界相者。対所執相顕無相性。猶如空華唯依眼病而有華相。若離眼病即無華相。唯有空性。当知此中道理亦爾。Kkaito01-19L,20R
  (第二の中に二句あり。初に「一切諸法唯依妄念而有差別〈一切の諸法は、ただ妄念に依りて差別あり〉」というは、これ遍計所執の相を挙ぐ。次に「若離心念即無一切境界相〈もし心念を離るれば、則ち一切の境界の相なし〉」というは、所執の相に対して無相の性を顕す。猶し空華の、唯、眼病に依りて華相あるが如し。もし眼病を離るれば即ち華相なく、唯、空性のみあり。当に知るべし、この中道の理もまた爾り。)Kkaito01-19L,20R

【論】是故一切法。従本已来離言説相。離名字相。離心縁相。畢竟平等無有変異不可破壊。唯是一心故名真如。
【論】 (この故に一切法は本より已来た言説の相を離れ、名字の相を離れ、心縁の相を離れて、畢竟平等にして変異あることなく、破壊すべからず。ただこれ一心なり。故に真如と名づく。)

 第三中有三句。先約依他性法以明離言絶慮。次依離絶之義以顕平等真如。後釈平等離絶所以。初中言是故一切法者。謂従縁生依他起法。離言説相者。非如音声之所説故。離名字相者。非如名句之所詮故。離心縁相者。名言分別所不能縁故。如虚空中鳥迹差別。謂随鳥形空相顕現。顕現之相実有差別。而離可見之相差別。依他起法当知亦爾。随諸熏習差別顕現。而離可言之性差別。既離可言可縁差別。即是平等真如道理故。言畢竟平等乃至故名真如。此是第二顕真如平等。Kkaito01-20R,20L
  (第三の中に三句あり。先は依他性の法に約して以て離言絶慮を明かし、次には離絶の義に依りて以て平等真如を顕し、後には平等離絶の所以を釈す。初の中に「是故一切法」というは、謂く縁より生ずる依他起の法なり。「離言説相〈言説の相を離れ〉」とは、音声の所説の如くにあらざるが故に。「離名字相〈名字の相を離れ〉」とは、名句の所詮の如くにあらざるが故に。「離心縁相〈心縁の相を離れ〉」とは、名言分別の縁ずること能わざる所なるが故に。虚空の中の鳥迹の差別なるが如し。謂く鳥の形に随いて空相顕現す。顕現の相は実に差別ありて、可見の相の差別を離る。依他起の法は当に知るべし、また爾なり。諸の熏習に随りて差別顕現して、可言の性の差別を離る。既に可言可縁の差別を離る。即ちこれ平等真如の道理なるが故に「畢竟平等(乃至)故名真如」という。これはこれ第二に真如の平等を顕す。)Kkaito01-20R,20L

【論】以一切言説仮名無実。但随妄念不可得故。
【論】 (一切の言説は仮名にして実なく、ただ妄念に随りて不可得なるを以ての故に。)

 以一切下。釈其所以。所以真如平等離言者。以諸言説唯是仮名故。於実性不得不絶。又彼言説但随妄念故。於真智不可不離。由是道理故説離絶故。言乃至不可得故。顕体文竟。Kkaito01-21L
  (「以一切」の下は、その所以を釈す。真如平等にして言を離るる所以は、諸の言説は唯これ仮名なるを以ての故に実性に於いて絶せざることを得ず。また彼の言説は但し妄念に随うが故に真智に於いて離れざらんはあるべからず。この道理に由るが故に、離絶を説くが故に「(乃至)不可得故」という。体を顕す文、竟りぬ。)Kkaito01-20L

【論】言真如者亦無有相。謂言説之極。因言遣言。此真如体無有可遣。以一切法悉皆真故。亦無可立。以一切法皆同如故。当知。一切法不可説不可念故。名為真如。
【論】 (真如というは、また相あることなし。謂く。言説の極。言に因りて言を遣る。この真如の体は遣るべきあることなし。一切の法は悉くみな真なるを以ての故に。また立すべきなし。一切の法はみな同じく如なるを以ての故に。当に知るべし。一切の法は説くべからず、念ずべからざるが故に、名づけて真如となす。)

 此下釈名。於中亦三。初標立名之意。所謂因言遣言。猶如以声止声也。次正釈名。此真如体無有可遣者。非以真体遣俗法故。以一切法悉皆真故者。依他性一切諸法。離仮言説故悉是真。悉是真者。不壊差別即是平等。是平等故無別可立。故言一切皆同如故。当知以下第三結名。直顕真如竟。在於前。Kkaito01-20L,21R
  (これより下は名を釈す。中に於いてまた三。初には立名の意を標す。所謂「因言遣言〈言に因りて言を遣る〉」なり。猶し声を以て声を止るが如きなり。次に正しく名を釈す。「此真如体無有可遣〈この真如の体は遣るべきあることなし〉」とは、真体を以て俗法を遣るにあらざるが故に。「以一切法悉皆真故」とは、依他性の一切諸法。は言説を仮ることを離るるが故に悉くこれ真なり。悉くこれ真なれば、差別を壊せずして即ちこれ平等なり。これ平等なるが故に別に立すべきことなし。故に「一切皆同如故〈一切は皆同じく如なるが故に〉」という。「当知」より以下は第三に名を結す。直ちに真如を顕すこと竟りぬ。前に在り。)Kkaito01-20L,21R

【論】問曰。若如是義者。諸衆生等云何随順而能得入。
【論】 (問いて曰く。もしかくの如き義ならば、諸の衆生等は、云何が随順し而して能く得入せん。)

 問曰以下。往復疑問中。言云何随順者。是問方便。而能得入者。是問正観。Kkaito01-21R
  (「問曰」以下は往復疑問する中に「云何随順」とは、これ方便を問い、「而能得入」とはこれ正観を問う。)Kkaito01-21R

【論】答曰。若知一切法雖説無有能説可説。雖念亦無能念可念。是名随順。若離於念名為得入。
【論】 (答えて曰く。もし一切法は説くといえども能説の説くべきことあることなく、念ずといえども、また能念の念ずべきことなしと知る、これを随順と名づく。もし念を離るを名づけて得入となす。)

 答中次第答此二問。初中言雖説雖念者。明法非無。以離悪取空見故。無有能説可説等者。顕法非有。離執著有見故。能如是知。順中道観故名随順。第二中言離於念者。離分別念。名得入者。顕入観智也。Kkaito01-21R
  (答の中に次第にこの二問を答う。初の中に「雖説」「雖念」というは法の非無を明かす。悪取空の見を離るるを以ての故に。「無有能説可説」等とは法の非有を顕す。執著有の見を離るるが故に。能くかくの如く知りて中道観に順ずるが故に「随順」と名づく。第二の中に「離於念」とは分別の念を離る。「名得入」とは入観の智を顕すなり。)Kkaito01-21R

【論】復次真如者。依言説分別有二種義。云何為二。一者如実空。以能究竟顕実故。二者如実不空。以有自体具足無漏性功徳故。
【論】 (また次に真如とは、言説に依りて分別するに二種の義あり。云何が二となす。一には如実空。能く究竟して実を顕すを以ての故に。二には如実不空。自体あり、無漏の性功徳を具足するを以ての故に。)

 復次以下第二明真如相。在文有三。一者挙数総標。二者依数開章。三者依章別解。Kkaito01-21R
  (「復次」より以下は第二に真如の相を明かす。文に在りて三あり。一には数を挙げて総じて標し、二には数に依りて章を開き、三には章に依りて別して解す。)Kkaito01-21R

【論】所言空者。従本已来一切染法不相応故。謂離一切法差別之相。以無虚妄心念故。
【論】 (言の所の空とは、本より已来た一切の染法は相応せざるが故に。謂く。一切法の差別の相を離る。虚妄の心念なきを以ての故に。)

 別解中即有二。先明空中即有三句。略明。広釈。第三総結。初中言一切染法不相応者。能所分別不相応故。離一切法差別相者。離所取相故。以無虚妄心念故者。離能取見故。即以離義而釈空也。Kkaito01-21R,21L
  (別して解する中に即ち二あり。先に空を明かす中に即ち三句あり。略して明かし、広く釈し、第三に総じて結するなり。初の中に「一切染法不相応〈一切の染法は相応せず〉」というは、能所分別は相応せざるが故に。「離一切法差別相〈一切法の差別の相を離る〉」とは、所取の相を離るるが故に。「以無虚妄心念故〈虚妄の心念なきを以ての故に〉」とは、能取の見を離るるが故に。即ち離の義を以て空を釈するなり。)Kkaito01-21R,21L

【論】当知。真如自性。非有相非無相。非非有相非非無相。非有無倶相。非一相非異相。非非一相非非異相。非一異倶相。乃至総説。依一切衆生以有妄心。念念分別皆不相応。故説為空。若離妄心。実無可空故。
【論】 (当に知るべし。真如の自性は、有相にあらず、無相にあらず、非有相にあらず、非無相にあらず、有無倶相にあらず。一相にあらず、異相にあらず。非一相にあらず、非異相にあらず。一異倶相にあらず。乃至総じて説く。一切衆生は妄心あるを以て、念念分別するに依りて、みな相応せず。故に説きて空となす。もし妄心を離るれば、実に空ずべきことなきが故に。)

 広釈之中。明絶四句。四句雖多。其要有二。謂有無等及一異等。以此二四句摂諸妄執故。対此二以顕真空。Kkaito01-21L
  (広釈の中に四句を絶することを明かす。四句は多しといえども、その要に二あり。謂く、有無等と及び一異等なり。この二の四句を以て諸の妄執を摂するが故に、この二に対して以て真空を顕す。)Kkaito01-21L

 如広百論云。復次為顕世間所執諸法皆非真実。及顕外道所執不同故説頌曰。有非有倶非。一非一双泯。随次応配属。智者達非真。釈曰。一切世間色等句義。言説所表。心慧所知。情執不同。略有四種。謂有。非有。倶許。倶非。随次如応配。四邪執。謂一。非一。双許。双非。Kkaito01-21L

  (『広百論』に云うが如き「また次に世間所執の諸法は皆、真実にあらざるを顕し、及び外道所執の不同を顕さんがための故に頌を説きて曰く。有と非有と倶と非と一と非一と双と泯と、次に随いて応に配属して智者は真にあらずと達すべし。釈して曰く。一切世間の色等の句の義、言説の所表、心慧の所知は情執不同なり。略して四種あり。謂く、有と非有と倶許と倶非と、次に随いて応の如く配せよ。四の邪執とは謂く一と非一と双許と双非となり」。)Kkaito01-21L

 数論外道執。有等性与諸法一。即当有句。此執非真。所以者何。若青等色与色性一。応如色性其体皆同。五楽等声与声性一。応如声性其体皆同。眼等諸根与根性一。応如根性其体皆同。応一一根取一切境。応一一境対一切根。又一切法与有性一。応如有性其体皆同也。Kkaito01-21L,22R
  (〈『広百論』〉「数論外道の執すらく、有等の性と諸法と一なりと。即ち有の句に当る。この執は真にあらず。所以は何となれば、もし青等の色と色の性と一なり、応に色の性の如くその体皆同じなるべし。五楽等の声と声の性と一なり、応に声の性の如くその体皆同じなるべし。眼等の諸根と根の性と一なり、応に根の性の如くその体皆同じなるべし。応に一一の根は一切の境を取るべし。応に一一の境は一切の根に対すべし。また一切の法と有の性は一なり、応に有の性の如くその体皆同なるべきなり」。)Kkaito01-21L,22R

 勝論外道説。有等性与諸法非一。当非有句。此亦非真。所以者何。若青等色与色性異。応如声等非眼所行。声等亦爾。又一切法異有性者。応如兎角其体本無。乃至広破。Kkaito01-22R
  (〈『広百論』〉「勝論外道の説かく。有等の性と諸法と一にあらずと。非有の句に当る、これまた真にあらず。所以は何となれば。もし青等の色と色の性と異なり、応に声等の如く眼の所行にあらざるべし。声等も爾り。また一切の法は有の性に異ならば、応に兎角の如くその体本無なるべし」。乃至広く破す。Kkaito01-22R

 無慚外道執。有等性与彼諸法亦一亦異。当於亦有亦非有句。此亦非真。所以者何。若有性等与色等一。同数論過。与色等異。同勝論失。一異二種性相相違。而言体同。理不成立。一応非一。以即異故如異。異応非異。以即一故如一。乃至広破。Kkaito01-22R,22L
  (〈『広百論』〉「無慚外道の執すらく。有等の性と彼の諸法と亦は一、亦は異なりと。亦有亦非有の句に当る。これまた真にあらず。所以は何となれば、もし有性等と色等と一ならば、数論の過に同じく、色等と異ならば、勝論の失に同じ。一異の二種は性相相違す。而も体同といわば、理は成立せず。一も応に一にあらざるべし。異に即するを以ての故に異の如し。異も応に異にあらざれば一に即するを以ての故に一の如し」。乃至広く破す。)Kkaito01-22R,22L

 邪命外道執。有性等与彼諸法非一非異。当於非有非非有句。此亦非真。所以者何。汝此所説非一異者。為倶是遮。為偏有表。若偏有表。応不双非。若倶是遮応無所執。有遮有表。理互相違。無遮無表。言成戯論。乃至広破。如是世間起四種謗。謂有非有。双許双非。如次増益損減。相違戯論。是故世間所執非実。Kkaito01-22L
  (〈『広百論』〉「邪命外道の執すらく。有性等と彼の諸法と一にあらず、異にあらずと。非有非非有の句に当る。これまた真にあらず。所以は何となれば。汝がこの所説は一異にあらずとは、倶にこれ遮すとやせん、偏に表ありとやせん。もし偏に表あらば、応に双非にあらざるべし。もし倶にこれ遮せば、応に所執なかるべし。遮あると表あると、理互に相違す。遮なく表なくば、言は戯論を成ず」。乃至広く破す。〈『広百論』〉「かくの如く世間は四種の謗を起こす。謂く、有と非有と双許と双非となり。次の如く増益と損減、相違と戯論となり。この故に世間の所執は実にあらず」。)Kkaito01-22L

 今此文中。非有相是遣初句。非無相者遣第二句。非非有相非非無相者遣第四句。非有無倶者遣第三句。二句前後随論者。意皆有道理。不相傷也。一異四句。準釈可知。乃至以下。第三総結。於中二句。従此以下。乃至曰為空。是順結也。若離以下。是反結也。Kkaito01-22L,23R
  (今この文の中の「非有相」はこれ初の句を遣る。「非無相」とは第二の句を遣る。「非非有相、非非無相」とは第四の句を遣る。「非有無倶」とは第三句を遣る。二句前後随いて論ずることは意、皆、道理ありて相傷せず。一異の四句は準釈して知るべし。「乃至」以下は第三に総結なり。中に於いて二句、これより以下、乃し「為空」というに至るはこれ順結なり。「若離」以下はこれ反結なり。)Kkaito01-22L,23R

【論】所言不空者。已顕法体空無妄故。即是真心常恒不変浄法満足。則名不空。亦無有相可取。以離念境界唯証相応故。
【論】 (言う所の不空とは、已に法体は空にして妄なきことを顕すが故に。即ちこれ真心常なり恒なり不変なり浄法満足す。則ち不空と名づく。また相の取るべきものあることなし。離念の境界は、ただ証と相応するを以ての故に。)

 釈不空中。亦有三句。初牒空門。謂言已顕法体空無妄故。次顕不空。即是真心乃至則名不空故。亦無有相以下。第三明空不空無二差別。雖曰不空。而無有相。是故不空不異於空。以離分別所縁境界。唯無分別所証相応故也。Kkaito01-23R
  (「不空」を釈する中に、また三句あり。初には空門を牒す。謂く「已顕法体空無妄〈已に法体は空にして妄なきことを顕す〉」というが故に。次に「不空」を顕す。「即是真心〈即これ真心〉」より、乃し「則名不空〈則ち不空と名づく〉」に至るが故に。「亦無有相」以下は、第三に空、不空、二の差別なきことを明かす。不空というといえども相あることなし。この故に不空は空に異ならず。分別所縁の境界を離れて、唯し無分別の所証と相応するを以ての故なり。)Kkaito01-23R

【論】心生滅者。依如来蔵故有生滅心。
【論】 (心生滅とは、如来蔵に依るが故に生滅の心あり。)

 此下第二釈生滅門。於中有二。初正広釈。復次有四種熏習以下。因言重顕。Kkaito01-23R
  (これより下は第二に生滅門を釈す。中に於いて二あり。初には正しく広く釈す。「復次有四種熏習〈また次に四種の熏習あり〉」以下は言に因りて重ねて顕す。)Kkaito01-23R

 初中有三。一者釈上立義分中是心生滅。二者復次生滅因縁以下。釈上生滅因縁。三者復次生滅相以下。釈上生滅相。Kkaito01-23R,23L
  (初の中に三あり。一には上の立義分の中の「是心生滅」を釈し、二には「復次生滅因縁」以下は上の「生滅因縁」を釈し、三には「復次生滅相」以下は上の「生滅相」を釈す。)Kkaito01-23R,23L

 初中有二。一者就体総明。二者依義別解。初中三句。一者標体。二者弁相。三者立名。Kkaito01-23L
  (初の中に二あり。一には体に就きて総じて明かし、二者には義に依りて別して解す。初の中に三句あり。一には体を標し、二には相を弁じ、三には名を立つ。)Kkaito01-23L

 初中言依如来蔵故有生滅心者。自性清浄心。名為如来蔵。因無明風動作生滅故。説生滅依如来蔵。如四巻経言。如来蔵為無始悪習所熏。名為識蔵。又言刹那者名為識蔵故。Kkaito01-23L
  (初の中に「依如来蔵故有生滅心〈如来蔵に依るが故に生滅の心あり〉」というは、自性清浄心を名づけて如来蔵とす。無明の風に因りて動じて生滅と作るが故に生滅は如来蔵に依ると説く。『四巻経〈楞伽阿跋多羅宝経〉』に言うが如し「如来蔵は無始の悪習のために熏ぜらるるを名づけて識蔵とす」と。また言く〈『楞伽阿跋多羅宝経』〉「刹那とは名づけて識蔵とするが故に」と。)Kkaito01-23L

【論】所謂不生不滅与生滅和合非一非異。名為阿梨耶識。
【論】 (謂う所の不生不滅と生滅と和合して一にあらず、異にあらず。名づけて阿梨耶識となす。)

 所謂以下。第二弁相。不生不滅者。是上如来蔵。不生滅心動作生滅。不相捨離。名与和合。如下文言。如大海水因風波動。水相風相不相捨離。乃至広説。此中水之動是風相。動之湿是水相。水挙体動故。水不離風相。無動非湿故動不離水相。心亦如是。不生滅心挙体動故。心不離生滅相。生滅之相莫非神解故。生滅不離心相。如是不相離故名与和合。此是不生滅心与生滅和合。非謂生滅与不生滅和合也。Kkaito01-23L,34R
  (「所謂」以下は第二に相を弁ず。「不生不滅」とは、これ上の「如来蔵」の不生滅の心の、動じて生滅と作りて、相い捨離せざるを「与和合〈ともに和合す〉」と名づく。下の文に言うが如し「如大海水因風波動。水相風相不相捨離〈大海の水の如きは風に因りて波動して、水相と風相と相い捨離せず〉」乃至広説す。この中に水の動ずればこれ風相、動の湿はこれ水相。水は挙体動ずるが故に、水は風相を離れず。動は湿にあらざることなきが故に、動は水相を離れず。心もまたかくの如く、不生滅の心は挙体動ずるが故に心は生滅の相を離れず。生滅の相は神解にあらざることなきが故に、生滅は心相を離れず。かくの如く相い離れざるが故に「与和合」と名づく。これはこれ不生滅の心と生滅と和合す。生滅と不生滅と和合すというにはあらざるなり。)Kkaito01-23L,34R

 非一非異者。不生滅心挙体而動故。心与生滅非異。而恒不失不生滅性故。生滅与心非一。又若是一者。生滅識相滅尽之時。心神之体亦応随滅。堕於断辺。若是異者。依無明風熏動之時。静心之体不応随縁。即堕常辺。離此二辺故非一非異。Kkaito01-24R
  (「非一非異」とは、不生滅の心は体を挙げて動ずるが故に、心と生滅とは異にあらず。而も恒に不生滅の性を失せざるが故に、生滅と心とは一にあらず。またもしこれ一ならば、生滅の識相の滅尽する時、心神の体もまた応に随いて滅して断辺に堕すべし。もしこれ異ならば、無明の風に依りて熏動する時、静心の体は応に随縁すべからず、即ち常辺に堕す。この二辺を離るるが故に「非一非異〈一にあらず、異にあらず〉」。)Kkaito01-24R

 如四巻経云。譬如泥団微塵。非異非不異。金荘厳具亦如是。若泥団微塵異者。非彼所成。而実彼成。是故非異。若不異者。泥団微塵応無差別。如是転識蔵識真相若異者。蔵識非因。若不異者。転識滅蔵識亦応滅。而自真相実不滅。是故非自真相識滅。但業相滅。今此論主正釈彼文故。言非一非異。Kkaito01-24R,24L
  (『四巻経〈楞伽阿跋多羅宝経〉』に云うが如し「譬えば泥団・微塵の異にあらず、不異にあらざるが如く、金荘厳の具もまたかくの如し。もし泥団・微塵異ならば彼の所成にあらじ。而るに実に彼成ず。この故に異にあらず。もし不異ならば、泥団・微塵は応に差別なかるべし。かくの如く転識・蔵識、真相もし異ならば、蔵識は因にあらじ。もし不異ならば、転識滅するとき蔵識もまた応に滅すべし。而も自の真相は実に滅せず。この故に自の真相識滅するにあらず。ただ業相のみ滅す」と。今この論主は正しく彼の文を釈するが故に「非一非異」という。)Kkaito01-24R,24L

 此中業識者。因無明力不覚心動故名業識。又依動心転成能見故名転識。此二皆在梨耶識位。如十巻経言。如来蔵即阿梨耶識。共七識生。名転滅相。故知転相在梨耶識。自真相者。十巻経云中真名自相本覚之心。不藉妄縁。性自神解名自真相。是約不一義門説也。又随無明風作生滅時。神解之性与本不異故。亦得名為自真相。是依不異義門説也。於中委悉。如別記説也。Kkaito01-24L,25R
  (この中に「業識」とは、無明の力に因りて不覚の心動ずるが故に「業識」と名づく。また動心転じて能見と成るに依るが故に「転識」と名づく。この二は皆、梨耶識の位に在り。『十巻経〈入楞伽経〉』に言うが如し「如来蔵は即ち阿梨耶識なり。七識と共に生ずるを転滅相と名づく」と。故に知んぬ転相は梨耶識に在り。「自の真相」とは『十巻経』に云く「中真を自相本覚の心と名づく」と。妄縁を藉らずして性自ずから神解なるを自の真相と名づく。これ不一の義門に約して説くなり。また無明の風に随りて生滅と作る時、神解の性は本と異ならざるが故にまた名づけて自の真相とすることを得。これ不異の義門に依りて説くなり。中に於いて委悉は『別記』に説くが如きなり。)Kkaito01-24L,25R

 第三立名。名為阿梨耶識者。不生滅与生滅和合。非一非異。故総名為阿梨耶識。翻名釈義是如楞伽宗要中説。就体総明竟。在於前。Kkaito01-25R
  (第三に名を立つ。「名為阿梨耶識〈名づけて阿梨耶識とす〉」とは「不生滅与生滅和合。非一非異〈不生不滅と生滅と和合して、一にあらず、異にあらず〉」。故に総じて名づけて阿梨耶識とす。翻名釈義はこれ『楞伽宗要』の中に説くが如し。体に就きて総じて明かし竟わりぬ。前に在り。)Kkaito01-25R

【論】此識有二種義。能摂一切法。生一切法。云何為二。一者覚義。二者不覚義。
【論】 (この識に二種の義あり。よく一切の法を摂し、一切の法を生ず。云何が二となす。一には覚の義。二には不覚の義。)

 此下第二依義別解。此中有三。一開義総標。略明功能。二依義別釈。広顕体相。三明同異。Kkaito01-25R
  (この下は第二に義に依りて別解す。この中に三あり。一には義を開きて総標して、略して功能を明かし、二には義に依りて別釈して広く体相を顕かし、三には同異を明かす。)Kkaito01-25R

 初中言此識有二種義能摂一切法生一切法者。能摂之義如前広説。然上説二門各摂一切。今此明一識含有二義故。此一識能摂一切。不言二義各摂一切。以此二義唯在生滅門内説故。如是二義不能各摂一切法故。又上二門但説摂義。以真如門無能生義故。今於此識亦説生義。生滅門中有能生義故。Kkaito01-25R,25L
  (初の中に「此識有二種義能摂一切法生一切法〈この識に二種の義あり。能く一切法を摂し、一切法を生ず〉」とは、能摂の義は前に広く説くが如し。然るに上には二門におのおの一切を摂することを説き、今ここには一識に含じて二義あることを明かすが故に、この一識は能く一切を摂して、二義おのおの一切を摂すとはいわず。この二義は唯し生滅門の内に在りて説くを以ての故に、かくの如きの二義はおのおの一切法を摂すること能わざるが故に。また上の二門はただ摂の義を説く。真如門には能生の義なきを以ての故に。今この識に於いては、また生の義を説く。生滅門の中に能生の義あるが故に。)Kkaito01-25R,25L

 此義云何。由不覚義熏本覚故生諸染法。又由本覚熏不覚故生諸浄法。依此二義通生一切故。言識有二義生一切法。Kkaito01-25L
  (この義、云何。不覚義は本覚を熏ずるに由るが故に諸の染法を生じ、また本覚は不覚を熏ずるに由るが故に諸の浄法を生ず。この二義は通じて一切を生ずるに依るが故に、識に二義ありて一切の法を生ずという。)Kkaito01-25L

 此文即起下有四種熏習以下文也。当知一心義寛。総摂二門。此識義狹。在生滅門。此識二義既在一門故。知門寛而義狹也。引経釈義如別記也。Kkaito01-25L
  (この文は即ち下の「有四種熏習〈四種の熏習あり〉」以下の文を起こすなり。当に知るべし、一心の義は寛し。総じて二門を摂す。この識の義は狹まし。生滅門に在り。この識の二義は既に一門に在るが故に、知りぬ、門は寛くして義は狹きことを。経を引きて義を釈することは『別記』の如し。)Kkaito01-25L

【論】云何為二。一者覚義。二者不覚義。
【論】 (云何が二となす。一には覚の義。二には不覚の義。)

 第二広中有三。初言云何為二者。問数発起。次言覚義不覚義者。依数列名。所言以下。第三別解。先釈覚義。後解不覚。Kkaito01-25L
  (第二に、広の中に三あり。初に「云何為二〈云何が二となす〉」というは、数を問いて発起す。次に「覚義」「不覚義」というは、数に依りて名を列ぬ。「所言」以下は、第三に別して解す。先ず覚義を釈し、後に不覚を解す。)Kkaito01-25L

【論】所言覚義者。謂心体離念。離念相者等虚空界無所不遍。法界一相即是如来平等法身。依此法身説名本覚。何以故。本覚義者対始覚義説。以始覚者即同本覚。
【論】 (言う所の覚の義とは、謂く、心体は念を離る。離念の相は虚空界に等しく遍ぜざる所なく、法界一相、即ちこれ如来の平等法身。この法身に依りて説きて本覚と名づく。何を以ての故に。本覚の義は始覚の義に対して説く。始覚は即ち本覚に同ずるを以てなり。)

 覚中有二。先略。後広。略中亦二。先本。後始。明本覚中。亦有二句。先明本覚体。後釈本覚義。Kkaito01-25L,26L
  (覚の中に二あり。先は略、後は広。略の中にまた二。先は本、後は始。本覚を明かす中に、また二句あり。先ず本覚の体を明かし、後に本覚の義を釈かす。)Kkaito01-25L,26L

 初中言心体離念者。謂離妄念。顕無不覚也。等虚空界者非唯無闇。有慧光明遍照法界平等無二。如下文云。有大智慧光明義故。遍照法界義故。何以故下。第二釈義。是対始覚釈本覚義。明本覚竟。Kkaito01-26R
  (初の中に「心体離念〈心体は念を離る〉というは、謂く妄念を離るるなり。不覚なきことを顕すなり。「等虚空界〈虚空界に等し〉」とは、唯、闇なきのみにあらず、慧光明ありて遍く法界を照して平等無二なり。下の文に如うが如し。「有大智慧光明義故。遍照法界義故〈大智慧光明の義有るが故に。遍く法界を照す義の故に〉」と。「何以故」の下は、第二に義を釈す。これ始覚に対して本覚の義を釈す。本覚を明かし竟りぬ。)Kkaito01-26R

【論】始覚義者。依本覚故而有不覚。依不覚故説有始覚。
【論】 (始覚の義とは、本覚に依るが故に不覚あり。不覚に依るが故に始覚ありと説く。)

 次釈始覚。於中在二。先顕亦対本覚不覚起義。後対不覚釈始覚義。Kkaito01-26R
  (次に始覚を釈す。中に於いて二あり。先ずまた本覚に対して不覚の起する義を顕し、後に不覚に対して始覚の義を釈す。)Kkaito01-26R

 此中大意。欲明始覚待於不覚。不覚待於本覚。本覚待於始覚。既互相待。則無自性。無自性者。則非有覚。非有覚者。由互相待。相待而成。則非無覚。非無覚故。説名為覚。非有自性名為覚也。略明二覚竟在於前。Kkaito01-26R
  (この中の大意は、始覚を明かさんと欲して不覚に待す。不覚は本覚に待し、本覚は始覚に待す。既に互相に待するときは、則ち自性なし。自性なければ、則ち覚あるにあらず。覚あるにあらざるときは、互に相待するに由る。相待して成ずるときは則ち覚なきにあらず。覚なきにあらざるが故に、説きて名づけて覚となす。自性あるにあらざるを名づけて覚となすなり。略して二覚を明かし竟わりぬ、前に在り。)Kkaito01-26R

【論】又以覚心源故名究竟覚。不覚心源故非究竟覚。
【論】 (また心源を覚するを以ての故に究竟覚と名づく。心源を覚さざるが故に究竟覚にあらず。)

 此下第二広釈二覚。於中先釈始覚。後広本覚。初中有三。一者総標満不満義。二者別解始覚差別。三者総明不異本覚。Kkaito01-26R,26L
  (これより下は第二に広く二覚を釈す。中に於いて先ず始覚を釈し、後に本覚を広す。初の中に三あり。一には総じて満不満の義を標し、二には別して始覚の差別を解し、三には総じて本覚に異ならざることを明かす。)Kkaito01-26R,26L

 総標中言覚心源故名究竟覚者。在於仏地。不覚心源故非究竟覚者。金剛已還也。Kkaito01-26L
  (総標の中に「覚心源故名究竟覚〈心源を覚するが故に究竟覚と名づく〉」というは、仏地に在り。「不覚心源故非究竟覚〈心源を覚さざるが故に究竟覚にあらず〉」とは金剛已還なり。)Kkaito01-26L

 次別解中。約四相説。此中先明四相。然後消文。Kkaito01-26L
  (次に別解の中に、四相に約して説く。この中には先ず四相を明かし、然して後に文を消す。)Kkaito01-26L

 問。此中四相。為当同時。為是前後。此何所疑。若同時那論説四相覚時差別。若前後那下言四相倶時而有。或有説者。此依薩婆多宗四相。四体同時。四用前後。用前後故。覚時差別。体同時故。名倶時而有。或有説者。是依成実前後四相而言。倶時而有者。以本覚望四相。則無四相前後差別故。言倶時而有。皆無自立。或有説者。此是大乗秘密四相。覚四相時。前後浅深。所覚四相。倶時而有。是義云何。Kkaito01-26L,27R
  (問う。この中の四相は、当に同時とやせん、これ前後とやせん。これ何の疑う所ぞ。もし同時ならば那〈なん〉ぞ論に四相覚する時は差別なりと説くや。もし前後ならば那〈なん〉ぞ下に「四相倶時而有〈四相倶時にしてしかも有なり〉」というや。或は説者あり。これは薩婆多宗の四相に依る。四体は同時にして四用は前後あり。用は前後なるが故に、覚する時は差別なり。体は同時なるが故に「倶時而有〈倶時にしてしかも有なり〉」と名づく。或いは説者あり。これは成実の前後の四相に依りていう。「倶時而有〈倶時にしてしかも有なり〉」とは、本覚を以て四相に望むときは、則ち四相の前後差別なきが故に「倶時而有。皆無自立〈倶時にしてしかも有なり。皆、自立なし〉」という。或いは説者あり。これはこれ大乗秘密の四相なり。四相を覚する時は前後浅深あり。所覚の四相は「倶時而有〈倶時にしてしかも有なり〉」。この義云何。)Kkaito01-26L,27R

 夫心性本来離生滅相。而有無明迷自心性。由違心性離於寂静故。能生起動念四相。四相無明和合力故。能令心体生住異滅。如似小乗論議之中。心在未来未径生滅。而由業力引於四相。能令心法生住異滅。大乗四相当知亦爾。如経言。即此法身。為諸煩悩之所漂動。往来生死。名為衆生。此論下文云自性清浄心因無明風動。正謂此也。Kkaito01-27R
  (それ心性は本より来た生滅の相を離れたり。而も無明ありて自心の性に迷う。心性に違するに由りて寂静を離るるが故に能く動念を生起して四相あり。四相は無明の和合力の故に、能く心体をして生住異滅ならしむ。小乗の論議の中に、心は未来に在りて未だ生滅を径ず、而も業力に由りて四相を引きて、能く心法をして生住異滅ならしむという如似し。大乗の四相も当に知るべし、また爾り。『経〈不増不減経〉』にいうが如き「即ちこの法身は諸の煩悩のために漂動せられて、生死に往来するを名づけて衆生となす」と。この論の下の文に「自性清浄心因無明風動〈自性清浄の心は無明の風に因りて動ず〉」という。正しくこれをいうなり。)Kkaito01-27R

 総説雖然。於中分別者。四相之内各有差別。謂生三。住四。異六。滅七。Kkaito01-27R
  (総じて説くこと然なりといえども、中に於いて分別せば、四相の内におのおの差別あり。謂く、生に三、住に四、異に六、滅に七あり。)Kkaito01-27R

 生相三者。一名業相。謂由無明不覚念動。雖有起滅。見相未分。猶如未来生相将至正用之時。二者転相。謂依動念転成能見。如未来生至正用時。三者現相。謂依能見現於境相。如未来生至現在時。無明与此三相和合。動一心体随転至現。猶如小乗未来蔵心。随其生相転至現在。今大乗中如来蔵心随生至現。義亦如是。此三皆是阿梨耶識位所有差別。於中委悉下文当説。是名甚深三種生相。Kkaito01-27R,27L
  (生相の三とは、一には業相と名づく。謂く、無明不覚に由りて念動して起滅ありといえども、見相未だ分かれず。猶し未来の生相は将に正用の時に至らんとするが如し。二には転相。謂く、動念に依りて転じて能見と成る。未来の生の正用の時に至るが如し。三には現相。謂く能見に依りて境相を現ず。未来の生の現在の時に至るが如し。無明とこの三相と和合して、一心の体を動じて随いて転じて現に至る。猶し小乗の未来蔵の心は、その生相に随いて転じて現在に至るが如し。今、大乗の中の如来蔵の心は生に随いて現に至る。義またかくの如し。この三は皆これ阿梨耶識の位の所有の差別なり。中に於いて委悉す。下の文に当に説くべし。これを甚深の三種の生相と名づく。)Kkaito01-27R,27L

 住相四者。由此無明与生和合。迷所生心無我我所故。能生起四種住相。所謂我痴我見我愛我慢。如是四種依生相起能相。心体令至住位。内縁而住故名住相。此四皆在第七識位。Kkaito01-27L,28R
  (住相の四とは、この無明と生と和合するに由りて、所生の心は我我所なきに迷うが故に、能く四種の住相を生起す。所謂、我痴・我見・我愛・我慢なり。かくの如きの四種は生相に依りて能く相を起こして、心体をして住位に至せしむ。〈かくの如きの四種は生相に依りて起こる。能く心体を相して住位に至らしむ。〉内に縁じて住するが故に住相と名づく。この四は皆、第七識の位に在り。)Kkaito01-27L,28R

 異相六者。無明与彼住相和合。不覚所計我我所空。由是能起六種異相。所謂貪瞋痴慢疑見。如新論云。煩悩自性唯有六種。此之謂也。無明与此六種和合。能相住心令至異位。外向攀縁故名異相。此六在於生起識位。Kkaito01-28R
  (異相の六とは、無明と彼の住相と和合して、所計の我我所は空なりと覚せず。これに由りて能く六種の異相を起こす。所謂、貪瞋痴慢疑見なり。『新論〈瑜伽師地論か?〉』に云うが如き「煩悩の自性に唯六種あり」。この謂なり。無明とこの六種と和合して、能く住心を相じて異位に至らしむ。外、攀縁に向うが故に異相と名づく。この六は生起識の位に在り。)Kkaito01-28R

 滅相七者。無明与此異相和合。不覚外塵違順性離。由此発起七種滅相。所謂身口七支悪業。如是悪業。能滅異心令堕悪趣故名滅相。猶如小乗滅相。滅現在心令入過去。大乗滅相当知亦爾。Kkaito01-28R
  (滅相の七とは、無明とこの異相と和合して、外塵の違順の性離を覚せずして、これに由りて七種の滅相を発起す。所謂、身口七支の悪業なり。かくの如きの悪業は、能く異心を滅して悪趣に堕せしむるが故に滅相と名づく。猶し小乗の滅相は現在の心を滅して過去に入れしむるが如し。大乗の滅相も当に知しるべし、また爾り。)Kkaito01-28R

 由是義故。四相生起。一心流転。一切皆因根本無明。如経言無明住地其力最大。此論云当知無明力能生一切染法也。又所相之心。一心而来。能相之相。無明所起。所起之相。随其所至。其用有差別。取塵別相。名為数法。良由其根本無明違平等性故也。其所相心随所至処。毎作総主。了塵通相。説名心王。由其本一心是諸法之総源故也。Kkaito01-28R,28L
  (この義に由るが故に四相の生起、一心の流転、一切皆、根本無明に因る。『経〈勝鬘経〉』に言うが如き「無明住地、その力最大なり」と。この論に云く「当に知るべし。無明の力は能く一切の染法を生ず」と。また所相の心は一心にして来る。能相の相は無明の所起なり。所起の相はその所至に随いて、その用に差別ありて塵の別相を取るを名づけて数法となす。良にその根本無明は平等の性に違するに由るが故なり。その所相の心は所至の処に随いて毎に総主と作りて、塵の通相を了するを、説きて心王と名づく。その本の一心はこれ諸法の総源なるに由るが故なり。)Kkaito01-28R,28L

 如中辺論云。唯塵智名心。差別名心法。長行釈云。若了塵通相名心。取塵別相名為心法。瑜伽論中亦同是説。以是義故。諸外道等多於心王計為宰主。作者受者。由不能知其無自性随縁流転故也。Kkaito01-28L
  (『中辺論〈中辺分別論〉』に云うが如し「唯、塵智を心と名づけ、差別を心法と名づく」と。長行〈『中辺分別論』〉に釈して云く「もし塵の通相を了するを心と名づけ、塵の別相を取るを名づけて心法となす」。『瑜伽論』の中もまたこの説に同じ。この義を以ての故に諸の外道等は多く心王に於いて計して宰主となす。作者・受者は、その自性なくして縁に随いて流転することを知ること能わざるに由るが故なり。)Kkaito01-28L

 総此四相名為一念。約此一念四相。以明四位階降。欲明本依無明不覚之力。起生相等種種夢念。動其心源。転至滅相。長眠三界。流転六趣。今因本覚不思議熏。起厭楽心。漸向本源。始息滅相乃至生相。朗然大悟。覚了自心本無所動。今無所静。本来平等。住一如床。如経所説夢度河喩。此中応広説。大意如是。Kkaito01-28L,29R
  (この四相を総べて名づけて一念となす。この一念の四相に約して以て四位の階降を明かす。本〈もと〉無明不覚の力に依りて生相等の種種の夢念を起こし、その心源を動じて、転じて滅相に至り、三界に長眠し、六趣に流転するも、今、本覚の不思議熏に因りて厭楽の心を起こし、漸く本源に向かいて、始めて滅相乃至生相を息めて、朗然として大悟して、自心は本より所動なく、今、所静なくして、本来平等にして、一如の床に住せりと覚了することを明かさんと欲す。経に説く所の、夢に河を度る喩の如き、この中に応に広く説くべし。大意かくの如し。)Kkaito01-28L,29R

【論】此義云何。如凡夫人覚知前念起悪故。能止後念令其不起。雖復名覚即是不覚故。
【論】 (この義云何。凡夫の人の如き、前念の起悪を覚知するが故に、能く後念を止めて、それをして起こさざらしむ。また覚と名づくといえども即ちこれ不覚なるが故に。)

 次消其文。約於四相以別四位。四位之中各有四義。一能覚人。二所覚相。三覚利益。四覚分斉。Kkaito01-29R
  (次にその文を消せば、四相に約して以て四位を別つ。四位の中におのおの四義あり。一には能覚の人、二には所覚の相、三には覚の利益、四には覚の分斉なり。)Kkaito01-29R

 初位中言如凡夫人者。是能覚人。位在十信也。覚知前念起悪者。顕所覚相。未入十信之前。具起七支悪業。今入信位。能知七支実為不善故。言覚知前念起悪。此明覚於滅相義也。能止後念令不起者。是覚利益。前由不覚。起七支悪念。今既覚故。能止滅相也。言雖復名覚即是不覚者。明覚分斉。雖知滅相実是不善。而猶未覚滅相是夢也。Kkaito01-29R,29L
  (初の位の中に「如凡夫人〈凡夫の人の如き〉」というは、これ能覚の人。位は十信に在り。「覚知前念起悪〈前念の起悪を覚知す〉」とは、所覚の相を顕す。未だ十信に入らざるの前に、具に七支の悪業を起こす。今、信位に入りて、能く七支は実に不善をなすと知るが故に「覚知前念起悪〈前念の起悪を覚知す〉」という。これは滅相と覚する義を明かす。「能止後念令不起〈能く後念を止めて、起こさざらしむ〉」とは、これは覚の利益なり。前には不覚に由りて七支の悪念を起こす。今は既に覚する故に、能く滅相を止むるなり。「雖復名覚即是不覚〈また覚と名づくといえども即ちこれ不覚〉」とは、覚の分斉を明かす。滅相は実にこれ不善なりとを知るといえども、而も猶し未だ滅相はこれ夢なりと覚さざるなり。)Kkaito01-29R,29L

【論】如二乗観智初発意菩薩等。覚於念異念無異相。以捨麁分別執著相故名相似覚。
【論】 (二乗の観智、初発意の菩薩等の如きは、念異を覚して、念に異相なし。麁分別の執著の相を捨するを以ての故に相似覚と名づく。)

 第二位中。言如二乗観智初発意菩薩等者。十解以上三賢菩薩。十解初心。名発心住。挙此初人。兼取後位故。言初発意菩薩等。是明能覚人也。覚於念異者。明所覚相。如前所説六種異相。分別内外計我我所。此三乗人了知無我。以之故言覚於念異。欲明所相心体無明所眠。夢於異相。起諸煩悩。而今与智慧相応。従異相夢而得微覚也。念無異相者。是覚利益。既能覚於異相之夢故。彼六種異相永滅。以之故言念無異相也。捨麁分別執著相故。名相似覚者。是覚分斉。分別違順起貪瞋等。是名麁分別執著相。雖捨如是麁執著想。而猶未得無分別覚故。名相似覚也。Kkaito01-29L,30R
  (第二位の中に「如二乗観智初発意菩薩等〈二乗の観智、初発意の菩薩等の如き〉」というは、十解以上の三賢の菩薩なり。十解の初心を発心住と名づく。この初人を挙げて兼て後位を取るが故に「初発意菩薩等」という。これは能覚の人を明かす。「覚於念異〈念異を覚して〉」というは、所覚の相を明かす。前の所説の如く、六種の異相は内外を分別して我我所を計す。この三乗の人は無我を了知す。これを以ての故に「覚於念異〈念異を覚して〉」という。所相の心体は無明に眠らされて、異相を夢みて諸の煩悩を起こす。而るに今、智慧と相応して異相の夢に従りて微覚を得ることを明かさんと欲するなり。「念無異相〈念に異相なし〉」とは、これ覚の利益なり。既に能く異相の夢を覚するが故に、彼の六種の異相は永く滅す。これを以ての故に「念無異相〈念に異相なし〉」というなり。「捨麁分別執著相故名相似覚〈麁分別の執著の相を捨するが故に相似覚と名づく〉とは、これ覚の分斉なり。違順を分別して貪瞋等を起こす。これを「麁分別執著相」と名づく。かくの如く麁執著想を捨つといえども、而も猶お未だ無分別の覚を得ざるが故に、相似覚と名づくるなり。)Kkaito01-29L,30R

【論】如法身菩薩等。覚於念住念無住相。以離分別麁念相故名随分覚。
【論】 (法身の菩薩等の如きは、念住を覚して、念に住相なし。分別麁念の相を離るるを以ての故に随分覚と名づく。)

 第三位中法身菩薩等者。初地以上十地菩薩。是能覚人也。覚於念住者。住相之中。雖不能計心外有塵。而執人法内縁而住。法身菩薩通達二空。欲明所相心体前覚異相。而猶眠於住相之夢。今与無分別智相応。従住相夢而得覚悟故。言覚於念住。是所覚相也。念無住相者。四種住相滅而不起。是覚利益也。以離分別麁念相者。人我執名分別。簡前異相之麁分別故不名麁法。我執名為麁念。異後生相之微細念故名麁念。雖復已得無分別覚。而猶眠於生相之夢故。名随分覚。是覚分斉也。Kkaito01-30R,30L
  (第三位の中に「法身菩薩等」とは、初地以上の十地の菩薩なり。これは能覚の人なり。「覚於念住〈念住を覚し〉」とは、住相の中に心外に塵ありと計すること能わずといえども、而も人法を執して、内に縁じて而も住す。法身の菩薩は二空に通達す。所相の心体は前に異相を覚すれども、而れども猶し住相の夢に眠る。今、無分別智と相応すれば、住相の夢に従いて覚悟することを得ることを明かさんと欲するが故に「覚於念住〈念住を覚し〉」という。これ所覚の相なり。「念無住相〈念に住相なし〉」とは、四種の住相は滅して起せず。これは覚の利益なり。「以離分別麁念相〈分別麁念の相を離るるを以て〉」とは、人我執を分別と名づく。前の異相の麁分別に簡ぶが故に麁法と名づけず。我執を名づけて麁念となす。後の生相の微細の念に異するが故に麁念と名づく。また已に無分別の覚を得といえども、而れども猶し生相の夢を眠るが故に「随分覚」と名づく。これは覚の分斉なり。)Kkaito01-30R,30L

【論】如菩薩地尽。満足方便一念相応覚心初起。心無初相。以遠離微細念故。得見心性心即常住。名究竟覚。
【論】 (菩薩地尽の如きは、方便を満足して一念相応し心の初起を覚して、心に初相なし。微細の念を遠離するを以ての故に、心性を見ることを得て、心は即ち常住なるを究竟覚と名づく。)

 第四位中如菩薩尽地者。謂無垢地。此是総挙。下之二句。別明二道。満足方便者。是方便道。一念相応者。是無間道。如対法論云。究竟道者。謂金剛喩定。此有二種。謂方便道摂。無間道摂。是明能覚人也。覚心初起者。是明所覚相。心初起者。依無明有生相。相心体令動念。今乃証知離本覚無不覚。即動念是静心。故言覚心初起。如迷方時謂東為西。悟時乃知西即是東。当知此中覚義亦爾也。心無初相者。是明覚利益。本由不覚。有心元起。今既覚故。心無所起。故言心無初相。前三位中雖有所離。而其動念猶起未尽。故言念無住相等。今究竟位。動念都尽。唯一心在故。言心無初相也。Kkaito01-30L,31R
  (第四位の中に「如菩薩尽地」とは、謂く無垢地なり。これはこれ総じて挙ぐ。下の二句は別して二道を明かす。「満足方便」とは、これ方便道なり。「一念相応」とはこれ無間道なり。『対法論』に云うが如し「究竟道とは、謂く金剛喩定」と。これに二種あり。謂く、方便道の摂、無間道の摂なり。これは能覚の人を明かすなり。「覚心初起〈心の初起を覚し〉」とは、これ所覚の相を明かす。「心初起」とは、無明に依りて生相あり。心体を相して念を動ぜしむ。今乃し本覚を離れて不覚なく、動念に即してこれ静心なることを証知す。故に「覚心初起〈心の初起を覚し〉」という。方に迷う時、東を謂いて西となし、悟る時、乃し西即ちこれ東と知るが如し。当に知るべし、この中の覚の義もまた爾なり。「心無初相〈心に初相なし〉」とは、これ覚の利益を明かす。本〈もと〉不覚に由りて心の元起あり。今既に覚するが故に心に所起なし。故に「心無初相」という。前の三位の中には所離ありといえども、而もその動念は猶し起して未だ尽きず。故に「念無住相〈念に住相なし〉」等という。今、究竟の位には動念都て尽きて、唯一心のみ在るが故に「心無初相〈心に初相なし〉」というなり。)Kkaito01-30L,31R

 遠離以下。明覚分斉。於中二句。初正明覚分斉。是故以下。引経証成。業相動念念中最細。名微細念。此相都尽永無所余故言遠離。遠離之時正在仏地。前来三位未至心源。生相未尽。心猶無常。今至此位無明永尽。帰一心源更無起動故。言得見心性心即常住。更無所進。名究竟覚。又復未至心源。夢念未尽。欲滅此動望到彼岸。而今既見心性。夢想都尽。覚知自心本無流転。今無静息。常自一心住一如床。故言得見心性心即常住。如是始覚不異本覚。由是道理名究竟覚。此是正明覚分斉也。Kkaito01-31R,31L
  (「遠離」以下は覚の分斉を明かす。中に於いて二句あり。初に正しく覚の分斉を明かし、「是故」以下は、経を引きて証成す。業相の動念は念の中の最細なれば、微細の念と名づく。この相都て尽きて永く所余なきが故に「遠離」という。遠離の時は正しく仏地に在り。前来の三位は未だ心源に至らず、生相未だ尽きず、心猶し無常なり。今、この位に至りて、無明永く尽きて、一心の源に帰して更に起動なきが故に「得見心性心即常住〈心性を見ることを得て、心は即ち常住〉」という。更に所進なければ究竟覚と名づく。また未だ心源に至らざれば、夢念は未だ尽きず。この動を滅せんと欲して、彼岸に到らんことを望む。而るに今は既に心性を見れば、夢想都て尽きて、自心は本より流転なく、今、静息なし。常に自ずから一心にして、一如の床に住すと覚知するが故に、「得見心性心即常住〈心性を見ることを得て、心は即ち常住〉」という。かくの如きの始覚は本覚に異ならず。この道理に由りて究竟覚と名づく。これはこれ正しく覚の分斉を明かすなり。)Kkaito01-31R,31L

【論】是故修多羅説。若有衆生能観無念者。則為向仏智故。
【論】 (この故に修多羅に、もし衆生ありて能く無念を観ずる者は、則ち仏に向かう智となすと説くが故に。)

 引証中。言能観無念者則為向仏智故者。在因地時。雖未離念。而能観於無念道理。説此能観為向仏地。以是証知仏地無念。此是挙因而証果也。Kkaito01-31L
  (引証の中に「能観無念者則為向仏智故〈能く無念を観ずる者は、則ち仏に向かう智なるが故に〉」とは、因地に在る時は未だ念を離れずといえども、而も能く無念の道理を観ずれば、この能観を説きて仏地に向かうとなす。これを以て仏地の無念を証知す。これはこれ因を挙げて果を証すなり。)Kkaito01-31L

 若引通説因果文証者。金鼓経言。依諸伏道起事心滅。依法断道依根本心滅。依勝抜道根本心尽。此言諸伏道者。謂三十心。起事心滅者。猶此論中捨麁分別執著想。即是異相滅也。法断道者。在法身位。依根本心滅者。猶此中説捨分別麁念相。即是住相滅也。勝拔道者。金剛喩定。根本心尽者。猶此中説遠離微細念。是謂生相尽也。上来別明始覚差別。Kkaito01-31L,32R
  (もし通じて因果を説く文を引きて証せば、『金鼓経〈合部金光明経〉』に言く「諸の伏道に依りて起事心は滅し、法断道に依りて依根本心は滅し、勝抜道に依りて根本心は尽く」と。ここに「諸伏道」とは、謂く三十心なり。「起事心滅」とは、猶しこの論の中の「捨麁分別執著想〈麁分別の執著の想を捨す〉」即ちこれ異相の滅なり。「法断道」とは、法身の位に在り。「依根本心滅〈依根本心は滅し〉」とは、猶しこの中に「捨分別麁念相〈分別麁念の相を捨つ〉」と説く。即ちこれ住相の滅なり。「勝拔道」とは金剛喩定なり。「根本心尽」とは、猶しこの中に「遠離微細念〈微細の念を遠離す〉」と説く。これ生相の尽くるをいうなり。上来は別して始覚の差別を明かす。)Kkaito01-31L,32R

【論】又心起者。無有初相可知。而言知初相者即謂無念。
【論】 (また心起とは、初相の知るべきことあることなし。而して初相を知るというは、即ち謂く無念なり。)

 又心起者以下。第三総明始覚不異本覚。此中有二。一者重明究竟覚相。二者正明不異本覚。初中有三。一者直顕究竟相。二者挙非覚顕是覚。三者対境広顕智満。Kkaito01-32R
  (「又心起者〈また心起とは〉」以下は、第三に総じて始覚は本覚に異ならざることを明かす。この中に二あり。一には重ねて究竟覚の相を明かし、二には正しく本覚に異ならざることを明かす。初の中に三あり。一には直ちに究竟の相を顕かし、二には非覚を挙げて是覚を顕し、三には境に対して広く智の満を顕す。)Kkaito01-32R

 初中言又心起者者。牒上覚心初起之言。非謂覚時知有初相。故言無有初相可知。而説覚心初起相者。如覚方時知西是東。如是如来覚心之時。知初動相即本来静。是故説言即謂無念也。Kkaito01-32R,32L
  (初の中に「又心起者〈また心起とは〉」というは、上の「覚心初起〈心の初起を覚して〉」の言を牒す。覚する時に初相ありと知るというにはあらず。故に「無有初相可知〈初相の知るべきことあることなし〉」という。而も心の初起の相を覚すと説くは、方を覚する時、西はこれ東と知るが如く、かくの如く如来の、心を覚る時は初の動相は即ち本来静なりと知る。この故に説きて「即謂無念〈即ち謂く無念なり〉」というなり。)Kkaito01-32R,32L

【論】是故一切衆生不名為覚。以従本来念念相続未曽離念故。説無始無明。
【論】 (この故に一切衆生は名づけて覚となさず。本より来た念念相続して、未だ曽て念を離れざるを以ての故に、無始の無明と説く。)

 是故以下。挙非顕是。如前所説無念是覚。是故有念不得名覚。是即金剛心以還一切衆生。未離無始無明之念。依是義故不得名覚。然前対四相之夢差別故説漸覚。今約無明之眠異故説不覚。如仁王経言。始従伏忍至頂三昧。照第一義諦。不名為見。所謂見者。是薩婆若故。Kkaito01-32L
  (「是故」以下は、非を挙げて是を顕す。前の所説の如く無念はこれ覚なり。この故に有念は覚と名づくることを得ず。これ即ち金剛心以還の一切衆生は未だ無始無明の念を離れず。この義に依るが故に覚と名づくることを得ず。然に前には四相の夢の差別に対するが故に漸覚と説き、今は無明の眠の異に約するが故に不覚と説く。『仁王経〈仁王般若波羅蜜経〉』に言うが如し「始め伏忍より頂三昧に至りて第一義諦を照らすを名づけて見とせず。所謂、見とはこれ薩婆若なるが故に」。)Kkaito01-32L

【論】若得無念者。則知心相生住異滅。以無念等故。
【論】 (もし無念を得れば、則ち心相の生住異滅を知る。無念等しきを以ての故に。)

 若得以下。対境顕智。若至心原得於無念。即能遍知一切衆生一心動転四相差別故。言即知心相生住異滅。次言以無念等故者。釈成上義。Kkaito01-32L
  (「若得」以下は、境に対して智を顕す。もし心原に至りて無念を得れば、即ち能く遍く一切衆生は一心動転して四相差別ありと知るが故に「即知心相生住異滅〈即ち心相の生住異滅を知る〉」という。次に「以無念等故〈無念等しきを以ての故に〉」というは、上の義を釈成す。)Kkaito01-32L

 此中有疑云。仏得無念。衆生有念。有無隔別。云何無念能知有念。作如是疑故遣之云。衆生有念本来無念。得無念与彼平等故。言以無念等故。是明既得平等無念故。能遍知諸念四相也。Kkaito01-31L,32R
  (この中に有るが疑いて云く。仏は無念を得、衆生は有念なり。有無隔別なり。云何ぞ無念は能く有念を知るや。かくの如き疑を作すが故に、これを遣りて云く。衆生の有念は本来無念なり。無念を得れば彼と平等なるが故に「以無念等故〈無念等しきを以ての故に〉」という。これ既に平等無念を得るが故に能く遍く諸念の四相を知ることを明かすなり。)Kkaito01-32L,33R

【論】而実無有始覚之異。以四相倶時而有。皆無自立。本来平等同一覚故。
【論】 (而して実に始覚の異あることなし。四相倶時にして有なり。みな自立なく、本来平等にして同一覚なるを以ての故に。)

 此下第二正明無異。雖曰始得無念之覚。而覚四相本来無起。待何不覚而有始覚。故言実無始覚之異。下釈此義。四相倶有為心所成。離一心外無別自体。故言倶時而有皆無自立。皆無自立故本来平等同一本覚也。Kkaito01-33R
  (これより下は第二に正しく無異を明かす。始めて無念の覚を得るというといえども、而も四相は本来無起と覚る。何の不覚に待してか而も始覚あらん。故に「実無始覚之異〈実に始覚の異なし〉」という下はこの義を釈す。四相は倶有にして心の所成たり。一心を離れて外に別の自体なし。故に「倶時而有皆無自立〈倶時にして有なり。みな自立なく〉」という。皆、自立なきが故に、本来平等にして同一本覚なり。)Kkaito01-33R

【論】復次本覚随染分別。生二種相。与彼本覚不相捨離。
【論】 (また次に本覚随染を分別するに二種の相を生ず。彼の本覚と相い捨離せず。)

 復次以下広本覚。於中有二。先明随染本覚。後顕性浄本覚。初中有三。一者総標。二者列名。三者弁相。Kkaito01-33R
  (「復次」以下は本覚を広す。中に於いて二あり。先は随染本覚を明かし、後には性浄本覚を顕す。初の中に三あり。一には総じて標し、二には名を列ね、三には相を弁ず。)Kkaito01-33R

 初中言生二種相者。如是二種相在随動門故言生也。此二不離性浄本覚故。言与彼不相捨離。Kkaito01-33R,33L
  (初の中に「生二種相〈二種の相を生ず〉」とは、かくの如きの二種の相は随動門に在るが故に「生」というなり。この二は性浄本覚を離れざるが故に「与彼不相捨離〈彼と相い捨離せず〉」という。)Kkaito01-33R,33L

【論】云何為二。一者智浄相。二者不思議業相。
【論】 (云何が二となす。一には智浄相。二には不思議業相。)

 第二列名中。言智浄相者。正明随染本覚之相。不思議業相者。明此本覚還浄時業也。Kkaito01-33L
  (第二に列名の中に「智浄相」というは、正しく随染本覚の相を明かし、「不思議業相」とは、この本覚還浄の時の業を明かすなり。)Kkaito01-33L

【論】智浄相者。謂依法力熏習。如実修行。満足方便故。破和合識相。滅相続心相。顕現法身。智淳浄故。
【論】 (智浄相とは、謂く法力熏習に依りて、如実修行し、方便を満足するが故に。和合の識の相を破し、相続の心の相を滅して、法身を顕現し、智淳浄なるが故に。)

 第三弁相中。先弁智浄相。於中有三。法喩与合。法中有二。直明。重顕。Kkaito01-33L
  (第三に相を弁ずる中、先ず智浄相を弁ず。中に於いて三あり。法と喩と合となり。法の中に二あり。直ちに明かし、重ねて顕す。)Kkaito01-33L

 初中言法力熏習者。謂真如法内熏之力。依此熏力修習資糧。得発地上如実修行。至無垢地満足方便。由是能破和合識内生滅之相。顕其不生不滅之性。故言破和合識相顕現法身。此時能滅相続心中業相転相。令其随染本覚之心。遂得帰源。成淳浄智故。言滅相続心相智淳浄故。Kkaito01-33L
  (初の中に「法力熏習」というは、謂く、真如の法内熏の力なり。この熏力に依りて資糧を修習して、地上の如実の修行を発することを得て、無垢地に至りて方便を満足す。これに由りて能く和合識の内の生滅の相を破して、その不生不滅の性を顕す。故に「破和合識相顕現法身〈和合識の相を破し、法身を顕現し〉」という。この時、能く相続心の中の業相・転相を滅して、その随染本覚の心をして遂に源に帰し、淳浄智と成なることを得しむるが故に「滅相続心相智淳浄故〈相続の心の相を滅して智淳浄なるが故に〉」という。)Kkaito01-33L

 此中相続識者。猶是和合識内生滅之心。但為顕現法故。説破和合識。為成応身浄智故。説滅相続識相。然不滅相続心。但滅相続心之相也。如経説言。是故大慧。諸識自相滅。自相滅者業相滅。若自相滅者。不異外道断見戯論。諸外道説。離諸境界。相続識滅。相続識滅已。即滅諸識。大慧。若相続識滅者。無始世来諸識応滅。乃至広説也。Kkaito01-33L,34R
  (この中に相続識とは、猶これ和合識の内の生滅の心なり。但し法を顕現せんがための故に和合識を破すと説く。応身の浄智を成ぜんがための故に相続識の相を滅すと説く。然も相続の心を滅せず。但し相続心の相を滅するなり。『経〈入楞伽経〉』に説きて言うが如し「この故に大慧。諸識の自相滅す。自相滅せば業相滅す。もし自相滅せば外道の断見の戯論に異ならず。諸の外道の説かく。諸の境界を離れて相続識滅す。相続識滅し已りて即ち諸識を滅す。大慧。もし相続識滅せば無始世より来た諸識応に滅すべし」。乃至広く説くなり。)Kkaito01-33L,34R

【論】此義云何。以一切心識之相皆是無明。無明之相不離覚性。非可壊非不可壊。
【論】 (この義いかん。一切の心識の相は皆これ無明にして、無明の相は覚性を離れざるを以て、壊すべきにあらず、壊すべからざるにあらず。)

 此義云何以下。重顕前説滅不滅義。一切心識之相皆是無明者。謂業識転識等諸識相。無明所起。皆是不覚。以之故言皆是無明。如是諸識不覚之相。不離随染本覚之性。以之故言不離覚性。此無明相与本覚性。非一非異。非異故非可壊。而非一故非不可壊。若依非異非可壊義。説無明転即変為明。若就非一非不可壊之義。説無明滅覚性不壊。今此文中依非一門故。説滅相続心相也。Kkaito01-34R,34L
  (「此義云何」以下は、重ねて前の滅不滅の義を説くことを顕す。「一切心識之相皆是無明〈一切の心識の相は皆これ無明にして〉」とは、謂く業識・転識等の諸識の相は無明に起せられて、皆これ不覚なり。これを以ての故に「皆是無明〈皆これ無明〉」という。かくの如きの諸識不覚の相は、随染本覚の性を離れず。これを以ての故に「不離覚性〈覚性を離れず〉」という。この無明の相は本覚の性と一に非ず異に非ず。異に非ざるが故に壊すべきにあらず。而も一に非らざるが故に壊すべからずにあらず。もし非異非可壊の義に依れば、無明転じて即ち変じて明となると説き、もし非一非不可壊の義に就かば、無明は滅して覚性は壊せずと説く。今この文の中には非一の門に依るが故に相続の心相を滅すと説くなり。)Kkaito01-34R,34L

【論】如大海水因風波動。水相風相不相捨離。而水非動性。若風止滅動相則滅。湿性不壊故。如是衆生自性清浄心。因無明風動。心与無明倶無形相不相捨離。而心非動性。若無明滅相続則滅。智性不壊故。
【論】 (大海の水は風に因りて波動し、水相と風相と相い捨離せず。而して水は動性にあらず。もし風止滅すれば、動相は則ち滅し、湿性は壊せざるが如きなるが故に。かくの如く衆生の自性清浄の心は無明の風に因りて動ず。心と無明と倶に形相なくして相い捨離せず。而して心は動性にあらざれば、もし無明滅すれば相続則ち滅し、智性は壊せざるが故に。)

 喩中言水非動性者。明今之動非自性動。但随他動。若自性動者。動相滅時。湿性随滅。而随他動故。動相雖滅。湿性不壊也。合中言無明滅者。本無明滅是合風滅也。相続即滅者。業識等滅合動相滅也。智性不壊者。随染本覚神解之性名為智性。是合湿性不壊也。Kkaito01-34L
  (喩の中に「水非動性〈水は動性にあらず〉」というは、今の動は自性動にあらず、但、他に随いて動ずることを明かす。もし自性動せば、動相滅する時、湿性随いて滅せん。而も他に随いて動ずるが故に動相は滅すといえども、湿性は壊せざるなり。合の中に「無明滅〈無明滅すれば〉」というは、本の無明滅す。これ風の滅するに合するなり。「相続即滅〈相続即ち滅す〉」とは、業識等滅す。動相の滅に合するなり。「智性不壊〈智性は壊せず〉」とは、随染本覚の神解の性を名づけて智性となす。これ湿性の不壊に合するなり。)Kkaito01-34L

【論】不思議業相者。以依智浄相。能作一切勝妙境界。所謂無量功徳之相常無断絶。随衆生根自然相応。種種而現得利益故。
【論】 (不思議業相とは、智浄相に依るを以て、能く一切の勝妙境界を作す。所謂、無量功徳の相は常に断絶なし。衆生の根に随いて自然に相応し、種種に現じて利益を得しむるが故に。)

 次釈不思議業相中。依智浄者。謂前随染本覚之心。始得淳浄。是始覚智。依此智力現応化身故。言無量功徳之相。此所現相無始無終。相続不絶故言無断。Kkaito01-34L,35R
  (次に不思議業相を釈する中に「依智浄」とは、謂く、前の随染本覚の心、始めて淳浄を得、これ始覚智なり。この智力に依りて応化身を現ずるが故に「無量功徳の相」という。この所現の相は無始無終にして相続して絶えざるが故に「無断」という。)Kkaito01-34L,35R

 如金鼓経言。応身者。従無始生死相続不断故。一切諸仏不共之法能摂持故。衆生不尽。用亦不尽故説常住。Kkaito01-35R
  (『金鼓経〈合部金光明経〉』に言うが如き「応身とは、無始より生死相続して断えざるが故に、一切諸仏の不共の法は能く摂持するが故に、衆生尽きず、用もまた尽きざるが故に常住と説く。」)Kkaito01-35R

 宝性論云。何者成就自身利益。謂得解脱。遠離煩悩障智障。得無障礙清浄法身。是名成就自身利益。何者成就他身利益。既得成就自身利益已。無始世来。自然依彼二種仏身。示現世間自在力行。是名成就他身利益。Kkaito01-35R
  (『宝性論』に云く「何なれば自身の利益を成就する。謂く、解脱を得、煩悩障智障を遠離して、無障礙の清浄法身を得。これを自身の利益を成就すと名づく。何なれば他身の利益を成就する。既に自身の利益を成就し得已れば、無始世より来た、自然に彼の二種の仏身に依りて世間の自在力の行を示現す。これを他身の利益を成就すと名づく。」)Kkaito01-35R

 問。始得自利已。方起利他業。云何利他説無始耶。解云。如来一念。遍応三世。所応無始故。能応則無始。猶如一念円智。遍達無辺三世之境。境無辺故。智亦無辺。無辺之智所現之相故。得無始亦能無終。此非心識思量所測。是故名為不思議業也。Kkaito01-35R,35L
  (問う。始めて自利を得已りて方に利他の業を起こす。云何が利他は無始と説くや。解して云く。如来の一念は遍く三世に応ず。所応無始なるが故に能応則ち無始なり。猶し一念の円智は遍く無辺の三世の境に達するが如く、境無辺なるが故に、智もまた無辺なり。無辺の智は所現の相なるが故に無始を得、また能く無終なり。これ心識思量の測る所にあらず。この故に名づけて「不思議業」とするなり。)Kkaito01-35R,35L

【論】復次覚体相者。有四種大義。与虚空等。猶如浄鏡。
【論】 (また次に覚の体相とは、四種の大義あり。虚空と等しく猶し浄鏡の如し。)

 復次以下。次明性浄本覚之相。於中有二。一者総標。二者別解。初中言与虚空等者。無所不遍故。猶如浄鏡者離垢現影故。四種義中。第一第三。依離垢義以況浄鏡。第二第四。依現像義亦有浄義也。Kkaito01-35R
  (「復次」以下は、次に性浄本覚の相を明かす。中に於いて二あり。一には総じて標し、二には別して解す。初の中に「与虚空等〈虚空と等し〉」とは、遍ぜざる所なきが故に。「猶如浄鏡〈猶し浄鏡の如し〉」とは、垢を離れ影を現ずるが故に。四種の義の中に、第一・第三は離垢の義に依りて以て浄鏡に況す。第二・第四は現像の義に依りて、また浄の義あるなり。)Kkaito01-35L

【論】云何為四。一者如実空鏡。遠離一切心境界相。無法可現。非覚照義故。
【論】 (云何が四となす。一は如実空鏡。一切の心と境界との相を遠離して、法の現ずべきなし。覚照の義にあらざるが故に。)

 別解之中。別顕四種。此中前二在於因性。其後二種在於果地。前二種者。明空与智。如涅槃経言。仏性者第一義空。第一義空名為智慧。智者見空及与不空。愚者不見空与不空。乃至広説。Kkaito01-35L
  (別して解する中に別して四種を顕す。この中に前の二は因性に在り。その後の二種は果地に在り。前の二種は、空と智とを明かす。『涅槃経』に言うが如し「仏性とは第一義空なり。第一義空を名づけて智慧となす。智者は空と及び不空とを見る。愚者は空と不空とを見ず」と、乃至広説。)Kkaito01-35L

 今此初中言遠離一切心境界相者。即顕彼経第一義空也。無法可現非覚照義者。是釈不見空与不空也。Kkaito01-35L,36R
  (今この初の中に「遠離一切心境界相〈一切の心鏡界の相を遠離し〉」とは、即ち彼の『経』の第一義空を顕すなり。「無法可現非覚照義〈法の現ずべきなし。覚照の義にあらず〉」とは、これは「不見空与不空〈空と不空とを見ず〉」を釈すなり。)Kkaito01-35L,36R

【論】二者因熏習鏡。謂如実不空。一切世間境界。悉於中現不出不入不失不壊。常住一心。以一切法即真実性故。又一切染法所不能染。智体不動具足無漏。熏衆生故。
【論】 (二には因熏習鏡。謂く、如実不空。一切世間の境界は、悉く中に於いて現じて、不出、不入、不失、不壊にして、常住一心なり。一切の法は即ち真実の性なるを以ての故に。また一切の染法の、染ずること能わざる所、智体は動ぜずして無漏を具足して、衆生を熏ずるが故に。)

 第二中言一切世間境界悉於中現者。是釈彼経智慧者見空及与不空。如彼経言。空者一切生死。不空者謂大涅槃故。此中但現生死境界。既現於鏡故言不出。而不染鏡故曰不入。随所現像。同本覚量。等虚空界。遍三世際故無念念之失。亦無滅尽之壊故。言不失不壊常住一心等也。上来明其浄鏡之義。又一切下。釈因熏習義也。Kkaito01-36R
  (第二の中に「一切世間境界悉於中現〈一切世間の境界は、悉く中に於いて現じ〉」というは、これ彼の『経』の「智慧者は空と及び不空とを見る」を釈す。彼の『経』に言うが如し「空とは一切の生死なり。不空とは謂く大涅槃」というが故に。この中には但し生死の境界を現ず。既に鏡に現ずるが故に「不出」という。而も鏡を染せざるが故に「不入」という。所現の像に随いて、本覚の量に同じく、虚空界に等しく三世の際に遍ずるが故に、念念の失なく、また滅尽の壊なきが故に「不失不壊常住一心〈不失、不壊にして、常住一心なり〉」等というなり。上来はその浄鏡の義を明かし、「又一切」の下は因熏習の義を釈すなり。)Kkaito01-36R

【論】三者法出離鏡。謂不空法。出煩悩礙智礙。離和合相。淳浄明故。
【論】 (三には法出離鏡。謂く、不空の法。煩悩礙・智礙を出でて、和合の相を離れて、淳浄明なるが故に。)

 第三中言出於二礙淳浄明者。是明前説因熏習鏡出纒之時為法身也。Kkaito01-36R
  (第三の中に「出於二礙淳浄明〈二礙を出でて淳浄明なり〉」というは、これ前に説く因熏習鏡出纒の時、法身となることを明かすなり。)Kkaito01-36R

【論】四者縁熏習鏡。謂依法出離故。遍照衆生之心。令修善根随念示現故。
【論】 (四には縁熏習鏡。謂く、法出離に依るが故に遍く衆生の心を照らして、善根を修めしめ、念に随いて示現するが故に。)

 第四中言依法出離故遍照衆生心者。即彼本覚顕現之時。等照物機。示現万化。以之故言随念示現。Kkaito01-36R,36L
  (第四の中に「依法出離故遍照衆生心〈法出離に依るが故に遍く衆生の心を照らし〉」というは、即ち彼の本覚顕現の時、等しく物の機を照らして万化を示現す。これを以ての故に「随念示現〈念に随いて示現す〉」という。)Kkaito01-36R,36L

 此与前説不思議業有何異者。彼明応身始覚之業。此顕本覚法身之用。随起一化。有此二義。総説雖然。於中分別者。若論始覚所起之門。随縁相属而得利益。由其根本随染本覚。従来相関有親疎故。論其本覚所顕之門。普益機熟不簡相属。由其本来性浄本覚。等通一切無親疎故。広覚義竟。Kkaito01-36L
  (これと前に説く不思議業と、何の異ありとならば、彼は応身始覚の業を明かし、これは本覚法身の用を顕す。一化を起こすに随いて、この二義あり。総じて説くこと然りといえども、中に於いて分別せば、もし始覚所起の門を論ぜば、随縁相属して利益を得。その根本随染本覚に由りて従来相関するに親疎あるが故に。その本覚所顕の門を論ぜば、普く機熟を益して相属を簡ばず。その本来性浄本覚に由りて、等しく一切に通じて親疎なきが故に。覚の義を広し竟りぬ。)Kkaito01-36L

【論】所言不覚義者。謂不如実知真如法一故。不覚心起而有其念。念無自相不離本覚。猶如迷人依方故迷。若離於方則無有迷。衆生亦爾。依覚故迷。若離覚性則無不覚。
【論】 (言う所の不覚の義とは、謂く、実の如く真如の法は一なりと知らざるが故に、不覚の心起こりて、その念あり。念に自相なく、本覚を離れず。猶し迷人は方に依るが故に迷う。もし方を離るれば則ち迷あることなきが如し。衆生もまた爾り。覚に依るが故に迷い、もし覚性を離るれば則ち不覚なし。)

 次釈不覚。於中有三。先明根本不覚。次顕枝末不覚。第三総結本末不覚。初中亦二。先明不覚依本覚立。後顕本覚亦待不覚。初中有三。謂法喩合。Kkaito01-36L
  (次に不覚を釈す。中に於いて三あり。先に根本不覚を明かし、次に枝末の不覚を顕し、第三に総じて本末の不覚を結す。初の中にまた二。先ずは不覚は本覚に依りて立つることを明かし、後には本覚もまた不覚を待することを顕す。初の中に三あり。謂く、法、喩、合なり。)Kkaito01-36L

 初中言不如実知真如法一故者。根本無明。猶如迷方也。不覚心起而有其念者。業相動念。是如邪方。如離正東無別邪西故。言念無自相不離本覚。喩合之文。文相可見也。Kkaito01-36L
  (初の中に「不如実知真如法一故〈実の如く真如の法は一なりと知らざるが故に〉」というは根本無明なり。猶し方に迷うが如きなり。「不覚心起而有其念〈不覚の心起こりて、その念あり〉」とは業相の動念なり。これ邪方の如し。正東を離れて別の邪西なきが如きなるが故に「念無自相不離本覚〈念に自相なく、本覚を離れず〉」という。喩・合の文は文相見つべし。)Kkaito01-36L,37R

【論】以有不覚妄想心故。能知名義為説真覚。若離不覚之心。則無真覚自相可説。
【論】 (不覚の妄想心あるを以ての故に、能く名義を知りて、ために真覚と説き、もし不覚の心を離るれば、則ち真覚の自相の説くべきなし。)

 次明本覚亦待不覚。於中有二。初言以有不覚妄想心者。無明所起妄想分別。由此妄想能知名義。故有言説説於真覚。是名真覚之名待於妄想也。若離不覚則無真覚自相可説者。是明所説真覚必待不覚。若不相待。則無自相。待他而有。亦非自相。自相既無。何有他相。是顕諸法無所得義。如下文言。当知一切染法浄法皆悉相待。無有自相可説。智度論云。若世諦如毫釐許有実者。第一義諦亦応有実。此之謂也。Kkaito01-37R
  (次に本覚もまた不覚に待することを明かす。中に於いて二あり。初に「以有不覚妄想心〈不覚の妄想心あるを以て〉」というは、無明に起せられたる妄想分別なり。この妄想に由りて能く名義を知る。故に言説ありて真覚を説く。これ真覚の名は妄想に待することを明かすなり。「若離不覚則無真覚自相可説〈もし不覚の心を離るれば、則ち真覚の自相の説くべきなし〉」とは、これ所説の真覚は必ず不覚を待することを明かす。もし相い待せざるときは、則ち自相なし。他に待して有なり。また自相にあらず。自相既になし。何ぞ他相あらん。これ諸法無所得の義を顕す。下の文に言うが如し「当知一切染法浄法皆悉相待。無有自相可説〈当に知るべし、一切の染法・浄法、皆悉く相待して、自相の説くべきことあることなし〉」と。『智度論』に云く「もし世諦は毫釐許の如きに実なるものあり、第一義諦もまた実あるべし」という、この謂なり。)Kkaito01-37R

【論】復次依不覚故。生三種相。与彼不覚相応不相離。
【論】 (また次に不覚に依るが故に、三種の相を生じ、彼の不覚と相応して相い離れず。)

 此下広顕枝末不覚。於中有二。先明細相。後顕麁相。初中亦二。総標。別釈。初中言与彼不覚相応不離者。本末相依故曰相応。非如王数相応之義。此為不相応染心故。Kkaito01-37L
  (これより下は広く枝末の不覚を顕す。中に於いて二あり。先ず細相を明かし、後に麁相を顕す。初の中にまた二。総標、別釈なり。初の中に「与彼不覚相応不離〈彼の不覚と相応して相い離れず〉」というは、本末は相い依るが故に「相応」という。王・数相応の義の如くにはあらざれば、これを不相応の染心とするが故に。)Kkaito01-37L

【論】云何為三。一者無明業相。以依不覚故心動説名為業。覚則不動。動則有苦。果不離因故。
【論】 (云何が三となす。一は無明業相。不覚に依るを以ての故に、心動ずるを説きて名づけて業となす。覚すれば則ち動ぜず。動ずれば則ち苦あり。果は因を離れざるが故に。)

 別釈中言無明業相者。依無明動。名為業相故。起動義是業義故。言心動説名為業也。覚則不動者。挙対反顕。得始覚時。則無動念。是知今動只由不覚也。動則有苦者。如得寂静。即是極楽故。知今云動即是苦也。業相是無苦。無明是無集。如是因果倶時而有。故言果不離因故。Kkaito01-37L
  (別釈の中に「無明業相」というは、無明に依りて動ずるを名づけて業相とするが故に。起動の義これ業の義なるが故に「心動説名為業〈心動ずるを名づけて業となす〉」というなり。「覚則不動〈覚すれば則ち不動〉」とは、対を挙げて反顕す。始覚を得る時は則ち動念なし。ここに知りぬ、今の動は、ただ不覚に由るなり。「動則有苦〈動ずれば則ち苦あり〉」とは、寂静を得るが如きは即ちこれ極楽なるが故に。知りぬ、今動というは即ちこれ苦なり。業相はこれ無苦。無明はこれ無集。かくの如きの因果は倶時にして而も有なり。故に「果不離因故〈果は因を離れざるが故に〉」という。)Kkaito01-37L

 然此業相雖有動念。而是極細。能所未分。其本無明当知亦爾。如無想論云。問。此識何相何境。答。相及境不可分別。一体無異。問。若爾云何知有。答。由事故知有此識。此識能起一切煩悩業果報事。譬如無明常起。此無明可欲分別不。若可分別。非謂無明。若不可分別。則応非有。而是有非無。亦由欲瞋等事。知有無明。本識亦爾。故此等文意。正約業相顕本識也。Kkaito01-37L,38R
  (然もこの業相は動念ありといえども而もこれ極細にして能所は未だ分たれず。その本無明も当に知るべし、また爾なり。『無想論〈転識論〉』に云うが如し「問う。この識は何の相、何の境ぞ。答う。相及び境は分別すべからず。一体にして異ることなし。問う。若し爾らば云何が有と知る。答う。事に由るが故に、この識ありと知る。この識は能く一切煩悩業果報の事を起こす。譬えば無明の常に起するが如し。この無明は分別せんと欲すべきや、不や。もし分別すべくば無明というにあらず。もし分別すべからざれば則ち応に有にあらざるべし。而もこの有は無にあらず。また欲瞋等の事に由りて無明ありと知る。本識もまた爾なり」。故にこれらの文意は、正しく業相に約して本識を顕すなり。)Kkaito01-37L,38R

【論】二者能見相。以依動故能見。不動則無見。
【論】 (二には能見相。動に依るを以ての故に能見あり。動ぜざれば則ち見なし。)

 第二能見相者。即是転相。依前業相転成能縁故。言以依動能見。依性静門則無能見。故言不動則無見也。反顕能見要依動義。如是転相雖有能縁。而未能顕所縁境相。直是外向非託境故。如摂論云。意識縁三世及非三世境。是則可知此識所縁境不可知。故此言不可知者。以無可知境故。如説十二因縁始不可知。此亦如是。是約転相顕本識也。Kkaito01-38R,38L
  (第二の能見相とは、即ちこれ転相なり。前の業相に依りて転じて能縁と成るが故に「以依動能見〈動に依るが故に能見あり〉」という。性静門に依るときは則ち能見なし。故に「不動則無見〈動ぜざれば則ち見なし〉」というなり。反じて能見は要ず動に依る義を顕す。かくの如きの転相は能縁ありといえども、而も未だ所縁の境相を顕すこと能わず。直ちにこれ外に向かいて、境に託するにあらざるが故に。『摂論〈摂大乗論釈 真諦訳〉』に云うが如き「意識は三世及び非三世の境を縁ず。これ則ち知るべし。この識の所縁の境は知るべからず」。故に、ここに「不可知」というは、知るべき境なきを以ての故なり。十二因縁の始め知るべからずと説くが如く、ここもまたかくの如し。これは転相に約して本識を顕すなり。)Kkaito01-38R,38L

【論】三者境界相。以依能見故境界妄現。離見則無境界。
【論】 (三には境界の相。能見に依るを以ての故に、境界は妄に現ず。見を離るれば則ち境界なし。)

 第三境界相者。即是現相。依前転相能現境界故。言能見故境界妄現。如四巻経言。大慧。略説有三種識。広説有八相。何等為三。謂真識。現識。分別事識。譬如明鏡持諸色像。現識処亦復如是。又下文言。譬如蔵識頓分別。知自心現身及身安立受用境界。此論下文明現識云。所謂能現一切境界。猶如明鏡現於色像。現識亦爾。以一切時任運而起常在前故。如是等文。約於現相以顕本識。如是現相既在本識。何況其本転相業相。反在六七識中説乎。Kkaito01-38L,39R
  (第三に境界相とは、即ちこれ現相なり。前の転相に依りて能く境界を現ずるが故に「能見故境界妄現〈能見の故に境界は妄に現ず〉」。『四巻経〈楞伽阿跋多羅宝経〉』に言うが如し「大慧。略して説くに三種の識あり。広く説くに八相あり。何等をか三とする。謂く、真識、現識、分別事識なり。譬えば明鏡の、諸の色像を持するが如く、現識の処もまたかくの如し」と。また下の文〈『楞伽阿跋多羅宝経』〉に言く「譬えば蔵識は頓に分別して、自心は身及び身の安立受用の境界を現ずと知るが如し」と。この論の下の文に現識を明かして云く「所謂る能く一切の境界を現ずること、猶し明鏡の、色像を現ずるが如く、現識また爾なり。一切時に任運に而も起して、常に前に在るを以ての故に」と。かくの如き等の文は、現相に約して以て本識を顕す。かくの如きの現相は既に本識に在り。何に況んやその本の転相・業相は反りて六七識の中に在りと説かんや。)Kkaito01-38L,39R

【論】以有境界縁故。復生六種相。云何為六。
【論】 (境界の縁あるを以ての故に、また六種の相を生ず。云何が六となす。)

 以有已下次明麁相。於中亦二。総標別釈。初言以有境界縁者。依前現識所現境故。起七識中六種麁相。是釈経言境界風所動七識波浪転之意也。Kkaito01-39R
  (「以有」より已下は、次に麁相を明かす。中に於いてまた二。総じて標し、別して釈す。初に「以有境界縁〈境界の縁あるを以て〉」というは、前の現識所現の境に依るが故に、七識の中の六種の麁相を起こす。これ『経〈楞伽経か?〉』に「境界風所動七識波浪転〈境界の風に動ぜられて七識の波浪転ず〉」という意を釈するなり。)Kkaito01-39R

 次別釈中。初之一相。是第七識。次四相者。在生起識。後一相者。彼所生果也。Kkaito01-39R
  (次に別釈の中に、初の一相はこれ第七識。次の四相は生起識に在り。後の一相は彼の所生の果なり。)Kkaito01-39R

【論】一者智相。依於境界心起。分別愛与不愛故。
【論】 (一には智相。境界に依りて心起こりて、愛と不愛とを分別するが故に。)

 初言智相者。是第七識麁中之始。始有慧数分別我塵故名智相。如夫人経言。於此六識及心法智。此七法刹那不住。此言心法智者。慧数之謂也。若在善道。分別可愛法。計我我所。在悪道時。分別不愛法。計我我所。故言依於境界心起分別愛与不愛故也。Kkaito01-39R,39L
  (初に「智相」というは、これ第七識の麁が中の始め。始めて慧数ありて我塵を分別するが故に智相と名づく。『夫人経〈勝鬘経〉』に言うが如し「この六識及び心法智に於いて、この七法刹那も住せず」と。ここに「心法智」というは慧数の謂なり。もし善道に在らば、可愛の法を分別して我我所を計す。悪道に在る時は、不愛の法を分別して我我所を計す。故に「依於境界心起分別愛与不愛故〈境界に依りて心起こりて、愛と不愛とを分別するが故に〉」というなり。)Kkaito01-39R,39L

 具而言之。縁於本識計以為我。縁所現境計為我所。而今此中就其麁顕故。説依於境界心起。又此境界不離現識。猶如影像不離鏡面。此第七識直爾内向計我我所。而不別計心外有塵故。余処説還縁彼識。Kkaito01-39L
  (具にしてこれを言わば、本識を縁じて計して以て我となし、所現の境を縁じて計して我所となす。而るに今この中にはその麁顕に就くが故に境界に依りて心起すと説く。またこの境界は現識を離れず。猶し影像の鏡面を離れざるが如し。この第七識も直爾〈ただ〉ちに内に向きて我我所を計して、別に心外に塵ありと計せざるが故に、余処に還りて彼の識を縁ずと説く。)Kkaito01-39L

 問。云何得知第七末那。非但縁識。亦縁六塵。答。此有二証。一依比量。二聖言量。Kkaito01-39R
  (問う。云何が第七の末那はただ識を縁ずるのみにあらず、また六塵を縁ずと知ることを得たる。答う。これに二証あり。一には比量に依り、二には聖言の量なり。)Kkaito01-39R

 言比量者。此意根必与意識同境。是立宗也。不共所依故。是弁因也。諸是不共所依。必与能依同境。如眼根等。是随同品言也。或時不同境者。必非不共所依。如次第滅意根等。是遠離言也。如是宗因譬喩無過故。知意根亦縁六塵也。若依是義。能依意識縁意根時。所依意根亦対自体。以有自証分故無過。亦縁自所相応心法。以無能障法故。得縁諸心心所法。皆証自体。是故不廃同一所縁。此義唯不通於五識。依色根起不通利故。但対色塵。非余境故。Kkaito01-39L,40R
  (比量というは、この意根は必ず意識と境を同ず。これ宗を立するなり。不共の所依なるが故に。これ因を弁ずるなり。諸のこの不共の所依は必ず能依と境を同じくす。眼根等の如し。これ随同品〈同品に随う〉の言なり。ある時は境を同じくせざることは、必ず不共の所依にあらず。次第滅の意根等の如し。これ遠離の言なり。かくの如きの宗因譬喩は過なきが故に、知りぬ、意根もまた六塵を縁ずるなり。もしこの義に依らば、能依の意識は意根を縁ずる時、所依の意根もまた自体に対して自証分あるを以ての故に過なし。また自所相応の心法を縁ず。能く法を障うることなきを以ての故に、諸の心心所法を縁ずることを得て、皆、自体を証す。この故に同一の所縁を廃せず。この義は唯し五識に通ぜず。色根に依りて起して通利せざるが故に。但し色塵のみに対して余境にあらざるが故に。)Kkaito01-39L,40R

 聖言量者有経。有金鼓経言。眼根受色。耳根分別声。乃至意根分別一切諸法。大乗意根。即是末那故。知遍縁一切法也。Kkaito01-40R
  (聖言量とは経にあり。『金鼓経〈合部金光明経〉』に言うことあり「眼根は色を受け、耳根は声を分別し(乃至)意根は一切の諸法を分別す」と。大乗の意根は即ちこれ末那なるが故に、知りぬ、遍く一切の法を縁ずるなり。)Kkaito01-40R

 又対法論十種分別中言。第一相分別者。謂身所居処所受用義。彼復如其次第。以諸色根器世界色等境界為相。第二相顕現分別者。謂六識身及意。如前所説取相而顕現故。此中五識。唯現色等五塵。意識及意。通現色根及器世界色等境界。設使末那不縁色根器世界等。則能現分別唯応取六識。而言及意故。知通縁也。且置傍論。還釈本文。Kkaito01-40R,40L
  (また『対法論〈大乗阿毘達磨雑集論〉』の十種の分別の中に言く「第一に相分別とは、謂く、身所居の処所受用の義。彼はまたその次第の如く諸の色根器世界色等の境界を以て相となす。第二に相顕現分別とは、謂く、六識身及び意は前の所説の如く相を取りて而も顕現するが故に」。この中の五識は、ただ色等の五塵を現じ、意識及び意は通じて色根及び器世界色等の境界を現ず。たとい末那は色根器世界等を縁ぜざれども、則ち能現の分別は唯し六識を取るべし。而も「及意」というが故に、知りぬ、通じて縁ずることを。且く傍論を置きて、還りて本文を釈す。)Kkaito01-40R,40L

【論】二者相続相。依於智故生其苦楽。覚心起念相応不断故。
【論】 (二には相続相。智に依るが故にその苦楽を生ず。覚心、念を起こし相応して断えざるが故に。)

 第二相続相者。是生起識識蘊。是麁分別。遍計諸法得長相続。又能起愛取。引持過去諸行不断。亦得潤生。能令未来果報相続。依是義故名相続相。不同前説相続心也。Kkaito01-40L
  (第二に相続相とは、これ生起識の識蘊なり。これ麁分別なり。遍く諸法を計して長く相続することを得。また能く愛取を起こして、過去の諸行を引持して断ぜず。また生を潤すことを得て、能く未来の果報をして相続せしむ。この義に依るが故に相続相と名づく。前に説く相続心には同ぜざるなり。)Kkaito01-40L

 依於智者。依前智相為根所生故。所依是細。唯一捨受。能依是麁。具起苦楽故。言生起苦楽也。又所依智相。内縁而住。不計外塵故是似眠。此相続識。遍計内外。覚観分別。如似覚悟。以之故言覚心起念。起念即是法執分別。識蘊与此麁執相応。遍馳諸境故。言相応不断故也。Kkaito01-40L,41R
  (「依於智〈智に依る〉」とは、前の智相を根とするに依りて生ずる所なるが故に、所依はこれ細。唯し一の捨受なり。能依はこれ麁。具に苦楽を起こすが故に「生起苦楽〈苦楽を生起す〉」というなり。また所依の智相は内に縁じて住して、外塵を計せざるが故に、これ眠るに似たり。この相続識は遍く内外を計して、覚観分別し、覚悟に如似す。これを以ての故に「覚心起念」という。起念は即ちこれ法執分別の識蘊、この麁執と相応して遍く諸境に馳するが故に「相応不断故〈相応して断えざるが故に〉」というなり。)Kkaito01-40L,41R

【論】三者執取相。依於相続縁念境界。住持苦楽心起著故。
【論】 (三には執取相。相続に依りて境界を縁念し、苦楽を住持して、心、著を起こすが故に。)

 第三執取相者。即是受蘊。以依識蘊分別違順。領納苦楽故。言依於相続乃至住苦楽等也。Kkaito01-41R
  (第三に執取相とは、即ちこれ受蘊なり。識蘊の違順を分別するに依りて、苦楽を領納するを以ての故に「依於相続(乃至)住苦楽」等というなり。)Kkaito01-41R

【論】四者計名字相。依於妄執。分別仮名言相故。
【論】 (四には計名字相。妄執に依りて分別する仮名言の相の故に。)

 第四計名字相者。即是想蘊。依前受蘊。分別違順等名言相故。言依妄執乃至名言相故也。Kkaito01-41R
  (第四に計名字相とは、即ちこれ想蘊なり。前の受蘊に依りて違順等の名言の相を分別するが故に「依妄執(乃至)名言相故」というなり。)Kkaito01-41R

【論】五者起業相。依於名字尋名。取著造種種業故。
【論】 (五には起業相。名字に依りて名を尋ね、取著して種種の業を造るが故に。)

 第五起業相者。即是行蘊。依於想蘊所取名相。而起思数造作善悪故。言依於名字乃至造種種業故也。Kkaito01-41R
  (第五に起業相とは、即ちこれ行蘊なり。想蘊の取る所の名相に依りて、而も思数を起こして善悪を造作するが故に「依於名字(乃至)造種種業故」というなり。)Kkaito01-41R

【論】六者業繋苦相。以依業受報不自在故。
【論】 (六には業繋苦相。業に依りて報を受けて自在ならざるを以ての故に。)

 第六業繋苦相者。依前行蘊所造之業。而受三有六趣苦果故。言依業受果不自在故也。Kkaito01-41R
  (第六に業繋苦相とは、前の行蘊所造の業に依りて三有六趣の苦果を受くるが故に「依業受果不自在故〈業に依りて果を受けて自在ならざるが故に〉」というなり。)Kkaito01-41R

【論】当知。無明能生一切染法。以一切染法皆是不覚相故。
【論】 (当に知るべし。無明は能く一切の染法を生ず。一切の染法は皆これ不覚の相なるを以ての故に。)

 当知以下第三総結。如前所説六種麁相。依於現相所現境起。三種細相。親依無明。如是六三総摂諸染。是故当知無明住地。能生一切染法根本。以諸染相雖有麁細。而皆不覚諸法実相。不覚之相是無明気故。言一切染法皆是不覚相故。Kkaito01-41R,41L
  (「当知」より以下は第三に総結。前の所説の如き六種の麁相は現相所現の境に依りて起し、三種の細相は親しく無明に依る。かくの如きの六と三とに総じて諸染を摂す。この故に当に知るべし、無明住地は能く一切の染法を生ずる根本なり。諸の染相は麁細ありといえども、而も皆、諸法の実相を覚せざるを以て、不覚の相はこれ無明の気なるが故に「一切染法皆是不覚相故〈一切の染法は皆これ不覚の相なるが故に〉という。)Kkaito01-41R,41L

 第二依義別解有三分内。第一略明功能。第二広顕体相。如是二分竟在於前。Kkaito01-41L
  (第二に義に依りて別して解するに三分ある内に、第一には略して功能を明かし、第二には広く体相を顕す。かくの如きの二分は竟りぬ、前に在り。)Kkaito01-41L

【論】復次覚与不覚有二種相。云何為二。一者同相。二者異相。
【論】 (また次に覚と不覚と二種の相あり。云何が二となす。一には同相。二には異相。)

 此下第三明同異相。此中有三。総標。列名。次第弁相。弁相之中。先明同相。於中有三。一者引喩。二者合喩。三者引証。Kkaito01-41L
  (これより下は第三に同異の相を明かす。この中に三あり。総標と列名と次第弁相となり。弁相の中に、先ず同相を明かす。中に於いて三あり。一には喩を引き、二には喩を合し、三には証を引く。)Kkaito01-41L

【論】同相者。譬如種種瓦器皆同微塵性相。如是無漏無明種種業幻。皆同真如性相。
【論】 (同相とは、譬えば種種の瓦器は皆同じく微塵の性相なるが如し。かくの如く無漏・無明の種種の業幻は皆同じく真如の性相なり。)

 第二中言無漏者。本覚始覚也。無明者。本末不覚也。此二皆有業用顕現。而非定有故名業幻。Kkaito01-41L
  (第二の中に「無漏」というは本覚・始覚なり。「無明」とは本末の不覚なり。この二は皆、業用顕現することありて、定有にあらざるが故に「業幻」と名づく。)Kkaito01-41L

【論】是故修多羅中。依於此義。説一切衆生本来常住。入於涅槃。菩提之法。非可修相。非可作相。畢竟無得。
【論】 (この故に修多羅の中に、この義に依りて、一切衆生は本り来た常住、涅槃に入ると説く。菩提の法は、修すべき相にあらず、作すべき相にあらず、畢竟無得なり。)

 第三中言本来常住入於涅槃菩提法者。如大品経言。以是智慧。断一切結使。入無余涅槃。元是世俗法。非第一義。何以故。空中無有滅。亦無使滅者。諸法畢竟空。即是涅槃故。又言何義故為菩提。空義是菩提義。如義法性義。実際義。是菩提義。復次諸法実相不誑不異。是菩提義故。当知此中約於性浄菩提。本来清浄涅槃故。諸衆生本来入也。Kkaito01-41L,42R
  (第三の中に「本来常住入於涅槃菩提法」というは、『大品経〈摩訶般若波羅蜜経〉』に言うが如し「この智慧を以て一切の結使を断じて無余涅槃に入る。元〈もと〉これ世俗の法は第一義にあらず。何を以ての故に。空の中には滅あることなく、また滅せらるる者なし。諸法は畢竟空にして即これ涅槃なるが故に」と。また言く〈『摩訶般若波羅蜜経』〉「何の義の故にか菩提となる。空の義、これ菩提の義。如の義、法性の義、実際義、これ菩提義なり。また次に諸法実相は不誑不異。これ菩提の義なるが故に」と。当に知るべし、この中には性浄の菩提に約す。本来清浄涅槃なるが故に、諸の衆生は本来より入るなり。)Kkaito01-41L,42R

 非可修相者。無因行故。非可作相者。無果起故。畢竟無得者。以無能得者。無得時無得処故。Kkaito01-42R
  (「非可修相〈修すべき相にあらず〉」とは、因行なきが故に。「非可作相〈作すべき相にあらず〉」とは、果の起するなきが故に。「畢竟無得」とは、能得の者なく、得時なく、得処なきを以ての故に。)Kkaito01-42R

【論】亦無色相可見。而有見色相者。唯是随染業幻所作。非是智色不空之性。以智相無可見故。
【論】 (また色相の見るべきなし。而して色相を見ることあるは、唯これ随染業幻の所作なり。これ智色不空の性にあらず。智相の見るべきことなきを以ての故に。)

 亦無以下。猶是経文。而非此中所証之要。但是一処相続之文。是故相従引之而已。Kkaito01-42R
  (「亦無」以下は猶これ経文にして、この中の所証の要にあらず。但これ一処相続の文なり。この故に相い従いてこれを引くのみ。)Kkaito01-42R

【論】言異相者。如種種瓦器各各不同。如是無漏無明随染幻差別。性染幻差別故。
【論】 (異相というは、種種の瓦器の各各同じからざるが如し。かくの如きの無漏無明随染幻の差別、性染幻の差別なるが故に。)

 明異相中。先喩。後合。合中言随染幻差別者。是無漏法。性染幻差別者。是無明法。何者本末無明。違平等性。是故其性自有差別。諸無漏法。順平等性。直置其性。応無差別。但随染法差別之相故。説無漏有差別耳。謂対業識等染法差別故。説本覚恒沙性徳。又対治此諸法差別故。成始覚万徳差別。然如是染浄皆是相待非無。顕現而非是有。是故通名幻差別也。Kkaito01-42R,42L
  (異相を明かす中に、先ずは喩、後は合なり。合の中に「随染幻差別」とは、これ無漏の法なり。「性染幻差別」とは、これ無明の法なり。何となれば本末の無明は平等性に違す。この故にその性は自ずから差別あり。諸の無漏の法は平等の性に順じて、直ちにその性を置く。応に差別なかるべし。但し染法差別の相に随うが故に無漏に差別ありと説くのみ。謂く、業識等の染法の差別に対するが故に本覚恒沙の性徳を説く。またこの諸法の差別を対治するが故に始覚万徳の差別を成ず。然れどもかくの如き染浄は皆、これ相待にして無にあらず。顕現してこれ有にあらず。この故に通じて「幻差別」と名づくるなり。)Kkaito01-42R,42L

 上来広釈立義分中。是心生滅竟在於前。Kkaito01-42L
  (上来は広く立義分の中の「是心生滅」を釈し竟りぬ、前に在り。)Kkaito01-42L

【論】復次生滅因縁者。所謂衆生依心意意識転故。
【論】 (また次に生滅の因縁とは、所謂、衆生は心に依りて意と意識と転ずるが故に。)

 此下第二釈其因縁。於中有二。先明生滅依因縁義。後顕所依因縁体相。初中亦二。総標別釈。Kkaito01-42L
  (これより下は第二にその因縁を釈す。中に於いて二あり。先は生滅は因縁に依る義を明かし、後には所依の因縁の体相を顕す。初の中にまた二。総標と別釈となり。)Kkaito01-42L

 初中言因縁者。阿梨耶心体変作諸法。是生滅因。根本無明熏動心体。是生滅縁。又復無明住地諸染根本。起諸生滅故説為因。六塵境界能動七識波浪生滅。是生滅縁。依是二義以顕因縁。Kkaito01-42L,43R
  (初の中に「因縁」というは、阿梨耶心の体変じて諸法と作る。これ生滅の因なり。根本無明熏じて心体を動ず。これ生滅の縁なり。また無明住地は諸染の根本なり。諸の生滅を起こすが故に説きて因となす。六塵の境界は能く七識を動じて波浪生滅す。これ生滅の縁なり。この二義に依りて以て因縁を顕す。)Kkaito01-42L,43R

 諸生滅相聚集而生故名衆生。而無別体。唯依心体故言依心。即是梨耶自相心也。能依衆生是意意識。以之故言意意識転。Kkaito01-43R
  (諸の生滅の相は聚集して生ずる故に衆生と名づく。而も別体なし。唯、心体に依るが故に「依心」という。即ちこれ梨耶自相の心なり。能依の衆生はこれ意と意識となり。これを以ての故に「意意識転」という。)Kkaito01-43R

【論】此義云何。
【論】 (この義、云何。)

 此義云何以下別釈。於中有三。先釈依心。次釈意転。後釈意識転。Kkaito01-43R
  (「此義云何」以下は別して釈す。中に於いて三あり。先は依心を釈し、次は意転を釈し、後は意識転を釈す。)Kkaito01-43R

【論】以依阿梨耶識。説有無明。
【論】 (阿梨耶識に依るを以て、無明ありと説く。)

 初中言阿梨耶識者。是上説心。即是生滅之因。説有無明者。在梨耶識。即是生滅之縁。欲明依此因縁意意識転故。言以依阿梨耶識説有無明。上総標中略標其因。是故但言依心。此別釈中具顕因縁故。説亦依梨耶識内所有無明也。Kkaito01-43R,43L
  (初の中に「阿梨耶識」というは、これ上に説く「心」なり。即これ生滅の因なり。「説有無明〈無明ありと説く〉」とは梨耶識に在り。即これ生滅の縁なり。この因縁に依りて意と意識と転ずることを明かさんと欲するが故に「以依阿梨耶識説有無明〈阿梨耶識に依るを以て、無明ありと説く〉」という。上の総標の中には略してその因を標す。この故に但「依心」という。この別釈の中には具に因縁を顕すが故にまた梨耶識の内の所有の無明に依ると説くなり。)Kkaito01-43R,43L

【論】不覚而起。能見能現能取境界。起念相続故説為意。
【論】 (不覚にして起こり、能見、能現、能く境界を取りて、念を起こして相続するが故に説きて意となす。)

 不覚以下。次釈意転。於中有三。一者略明意転。二者広顕転相。三者結成依心之義。Kkaito01-43L
  (「不覚」以下は、次に意転を釈す。中に於いて三あり。一には略して意転を明かし、二には広く転相を顕し、三には依心の義を結成す。)Kkaito01-43L

 初中即明五種識相。不覚而起者。所依心体。由無明熏挙体起動。即是業識也。言能見者。即彼心体転成能見。是為転識。言能現者。即彼心体復成能現。即是現識。能取境界者。能取現識所現境界。是為智識。起念相続者。於所取境起諸麁念。是相続識。依此五義次第転成。能対諸境而生意識故。説此五以為意也。Kkaito01-43L
  (初の中に即ち五種の識相を明かす。「不覚而起〈不覚にして起こり〉」とは所依の心体は無明の熏に由りて挙体起動す。即ちこれ業識なり。「能見」というは、即ち彼の心体は転じて能見と成る。これを転識となす。「能現」というは、即ち彼の心体はまた能現と成る。即ちこれ現識なり。「能取境界〈能く境界を取り〉」とは、能く現識所現の境界を取る。これを智識となす。「起念相続〈念を起こして相続す〉」とは、所取の境に於いて諸の麁念を起こす。これ相続識なり。この五義に依りて次第に転成して、能く諸境に対して意識を生ずに依るるが故に、この五を説きて以て意となすなり。)Kkaito01-43L

【論】此意復有五種名。云何為五。一者名為業識。謂無明力不覚心動故。
【論】 (この意にまた五種の名あり。云何が五となす。一には名づけて業識となす。謂く、無明の力、不覚にして心動ずるが故に。)

 此意以下。第二広明。於中有二。総標別釈。Kkaito01-43L
  (「此意」以下は第二に広く明かす。中に於いて二あり。総標と別釈となり。)Kkaito01-43L

 別釈中言無明力者。挙所依縁。不覚心動者。釈其業義。起動之義是業義故。Kkaito01-43L,44R
  (別釈の中に「無明力」というは、所依の縁を挙ぐ。「不覚心動〈不覚にして心動ず〉」とは、その業の義を釈す。起動の義はこれ業の義なるが故なり。)Kkaito01-43L,44R

【論】二者名為転識。依於動心能見相故。
【論】 (二には名づけて転識となす。動心に依りて能見の相あるが故に。)

 転識中言依於動心能見相故者。依前業識之動。転成能見之相。然転識有二。若就無明所動転成能見者。是在本識。如其境界所動転成能見者。是謂七識。此中転相。約初義也。Kkaito01-44R
  (転識の中に「依於動心能見相故〈動心に依りて能見の相あるが故に〉」というは、前の業識の動に依りて転じて能見の相と成る。然るに転識に二あり。もし無明に動転せられて能見と成るに就かば、これ本識に在り。その境界に動転せられて能見と成るが如きは、これ七識をいう。この中の転相は初の義に約するなり。)Kkaito01-44R

【論】三者名為現識。所謂能現一切境界。猶如明鏡現於色像。現識亦爾。随其五塵対至。即現無有前後。以一切時任運而起。常在前故。
【論】 (三には名づけて現識となす。所謂る能く一切の境界を現ず。猶し明鏡の、色像を現ずるが如し。現識また爾り。その五塵に随いて対至すれば、即ち現じて前後あることなし。一切の時に任運にして起こりて、常に前〈さき〉に在るを以ての故に。)

 現識中言能現一切境界者。依前転識之見。復起能現之用。如上文言以依能見故境界妄現。当知現識依於転識。非能見用即是能現。是故前言能見能現。次喩。後合。合中言五塵者。且挙麁顕以合色像。実論通現一切境故。以一切時任運而起常在前故者。非如亦六七識有時断滅故。以是文証。当知是三皆在本識之内別用也。Kkaito01-44R,44L
  (現識の中に「能現一切境界〈能く一切の境界を現ず〉」というは、前の転識の見に依りて、また能現の用を起こす。上の文にいうが如し「以依能見故境界妄現〈能見に依るを以ての故に、境界は妄に現ず〉」。まさに知るべし、現識は転識に依る。能見の用は即ちこれ能現なるにはあらず。この故に前に「能見能現」という。次に喩、後に合なり。合の中に「五塵」というは、且く麁顕を挙げて以て色像に合す。実に論ぜば通じて一切の境を現ずるが故に。「以一切時任運而起常在前故〈一切の時に任運にして起こりて、常に前に在るを以ての故に〉」とは、また六七識は時ありて断滅するが如きなるにあらざるが故に。この文証を以て、当に知るべし、この三は皆、本識の内に在る別用なり。)Kkaito01-44R,44L

【論】四者名為智識。謂分別染浄法故。
【論】 (四には名づけて智識となす。謂く、染浄の法を分別するが故に。)

 第四智識者。是第七識。上六相内初之智相義。如前説愛非愛果。名染浄法。分別彼法。計我我所故。言分別染浄法也。Kkaito01-44L
  (第四に智識とは、これ第七識なり。上の六相の内の初の智相の義なり。前に愛非愛の果と説くが如きを染浄の法と名づく。彼の法を分別して我我所を計するが故に「分別染浄法〈染浄の法を分別す〉」というなり。)Kkaito01-44L

【論】五者名為相続識。以念相応不断故。住持過去無量世等善悪之業令不失故。復能成熟現在未来苦楽等報無差違故。能令現在已経之事忽然而念未来之事不覚妄慮。
【論】 (五には名づけて相続識となす。念相応して断ぜざるを以ての故に、過去無量世等の善悪の業を住持して失せざらしむるが故に、また能く現在未来の苦楽等の報を成熟して差違することなきが故に、能く現在已経の事を忽然として念じ、未来の事を不覚に妄慮せしむ。)

 第五相続識者。即是意識。上六相中名相続相。以念相応不断故者。法執相応。得長相続。此約自体不断以釈相続義也。住持以下。約其功能釈相続義。此識能起愛取煩悩故。能引持過去無明所発諸行。令成堪任来果之有。故言住持乃至不失故。又復能起潤生煩悩。能使業果続生不絶故。言成就無差違故。如是三世因果流転不絶。功在意識。以是義故名相続識。Kkaito01-44L
  (第五に相続識とは、即ちこれ意識なり。上の六相の中には相続相と名づく。「以念相応不断故〈念相応して断ぜざるを以ての故に〉」とは、法執相応して長く相続することを得。これは自体不断に約して以て相続の義を釈するなり。「住持」以下は、その功能に約して相続の義を釈す。この識は能く愛取の煩悩を起こすが故に、能く過去の無明所発の諸行を引持して、来果の有に堪任することを成せしむ。故に「住持(乃至)不失故」という。また能く潤生の煩悩を起こして、能く業果をして続生して絶えざらしむるが故に「成就無差違故〈成就して差違することなきが故に〉」という。かくの如く三世の因果は流転して絶えざること、功は意識に在り。この義を以ての故に相続識と名づく。)Kkaito01-44L

 次言念已経事慮未来事者。顕此識用麁顕分別。不同智識微細分別。是知此識唯在意識。不同上説相続心也。Kkaito01-45R
  (次に「念已経事慮未来事〈已経の事を念じ、未来の事を慮る〉」とは、この識用の麁顕の分別は、智識の微細の分別に同ぜざることを顕す。ここに知りぬ、この識は唯、意識に在りて、上に説く相続心には同ぜざることを。)Kkaito01-45R

【論】是故三界虚偽唯心所作。離心則無六塵境界。
【論】 (この故に三界は虚偽、唯心の所作。心を離れて則ち六塵の境界なし。)

 是故以下。第三結明依心之義。於中有二。先略。後広。Kkaito01-45R
  (「是故」以下は第三に結して依心の義を明かす。中に於いて二あり。先は略、後は広なり。)Kkaito01-45R

 初言是故者。是前所説五種識等依心而成。以是義故。三界諸法唯心所作。如十地経言。仏子。三界但一心作。此之謂也。Kkaito01-45R
  (初に「是故」というは、これ前に説く所の五種の識等は心に依りて而も成ず。この義を以ての故に三界の諸法は唯心の所作なり。『十地経』に言うが如し「仏子。三界は但一心の作なり」と。この謂なり。)Kkaito01-45R

【論】此義云何。以一切法皆従心起妄念而生。一切分別即分別自心。心不見心無相可得。
【論】 (この義、云何。一切の法は皆、心より起こり、妄念より生ずるを以て、一切の分別は即ち自心を分別す。心は心を見ざれば、相の得べきことなし。)

 此義云何以下広釈。於中有二。先明諸法不無而非是有。後顕諸法不有而非都無。Kkaito01-45R
  (「此義云何」以下は広く釈す。中に於いて二あり。先は諸法は無にあらずして、これ有にあらざることを明かし、後には諸法は有にあらずして都無にあらざることを顕す。)Kkaito01-45R

 初中言以一切法皆従心起妄念而生者。是明諸法不無顕現也。一切分別即分別自心心不見心無相可得者。是明諸法非有之義。Kkaito01-45R,45L
  (初の中に「以一切法皆従心起妄念而生〈一切の法は皆、心より起こり、妄念より生ずるを以て〉」というは、これ諸法は無にあらずして顕現することを明かすなり。「一切分別即分別自心心不見心無相可得〈一切の分別は即ち自心を分別す。心は心を見ざれば、相の得べきことなし〉」とは、これ諸法は有にあらざるの義を明かす。)Kkaito01-45R

 如十巻経言。身資生住持。若如夢中生。応有二種心。而心無二相。如刀不自割。指亦不自指。如心不自見。其事亦如是。解云。若如夢中所見諸事。如是所見是実有者。則有能見所見二相。而其夢中実無二法。三界諸心皆如此夢。離心之外無可分別。故言一切分別即分別自心。而就自心不能自見。如刀指等故。言心不見心。既無他可見。亦不能自見。所見無故能見無。能所二相二相皆無所得。故言無相可得也。此中釈難会通新古。如別記中広分別也。Kkaito01-45R,45L
  (『十巻経〈入楞伽経〉』に言うが如し「身資生住持すること、夢中に生ずるが若如し。応に二種の心あるべし。而も心に二相なし。刀は自ら割らず、指もまた自ら指さざるが如し。心の如きも自ら見ず。その事またかくの如し」と。解して云く。もし夢中の所見の諸事の如きは、かくの如きの所見はこれ実有ならば、則ち能見所見の二相あり。而もその夢中には実に二法なし。三界の諸心は皆この夢の如し。心を離れて外に分別すべきことなし。故に「一切分別即分別自心〈一切の分別は即ち自心を分別す〉」という。而も自心就きて自ら見ること能わず。刀指等の如くなるが故に「心不見心〈心は心を見ざれば〉」という。既に他の見るべきなく、また自ら見ること能わず。所見無なるが故に、能見も無し。能所二相、二相は皆、所得なし。故に「無相可得〈相の得べきことなし〉」というなり。この中には難を釈し、新古を会通す。『別記』の中に広く分別するが如きなり。)Kkaito01-45R,45L

【論】当知。世間一切境界。皆依衆生無明妄心。而得住持。是故一切法。如鏡中像無体可得。唯心虚妄。以心生則種種法生。心滅則種種法滅故。
【論】 (当に知るべし。世間一切の境界は、みな衆生の無明妄心に依りて住持することを得。この故に一切法は鏡中の像の、体の得べきことなきが如し。唯心の虚妄なり。心生ずれば則ち種種の法生じ、心滅すれば則ち種種の法滅するを以ての故に。)

 当知以下。次明非有而不無義。初言当知世間乃至無体可得唯心虚妄者。是明非有。次言以心生則法生以下。顕其非無。依無明力不覚心動。乃至能現一切境等故。言心生則種種法生也。若無明心滅境界随滅。諸分別識皆得滅尽。故言心滅則種種法滅。非約刹那以明生滅也。広釈意竟。Kkaito01-45L,46R
  (「当知」以下は、次に有にあらずして而も無にあらざる義を明かす。初に「当知世間(乃至)無体可得唯心虚妄」というは、これ非有を明かす。次に「以心生則法生」以下は、その非無を顕す。無明の力に依りて不覚の心動じ、乃至、能く一切の境等を現ずるが故に「心生則種種法生〈心生ずれば則ち種種の法生じ〉」というなり。もし無明の心滅すれば境界も随いて滅し、諸の分別の識は皆、滅尽することを得。故に「心滅則種種法滅〈心滅すれば則ち種種の法滅す〉」という。刹那に約して以て生滅を明かすにあらざるなり。広く意を釈し竟りぬ。)Kkaito01-45L,46R

【論】復次言意識者。即此相続識。依諸凡夫取著転深。計我我所。種種妄執。随事攀縁。分別六塵。名為意識。亦名分離識。又復説名分別事識。此識依見愛煩悩増長義故。
【論】 (また次に意識というは、即ちこれ相続識。諸の凡夫は取著転た深きに依りて、我我所を計し、種種に妄に執し、事に随いて攀縁し、六塵を分別するを名づけて意識となす。また分離識と名づけ、またまた説きて分別事識と名づく。この識は見愛煩悩に依りて増長する義の故に。)

 次釈意識。意識即是先相続識。但就法執分別相応生後義門。則説為意。約其能起見愛煩悩従前生門。説名意識故。言意識者即此相続。乃至分別六塵名為意識。此論就其一意識義故。不別出眼等五識故。説意識分別六塵。Kkaito01-46R
  (次に意識を釈す。意識は即ちこれ先の相続識なり。但し法執分別相応して後を生ずる義門に就きて、則ち説きて意となす。その能起の見愛の煩悩の、前によりて生ずる門に約して説きて意識と名づくるが故に「意識者即此相続(乃至)分別六塵名為意識」という。この論はその一意識の義に就くが故に、別して眼等の五識を出だず。故に意識は六塵を分別すと説く。)Kkaito01-46R

 亦名分離識者。依於六根別取六塵。非如末那不依別根故名分離。又能分別去来内外種種事相故。復説名分別事識。依見愛煩悩増長義故者。是釈分別事識之義。以依見修煩悩所増長故。能分別種種事也。上六相内受想行蘊相従入此意識中摂。上来広明生滅依因縁義竟。Kkaito01-46R,46L
  (「亦名分離識〈また分離識と名づけ〉」とは、六根に依りて別に六塵を取る。末那の、別根に依らざるが如きにはあらざるが故に「分離」と名づく。また能く去来内外種種の事相を分別するが故に、また説きて「分別事識」と名づく。「依見愛煩悩増長義故〈見愛煩悩に依りて増長する義の故に〉」とは、これ「分別事識」の義を釈す。見修の煩悩に増長せらるるに依るを以ての故に能く種種の事を分別するなり。上の六相の内の受想行蘊は相い従いてこの意識の中に入りて摂す。上来は広く生滅は因縁に依る義を明かし竟りぬ。)Kkaito01-46R,46L

【論】依無明熏習所起識者。非凡夫能知。亦非二乗智慧所覚。謂依菩薩。従初正信発心観察。若証法身得少分知。乃至。菩薩究竟地不能尽知。唯仏窮了。
【論】 (無明の熏習に依りて起こす所の識とは、凡夫の能く知るにあらず、また二乗の智慧の覚する所にあらず。謂く。菩薩に依るに、初の正信より発心観察し、もし法身を証すれば少分知ることを得。乃至。菩薩究竟地に尽く知ること能わず。ただ仏のみ窮了す。)

 此下第二重顕所依因縁体相。於中有二。一者略明因縁甚深。二者広顕因縁差別。初中有三。先標甚深。次釈。後結。Kkaito01-46L
  (これより下は第二重に所依の因縁の体相を顕す。中に於いて二あり。一には略して因縁の甚深を明かし、二には広く因縁の差別を顕す。初の中に三あり。先は甚深を標し、次に釈、後には結なり。)Kkaito01-46L

 初中言無明熏習所起識者。牒上所説依阿梨耶識説有無明不覚而起等也。非余能知唯仏窮了者。標甚深也。Kkaito01-46L
  (初の中に「無明熏習所起識〈無明の熏習に依りて起こす所の識〉」というは、上に説く所の「依阿梨耶識説有無明不覚而起〈阿梨耶識に依りて、無明ありと説く。不覚にして起こり〉」等を牒するなり。「非余能知唯仏窮了〈余の能く知るにあらず、ただ仏のみ窮了す〉」とは、甚深を標するなり。)Kkaito01-46L

【論】何以故。是心従本已来自性清浄。而有無明。為無明所染有其染心。雖有染心而常恒不変。是故此義唯仏能知。
【論】 (何を以ての故に。この心は本より已来た自性清浄なり。而して無明あり。無明の為に染せられて、その染心あり。染心ありといえども、而も常恒不変なり。この故にこの義は唯仏のみ能く知る。)

 何以故下。次釈深義。従本已来自性清浄而無明所染有其染心者。是明浄而恒染。雖有染心而常恒不変者。是明動而常静。由是道理。甚深難測。Kkaito01-46L,47R
  (「何以故」の下は、次に深の義を釈す。「従本已来自性清浄而無明所染有其染心〈本より已来た自性清浄にして、無明に染せられて、その染心あり〉」とは、これ浄にして恒に染なることを明かす。「雖有染心而常恒不変〈染心ありといえども、而も常恒不変なり〉」とは、これ動にして而も常に静なることを明かす。この道理に由りて甚深にして測り難し。)Kkaito01-46L,47R

 如夫人経言。自性清浄心。難可了知。彼心為煩悩所染。亦難可了知。楞伽経言。以如来蔵是清浄相。客塵煩悩垢染不浄。我依此義。依勝鬘夫人。依余菩薩等。説如来蔵阿梨耶識共七識生。名転滅相。大慧。如来蔵阿梨耶識境界。我今与汝及諸菩薩甚深智者。能了分別此二種法。諸余声聞辟支仏及外道等執著名字者。不能了知如是二法。是故此義唯仏能知者。第三結甚深也。Kkaito01-47R
  (『夫人経〈勝鬘経〉』に言うが如し「自性清浄心は了知すべきこと難し。彼の心は煩悩のために染せらるることも、また了知すべきこと難し」と。『楞伽経』に言く「如来蔵はこれ清浄相なり、客塵煩悩は垢染不浄なるを以て、我はこの義に依りて、勝鬘夫人に依り、余の菩薩等に依りて、如来蔵阿梨耶識は七識と共に生ずるを転滅相と名づくと説けり。大慧。如来蔵阿梨耶識の境界は、我、今、汝及び諸の菩薩甚深智者と、能く了してこの二種の法を分別す。諸余の声聞辟支仏及び外道等の名字に執著する者はかくの如きの二法を了知すること能わず」と。「是故此義唯仏能知〈この故にこの義は唯仏のみ能く知る〉」とは、第三に甚深を結するなり。)Kkaito01-47R

【論】所謂心性常無念故。名為不変。以不達一法界故。心不相応。忽然念起。名為無明。
【論】 (所謂、心性は常に念なきが故に、名づけて不変となす。一法界に達せざるを以ての故に心に相応せず、忽然として念起こるを名づけて無明となす。)

 所謂以下。第二広顕因縁差別。於中有六。一明心性因之体相。二顕無明縁之体相。三明染心諸縁差別。四顕無明治断位地。五釈相応不相応義。六弁智礙煩悩礙義。Kkaito01-47R,47L
  (「所謂」以下は、第二に広く因縁の差別を顕す。中に於いて六あり。一には心性の因の体相を明かし、二には無明の縁の体相を顕し、三には染心の諸縁の差別を明かし、四には無明治断の位地を顕し、五には相応・不相応の義を釈し、六には智礙・煩悩礙の義を弁ず。)Kkaito01-47R,47L

 初中言心性常無念故名為不変者。釈上雖有染心而常不変之義。雖挙体動而本来寂静故。言心性常無念也。第二中言心不相応者。明此無明最極微細。未有能所王数差別。故言心不相応。唯此無本。無別染法能細於此在其前者。以是義故説忽然起。Kkaito01-47L
  (初の中に「心性常無念故名為不変〈心性は常に念なきが故に、名づけて不変となす〉」というは、上の「雖有染心而常不変〈染心ありといえども而も常不変なり〉」の義を釈す。挙体動ずといえども、而も本来寂静なるが故に「心性常無念〈心性は常に念なき〉」というなり。第二の中に「心不相応〈心に相応せず〉」というは、この無明は最極微細にして未だ能所王数の差別あらざることを明かす。故に「心不相応」という。唯この無本は、別の染法の能くこれより細にしてその前に在る者なし。この義を以ての故に「忽然起」と説く。)Kkaito01-47L

 如本業経言。四住地前更無法起。故名無始無明住地。是明其前無別為始。唯此為本。故言無始。猶是此論忽然義也。此約細麁相依之門説為無前。亦言忽然起。非約時節以説忽然起。此無明相。如二障章広分別也。Kkaito01-47L
  (『本業経〈菩薩瓔珞本業経〉』に言うが如し「四住地の前に更に法の起するなし。故に無始無明住地と名づく」と。これその前に別に始めなるなく、唯これを本とすることを明かす。故に「無始」という。猶これこの論の忽然の義なり。これは細麁相依の門に約して説きて無前となす。また「忽然起」というは、時節に約して以て「忽然起」と説くにはあらず。この無明の相は『二障の章』に広く分別するが如し。)Kkaito01-47L,48R

【論】染心者。有六種。云何為六。一者執相応染。依二乗解脱及信相応地遠離故。
【論】 (染心とは、六種あり。云何が六となす。一には執相応染。二乗の解脱と及び信相応地とに依りて遠離するが故に。)

 是釈上言自性清浄而有無明所染有其染心之句。於中有二。総標。別釈。別釈之中。兼顕治断。此中六染即上意識并五種意。但前明依因而起義故。従細至麁而説次第。今欲兼顕治断位故。従麁至細而説次第。Kkaito01-48R
  (これは上の「自性清浄而有無明所染有其染心〈自性清浄なり。而して無明ありて、染せられて、その染心あり〉」の句を釈す。中に於いて二あり。総標と別釈となり。別釈の中に兼て治断を顕す。この中の六染は即ち上の意識并びに五種の意なり。但し前には因に依りて起する義を明かすが故に、細より麁に至りて而も次第を説く。今は兼て治断の位を顕さんと欲するが故に、麁より細に至りて次第を説く。)Kkaito01-48R

 第一執相応染者。即是意識。見愛煩悩所増長義。麁分別執而相応故。若二乗人至羅漢位。見修煩悩究竟離故。若論菩薩。十解以上能遠離故。此言信相応地者。在十解位。信根成就。無有退失。名信相応。如仁王経言。伏忍聖胎三十人。十信十止十堅心。当知此中十向名堅。十行名止。十信解名信。入此位時。已得人空。見修煩悩不得現行故名為離。当知此論上下所明。約現起以説治断也。Kkaito01-48R,48L
  (第一に執相応染とは、即ちこれ意識の見愛煩悩に増長せらるる義、麁分別の執、而も相応するが故に。もし二乗の人は羅漢の位に至りて見修の煩悩は究竟して離るるが故に。もし菩薩を論ぜば十解以上に能く遠離するが故に。ここに「信相応地」というは十解の位に在り。信根成就して退失あることなきを「信相応」と名づく。『仁王経』に言うが如し「伏忍聖胎三十人。十信、十止、十堅心」と。当に知るべし、この中の十向を堅と名づけ、十行を止と名づけ、十信解を信と名づく。この位に入る時、已に人空を得て、見修の煩悩は現行することを得ず。故に名づけて離となす。当に知るべし、この論の上下に明かす所は現起に約して以て治断を説くなり。)Kkaito01-48R,48L

【論】二者不断相応染。依信相応地修学方便。漸漸能捨。得浄心地究竟離故。
【論】 (二には不断相応染。信相応地に修学する方便に依りて、漸漸に能く捨して、浄心地を得て究竟して離するが故に。)

 第二不断相応染者。五種意中之相続識。法執相応相続生起。不断即是相続異名。従十解位。修唯識観尋思方便。乃至初地証三無性。法執分別不得現行。故言得浄心地究竟離故也。Kkaito01-48L
  (第二に不断相応染とは、五種の意の中の相続識なり。法執相応して相続して生起す。不断は即ちこれ相続の異名なり。十解の位より唯識観尋思の方便を修し、乃至、初地に三無性を証して、法執分別は現行することを得ず。故に「得浄心地究竟離故〈浄心地を得て究竟して離するが故に〉」というなり。)Kkaito01-48L

【論】三者分別智相応染。依具戒地漸離。乃至。無相方便地究竟離故。
【論】 (三には分別智相応染。具戒地に依りて漸く離する、乃至、無相方便地に究竟して離するが故に。)

 第三分別智相応染者。五種意中第四智識。七地以還。二智起時不得現行。出観縁事。任運心時。亦得現行。故言漸離。七地以上長時入観故。此末那永不現行。故言無相方便地究竟離。此第七地。於無相観有加行有功用。故名無相方便地也。Kkaito01-48L,49R
  (第三に分別智相応染とは、五種の意の中の第四の智識なり。七地以還に二智起する時、現行することを得ず。出観して事を縁じ、任運心の時、また現行することを得。故に「漸離」という。七地以上は長時に入観する故にこの末那は永く現行せず。故に「無相方便地究竟離〈無相方便地に究竟して離す〉」という。この第七地は無相観に於いて加行あり、功用あり。故に「無相方便地」と名づくるなり。)Kkaito01-48L,49R

【論】四者現色不相応染。依色自在地能離故。
【論】 (四には現色不相応染。色自在地に依りて能く離るが故に。)

 第四現色不相応染者。五種意中第三現識。如明鏡中現色像故。名現色不相応染。色自在地是第八地。此地已得浄土自在。穢土麁色不能得現故。説能離也。Kkaito01-49R
  (第四に現色不相応染とは、五種の意の中の第三の現識なり。明鏡の中に色像を現ずるが如くなるが故に「現色不相応染」と名づく。色自在地はこれ第八地なり。この地に已に浄土自在を得て、穢土の麁色は現ずることを得ること能わざるが故に「能離」と説くなり。)Kkaito01-49R

【論】五者能見心不相応染。依心自在地能離故。
【論】 (五には能見心不相応染。心自在地に依りて能く離るが故に。)

 第五能見心不相応染者。是五意内第二転識。依於動心成能見故。心自在地是第九地。此地已得四無礙智。有礙能縁不得顕現故。説能離也。Kkaito01-49L
  (第五に能見心不相応染とは、これ五意の内の第二の転識なり。動心に依りて能見と成るが故に。「心自在地」はこれ第九地なり。この地に已に四無礙智を得て、有礙の能縁は顕現〈異 現起〉することを得ざるが故に「能離」と説くなり。)Kkaito01-49L

【論】六者根本業不相応染。依菩薩尽地得入如来地能離故。
【論】 (六には根本業不相応染。菩薩尽くる地、如来地に入ることを得るに依りて能く離るるが故に。)

 第六根本業不相応染者。是五意内第一業識。依無明力不覚心動故。菩薩尽地者。是第十地。其無垢地属此地故。就実論之。第十地中亦有微細転相現相。但随地相説漸離耳。如下文言。依於業識。乃至菩薩究竟地。心所見者。名為報身。若離業識則無見相。当知業識未尽之時。能見能現亦未尽也。Kkaito01-49R,49L
  (第六に根本業不相応染とは、これ五意の内の第一の業識なり。無明の力、不覚の心動ずるに依るが故なり。「菩薩尽地」とはこれ第十地なり。その無垢地はこの地に属するが故に。実に就きてこれを論ぜば、第十地の中にまた微細の転相現相あり。但し地相に随いて漸離と説くのみ。下の文に言うが如し「依於業識(乃至)菩薩究竟地。心所見者。名為報身〈業識に依る。 <乃至> 菩薩究竟地の心の所見を、名づけて報身となす〉」。「若離業識。則無見相〈もし業識を離るるときは則ち見相なし〉」と。当に知るべし、業識未だ尽きざる時は、能見・能現また未だ尽きざるなり。)Kkaito01-49R,49L

【論】不了一法界義者。従信相応地。観察学断入浄心地。随分得離。乃至。如来地能究竟離故。
【論】 (一法界を了せざる義とは、信相応地より、観察学断して浄心地に入り、分に随いて離るることを得、乃至、如来地に能く究竟して離るるが故に。)

 不了以下第四明無明治断。然無明住地有二種義。若論作得住地門者。初地以上能得漸断。若就生得住地門者。唯仏菩提智所能断。今此論中不分生作。合説此二通名無明故。言入浄心地随分得離。乃至如来地能究竟離也。Kkaito01-49L
  (「不了」以下は第四に無明治断を明かす。然れども無明住地に二種の義あり。もし作得住地門を論ぜば、初地以上に能く漸断を得。もし生得住地門に就かば、唯仏菩提の智のみ能く断ずる所なり。今この論の中には生作を分かたず。合してこの二を説きて通じて無明と名づくるが故に「入浄心地随分得離。乃至。如来地能究竟離〈浄心地に入り、分に随いて離るることを得、乃至、如来地に能く究竟して離る〉」というなり。)Kkaito01-49L

【論】言相応義者。謂心念法異。依染浄差別。而知相縁相同故。
【論】 (相応の義というは、謂く、心と念法と異なり。染浄の差別に依りて、而も知相と縁相と同じきが故に。)

 此下第五明相応不相応義。六種染中。前三染是相応。後三染及無明是不相応。相応中言心念法異者。心法之名也。迦旃延論中。名為心及心所念法也。Kkaito01-49L
  (これより下は第五に相応・不相応の義を明かす。六種の染の中に前の三染はこれ相応、後の三染及び無明はこれ不相応なり。相応の中に「心念法異〈心と念法と異なり〉」というは、心法の名なり。『迦旃延論』の中に名づけて心及び心所念法とするなり。)Kkaito01-49L

 依染浄差別者。分別染浄諸法見慢愛等差別也。知相同者。能知相同。縁相同者。所縁相同也。此中依三等義以説相応。謂心念法異者是体等義。謂諸煩悩数各有一体。皆無第二故。知相同者是知等義。縁相同者是縁等義。彼前三染。具此三義。倶時而有故名相応。Kkaito01-49L,50R
  (「依染浄差別〈染浄の差別に依りて〉」とは、染浄の諸法見慢愛等の差別を分別するなり。「知相同」とは能知相同なり。「縁相同」とは所縁相同なり。この中には三等の義に依りて以て相応を説く。「謂心念法異」とはこれ体等の義。謂く諸の煩悩数は各、一体ありて、皆、第二なきが故に。「知相同」とはこれ知等の義なり。「縁相同」とはこれ縁等の義なり。彼の前の三染はこの三義を具して、倶時にして有なるが故に「相応」と名づく。)Kkaito01-49L,50R

 問。瑜伽論説。諸心心法。同一所縁。不同一行相。一時倶有。一一而転。今此中説知相亦同。如是相違。云何和会。答。二義倶有故不相違。何者。如我見是見性之行。其我愛者愛性之行。如是行別名不同一行。而見愛等皆作我解。依如是義名知相同。是故二説不相違也。Kkaito01-50R
  (問う。『瑜伽論』に説かく「諸の心心の法は同一の所縁にして同一の行相にあらず。一時に倶に有にして一一に而も転ず」と。今この中には知相亦同と説く。かくの如き相違は云何が和会せん。答う。二義倶にあるが故に相違せず。何となれば、我見の如きはこれ見性の行なり。その我愛とは愛性の行なり。かくの如き行を別して不同の一行と名づく。而るに見愛等は皆、我の解を作す。かくの如きの義に依りて知相同と名づく。この故に二説は相違せざるなり。)Kkaito01-50R

【論】不相応義者。謂即心不覚常無別異。不同知相縁相故。
【論】 (不相応の義とは、謂く、心に即する不覚は常に別異なし。知相・縁相を同じくせざるが故に。)

 不相応中言即心不覚常無別異者。是明無体等義。離心無別数法差別故。既無体等義。離心無余二何寄。故無同知同縁之義。故言不同知相縁相。此中不者。無之謂也。Kkaito01-50R,50L
  (不相応の中に「即心不覚常無別異〈心に即する不覚は常に別異なし〉」というは、これ体等の義なきことを明かす。心を離れて別の数法の差別なきが故に。既に体等の義なし、心を離れて余の二は何れも寄ることなし。故に同知・同縁の義なし。故に「不同知相縁相〈知相・縁相を同じくせざる〉という」。この中に「不」とは無の謂なり。)Kkaito01-50R,50L

 問。瑜伽論説。阿梨耶識。五数相応。縁二種境。即此論中現色不相応染。何故此中説不相応。答。此論之意。約煩悩数差別転義。説名相応。現識之中無煩悩数。依是義故名不相応。彼新論意。約遍行数故説相応。由是道理亦不相違也。Kkaito01-50L
  (問う。『瑜伽論』に説かく「阿梨耶識には五数相応して二種の境を縁ず」と。即ちこの論の中の「現色不相応染」なり。何が故にこの中には不相応と説くや。答う。この論の意は、煩悩数の差別転の義に約して説きて相応と名づく。現識の中には煩悩の数なし。この義に依るが故に不相応と名づく。彼の新論の意は遍行の数に約するが故に相応と説く。この道理に由るが、また相違せざるなり。)Kkaito01-50L

【論】又染心義者。名為煩悩礙。能障真如根本智故。無明義者。名為智礙。能障世間自然業智故。
【論】 (また染心の義とは、名づけて煩悩礙となす。能く真如根本智を障うるが故に。無明の義とは、名づけて智礙となす。能く世間の自然業智を障うるが故に。)

 此下第六明二礙義。顕了門中名為二障。隠密門内名為二礙。此義具如二障章説。今此文中説隠密門。於中有二。初分二礙。此義以下。釈其所以。Kkaito01-50L
  (此より下は第六に二礙の義を明かす。顕了門の中には名づけて二障となし、隠密門の内には名づけて二礙となす。この義は具には『二障章』に説くが如し。今この文の中には隠密門を説く。中に於いて二あり。初には二礙を分かち、「此義」以下はその所以を釈す。)Kkaito01-50L

 初中言染心義者。是顕六種染心也。根本智者。是照寂慧。違寂静故。名煩悩礙也。無明義者。根本無明。世間業智者。是後得智。無明昏迷無所分別。故違世間分別之智。依如是義。名為智礙。Kkaito01-51L,52R
  (初の中に「染心義」というは、これ六種の染心を顕すなり。「根本智」とは、これ照寂の慧。寂静に違するが故に煩悩礙と名づくるなり。「無明義」とは、根本無明なり。「世間業智」とは、これ後得智なり。無明昏迷して分別する所なし。故に世間分別の智に違す。かくの如き義に依りて名づけて智礙となす。)Kkaito01-51L,52R

【論】此義云何。以依染心能見能現。妄取境界。違平等性故。
【論】 (この義、云何。染心に依りて能見能現あり、妄に境界を取りて、平等性に違するを以ての故に。)

 釈所以中。正顕是義。以依染心能見能現妄取境界者。略挙転識現識智識。違平等性者。違根本智能所平等。是釈煩悩礙義也。Kkaito01-52R
  (所以を釈する中に、正しくこの義を顕す。「以依染心能見能現妄取境界〈染心に依りて能見・能現あり、妄に境界を取りて〉」とは、略して転識・現識・智識を挙ぐ。「違平等性〈平等性に違す〉」とは、根本智の能所平等に違す。これ煩悩礙の義を釈するなり。)Kkaito01-52R

【論】以一切法常静無有起相。無明不覚妄与法違故。不能得随順世間一切境界。種種知故。
【論】 (一切の法は常に静にして起相あることなく、無明の不覚は妄に法と違するを以ての故に、世間一切の境界に随順することを得て種種に知ること能わざるが故に。)

 以一切法常静無有起相者。是挙無明所迷法性。無明不覚妄与法違故者。是顕無明迷法性義故。不能得乃至種知者。正明違於世間智義也。上来第二広釈生滅因縁義竟。Kkaito01-52R
  (「以一切法常静無有起相〈一切の法は常に静にして起相あることなく〉」とは、これ無明所迷の法性を挙ぐ。「無明不覚妄与法違故〈無明の不覚は妄に法と違するを以ての故に〉」とは、これ無明は法性に迷う義を顕すが故に。「不能得(乃至)種知」とは、正しく世間智に違する義を明かすなり。上来は第二に広く生滅の因縁の義を釈し竟りぬ。)Kkaito01-52R

 起信論疏上巻終 Kkaito01-52L

发表评论

滚动至顶部